ブログ - 日記カテゴリのエントリ
スマホで遠方の人と話したり、自分の部屋を警備したり、仮想通貨が出来たり、仮想で旅をしたり、恋愛をしたり、自動運転で移動したり、AIの友達や介護者ができたり、今の時代の変化は興味深いと同時に空恐ろしい。これは間違いなく、ITからAIへの革命である。
株式投資をしているので偶然、仮想通貨の開発に加わった会社の株を買い、これまでの損をほんの少しだけ取り返した。仮想通貨について勉強した。口座を開いて、円で仮想通貨を買い、仮想通貨を持っている店や会社とスマホで決済が出来る。通貨自体は存在せず、数字だけが動く。発行量は決められているので現金を脅かすことは無く、海外との取引にも税金はかからないが、仮想通貨の相場の値動きは激しい。何年か前に買った2千円が二千万円になって儲けた人もいるし、仮想通貨の暗証番号を盗まれて閉鎖された取引所もある。株券を買うようなものだから、ギャンブル好きの人には良いだろう。世界共通の通貨であるから、為替による変動もないから便利である。相場で値動きするのでそれによって会社の売り上げや利益が変動するので不安定でもある。
認知症や精神障害者には薬ではなく、AIによるマインド・コントローラーが与えられ、日常生活の的確な動きや会話を代行してくれるであろう。すると彼らは障害者ではなく、健常者になって社会復帰するであろう。AIが新人類になり現人類は旧人類になる。
5年以内にその方向ははっきりし、新人類による世界支配が実現するであろう。50年前、私が20歳であった頃には固定電話やテレビや無線が貴重なものであったし、その頃から見れば、スマホは超能力機械である。この時代の流れは誰にも止められないし、政治でさえついていくのがやっとである。
私の父は76歳で亡くなったので、私はあと5年は生きるであろう。
そこで仮想の妻に出会い、楽しい生活が出来る事を夢見ている。
NHKの仕事を辞めて、5年になる。ときどき、その時に出会った人のことを思い出す。仕事は夢中になってやっていたが、NHKを観てももいない人、必要としてない人、また生活の苦しい人から、法律で義務付けられています、といって強制的にもらうことには心を痛めていた。
スティーブ・ウオールというアメリカ人の家に2か月に一度集金に通っていた。若い男だった。小柄で痩せていて、キリスト教の宣教師であった。私は英語が好きだったので下手な英語でも話すのが楽しみであった。「今の私はこの仕事が辛いのです」ある時、そう言った。すごく身軽な男で私がチャイムを押すと、玄関から現れ、片手をついてジャンプし、1メートルもある塀をひょいと乗り越えて私の前に立っていた。
彼は、「あなたはもう少し上手に英語を話せるようになったら良いんだけどね」と言いながら、4680円の金を出した。
そして、次のように言った。
「あなたの仕事は誰かがしなければならないのですよ、必要性があるのです」
私は助けられた気持ちになり、それから23年間その仕事を継続したのだった。
NHK営業部の職員で、東大卒の若い男がいた。彼らにはノルマもなく、厚遇されていたが、週に何日かは外に出て、クレームへの謝罪や集金、契約取りをした。彼はある時、「俺はこんな仕事をするために東大を出たのじゃない」と言って、他の部署に異動した。その言葉は一般的に言ってそうであろうがわたしはスティーブ・ウオールの言葉を思い出し、東大の男は賢くないと考えた。社会には学歴偏重、学歴崇拝の価値観が続いているが、それであれば従業員をすべて東大卒にすれば会社や組織は繁栄するであろうか?いや、潰れる、と思う。集団や組織には誰もやりたがらない部門がある。業者に任せれば良いであろうが、その部門には価値があるのである。NHKであれば、視聴者と直接対応することで彼らのNHKへの見方がわかり、改善の材料になるのである。
読者に言いたいのです。色んな仕事をしてる方がいらっしゃますが、