ブログ - 日記カテゴリのエントリ
今年の5月で70歳になります。
五十年前の青春時代を思い出してみると、こんな時代が訪れるなんて誰も想像できなかったのです。わたしのことを、(岡垣町 中村行雄)で検索してみると、三年前の海老津駅南開発反対の住民投票議会で陳述した言葉が出てきますし、住所を入力すれば屋敷が現れ、わたしが畑を耕している姿が現れ、わたしの財布の中にチップを入れてるだけで、どこに行って何をし、誰と会ってるかがGPSで見えるのです。犯罪歴があればそれも出てきます。
こんな状況をどのように捉えれば良いのか迷ってしまします。
利用する方にとっては便利なことですが、利用される方にとっては迷惑なことですから、利用しなければ損になり、結局、皆が利用するようになり、その社会を作り上げてしまうことになります。誰が社会を統制し、何が中心点なのか見えません。見えるとすれば、五十年前にマスコミに登場したー超高度管理社会、と言う言葉です。それとグローバリニズム、全世界の資本主義化なのです。金儲けのためなら、合法的犯罪がいくらでも成立します。我が町では海老津駅南開発がほぼ完了しましたが、開通した道路には日に数十台の車しか走っていません。町長はその道路によって6千軒ほどの世帯増を見込んでいると町報に書いていましたが、百軒も増えれば良い方でしょう。町民の血税を使って当選し、責任もとらない、こんな合法的な詐欺行為がまかり通る時代なのです。
情報の拡大によって合法的な犯罪は拡大し、社会は縮んでいくことしか考えられません。暴力団は消滅し、国家自体が合法的暴力組織に変わるでしょう。反権力的な人間をGPSで見つけ、立ち小便でもしていれば軽犯罪法違反で逮捕できます。
個人の生活が丸見えになります。
トランプ氏がアメリカの大統領になってからマスコミは大騒ぎしし、世界の流れに変化が出はじめた。メキシコとの国境に壁をつくり、不法移住民の排除に乗り出し、アメリカの利益優先主義、保護貿易、人種差別と国家主義の方向に進んでいる。イギリスのEU離脱に端を発したこの流れは、弁証法的にいえば、正、反、合、の流れの一つであるがやがて、反、の流れであったと歴史は認めるであろう。
これまでの流れは異種混合思想の良さを認め、アメリカという人種の坩堝国家の強さ、自由思想、世界の警察官という立場に評価を与えていたが、これに反する、国家主義が芽生えてきたのだ。トランプ氏は不動産王であり、実業家であり、政治家ではなかった。商売一点で成功した人であり、マクロ的、世界的な視点、哲学的な考えに欠け、目先の利益しかない。+の裏には?があり、?の裏には+があるという考えが出来ない。思考に柔軟性、自由度が薄く、独裁的支配をしようとしている。それで成功すると信じている。あるいは背後で巨大な組織に操られている。9.11テロ事件がヤラセであったように、トランプ氏を登場させることで利益を得ようとしている闇組織があるとわたしは思う。それは歴史上何度か繰り返されてきた国家主義である。国に疲弊感が出ると自国民族優位、戦争することでの結束感、高揚意識が出て来て、国のまとまりがよくなり、支配者への崇拝感
25、6歳の頃、御木徳近さんの本(捨てて勝つ)を読んで感動した。それは欲望にとらわれ、執着する生き方の不幸を説いた本であったが、わたしは捨てきれはせず、金、女、酒、煙草、音楽、映画、勉学など拾うものばかりに熱中し、忙しかった。
職に就き、結婚し、妻子を養い、たった独りになった今こそ、(捨てて勝つ)の言葉が身近になった。それらの欲望は生きる原動力であったが、原動力が衰えていく今は(捨てなくても去って行く)のである。最後に残るのは命である。
(命)がなくなる時、(天命を全うして)わたしは勝つであろう。
元旦や瀬音爽やか空の晴れ
今日は散歩コースを変え、海の方に行ってみました。4,5年前まで、サイクリングをよくしていた小川沿いの道ですが、散歩する人が犬を連れて歩き、暖かい元旦でした。上記の俳句が浮かびました。
良い気分で歩きながら、わたしは変わり者ですから、公務員をなくせばGNPがあがる、なんていうタイトルも思い浮かびました。例えばわたしが住んでいる岡垣町、その役場を岡垣町株式会社に変え、町道を車で走ったり歩いたりする場合に税金ではなく通行料を取った場合はサービス料金になってGNPに反映されます。あるいは刑務所の運営を警備会社に委託した場合、入所者の食事代や入所料を払わせれば、会社の収入になります。現在、それらは無料ですから刑を犯して入所する者が増えています。
現在、公務員のやってる仕事を民営化するべきです。
これを読まれた人はどのように思われるでしょうか?
まさにこの箴言のとおり、今年も(今日)で終わりである。振り返ってみると、一年間が若い頃の一か月間の感じられないのは不思議であるが、論理付けをすれば簡単なことである。時間は変化によって感じるのである。加齢とともに感受性が失われ、新たな感受を受ける経験も減り、家とその周りから外に出なくなったからである。人との出会いもなく、人間関係も限られ、刺激が減った。
HP(レア仲間)はサイバーが失踪したために消える運命にあったが、Mさんの努力で、一度、保存し、新たサーバーを見つけて出直すことになり、ひとまず安心した。立ち上げてほぼ10年になるが、表紙に書いている方向性はまったく変わっていない。わたしの遺書でもあるので守っていきたいが、閲覧者との交信が出来ない状態になっているのでこれを何とかしたい。PR送信が日に何千件も入り、削除すると大変な労力になるので入れないようにしてしまった。これはわたしのメールに来るように変えたい。
閲覧者の方にはご迷惑をかけましたが、来年もよろしくお願いします。
今日は俳句の会の忘年会です。上記の句を出しますが、どんな評価を受けるかハラハラドキドキです。現実は誰もそうでしょうが、自分で満足してても相手は共感してくれない場合の方が多いのです。俳句の場合でも五つに一つくらいは良いと言われます。自己満足の小説を長年書いて来たので文章には慣れていますが、やはり人間の心の奥深さ、日本語の微妙な意味合いに触れて、考えが深まり、人工知能がこれに対抗できるか疑問になってきました。
魔性の女、という言葉が流行ったことがあるが、人間の心、人間そのものが魔性を持っている。原爆で一瞬にして地球の破壊が出来たり、世界のどんな人ともネットで話したり、美味しいものを毎日食べたり、宇宙にまで行くことが出来る生物なんて、野生生物からみれば魔性の怖さを秘めているとしか言いようがない。
特に、(愛)の持つ摩訶不思議さ、不条理性は魔性の格別な例である。
(愛の型)を自分なりに考えてみた。依存型(親子関係、男女が経済的に依存する場合)、服従型(封建制度における服従)、対等型(普通の好き嫌いの関係)、尊敬型、同情型(同情心から生れる愛)、幻想型など思いついたが、ここでは幻想型を取り上げたい。ある男と女がいる。二年間も付き合っているが性的関係はなく、趣味や考え方は共通項が多く、話していると時間を忘れて楽しい。女は男が自分の弟みたいに可愛いといつも言った。男には離婚する予定の妻がいて、彼女は夫の女関係を絶えず監視している。女は未亡人であるが男の妻を意識し、不倫になることを警戒している。
ある時、女は他の男と性的関係を持った。行きづりの出来事で、一か月で別れた。そのことを付き合ってる男に正直に詳しく話した。男は電話で、頷きながら聞いていたが、その夜から胸の中に不燃物を抱えてむかつき、腹が立った。単なる嫉妬心であったが、彼は自分の嫉妬心にも腹を立て、二重の怒りを抱え込んでしまった。女が(悪いことをしたの。ごめんなさい、言いにくいことだけど)くらい言って、話せば良いものを、あそこが大きくて入るのが怖かった、など淡々と話し、性に対する恥じらい謙虚さも感じられなかった。その無神経さがまた、男に不快感と怒りを加えた。
絶交すると、男は女に言ったが、(付き合ってください。お願いします。どうしても嫌なら・・)と女は男に言った。(俺を愛してるのか?)と問うと、(愛、とは違う。好きなのよ)と答え、好きということは愛してるのではないか?と問うと、それとは少し違う、心を許せる、身内みたいな、感じだと言う。
男は女と離れている時には恋心を生じるが、傍にすると、おしゃべりはよくするが手を握りたいとも思わない。(二人でドライブした日、手を握る機会はあったのに一度も握ってくれなかった)女は男に言った。
男は(恋に恋して)いたのだ。幻想に酔わされていたのだ、彼は最近、わたしにそう言った。自分の心がわからない、とも言った。実体よりイメージの喚起力の方が強いのである。わたしも含めてほとんどの人は政治の世界、芸能人の世界、社会の動き、噂、人との関係などにおいてイメージに支配されている。良いイメージを作った者が勝ちなのである。
若い頃は夢を見ない日はなかった。東京にいた頃は、実家の福岡の川で魚を掬ったり、昆虫をとる夢ばかりであったが、東京を引き揚げて福岡に戻ると、相模原のボロアパートで隣同士でありながら夫婦関係になった子ずれ女との生活の夢を何度も見た。
69歳の近頃は夢を見る数もすっかり減り、三日に一回くらいになった。これが進むと夢も見なくなるだろうし、現実の希望である方の夢も同時に消えていく。
4,5歳の頃であるが、当時・昭和三十年の頃は一番楽しかった。近所の同年齢の子供の家に行き、上がり込んで親の居ない隙に悪遊びをした。タンスの引き出しをあけて、口紅を取り出して自分の口に塗り、鏡に映る自分の顔をみたり、ペッサリー(女がつける避妊具)を見つけ出して風船にして膨らませたり、エロ雑誌を父親の机の引き出しから見つけ出したりした。
小学校に入る頃になるとそんなことも出来なくなったが、お医者さんごっこの夢を何回も見るようになった。隣の家に可愛い女の子がいて、何回か性交のまねごとをしてたから、またやりたくてうずうずし、夢の中に現れたのだった。そこでは現実の意志が働き、幽体離脱して隣の家に行き、やってしまう。射精してパンツが濡れたように思う。
夢をみながら意志が働いたのであった。幽体離脱という現象はこのことだと思う。フロイトは夢とは意識下に抑えられたものの出現だと書いているが、無意識の意志なのである。夢世界の中で自分のやりたいようにやれたら素晴らしいと思うし、そうなると現実世界などどうでもよくなる。
夢を見るようにあの世に逝けるかもしれない、それはわたしにとってもう何年か先のことである。」
若い頃は夢(睡眠中の)を見ない日はなかった。東京にいた頃は、実家の福岡の川で魚を掬ったり、昆虫をとる夢ばかりであったが、東京を引き揚げて福岡に戻ると、相模原のボロアパートで隣同士でありながら夫婦関係になった子ずれ女との生活の夢を何度も見た。
69歳の近頃は夢を見る数もすっかり減り、三日に一回くらいになった。これが進むと夢も見なくなるだろうし、現実の希望である方の夢も同時に消えていく。
4,5歳の頃であるが、当時・昭和三十年ころは一番楽しかった。近所の同年齢の子供の家に行き、上がり込んで親の居ない隙に悪遊びをした。タンスの引き出しをあけて、口紅を取り出して自分の口に塗り、鏡に映る顔をみたり、ペッサリー(女がつける避妊具)を見つけ出して風船にして膨らませたり、エロ雑誌を父親の机の引き出しから見つけ出したりした。
小学校に入る頃になるとそんなことも出来なくなったが、お医者さんごっこの夢を何回も見るようになった。隣の家に可愛い女の子がいて、何回か性交のまねごとをしてたから、またやりたくてうずうずし、夢の中に現れたのだった。そこでは現実の意志が働き、幽体離脱して隣の家に行き、やってしまう。射精してパンツが濡れたように思う。
夢をみながら意志が働いたのであった。幽体離脱という現象はこのことだと思う。フロイトは夢は意識下に抑えられたものの出現だと書いている。
(レア仲間)の前身である(レア・ピープル)から振り返ってみると、およそ10年が経っている。仲間は原田氏だけで増えず、私一人がブログや写真、小説、ビデオを投稿してきた。まさにレアであり、仲間は出来なかった。わたしは閲覧者数を毎日確認してきた。日に二千人もの数が出て、驚き喜ぶことがあったが、広告文を入れようとした連中が紛れ込んでの数字であった。
HPを作ってくれた森本氏が失踪してしまった。事情は知っているがここでは書かない。彼がサーバーであったので、その元受けとの契約が切れると(レア仲間)は自動的に消滅してしまう。新しいHPを作ってもらい、そこにデータを移行しなければならないが、わたしの気持ちは揺れ動いている。人間心理や社会を物理化学的に考えてみる、という当初の目的はある程度までの試行を得たが、わたしだけの能力ではそれ以上には進められない。
HPがいつ消えるかは元受け教えない。
わたしの寿命と同じく何時死ぬかわからない状況で書いていく。
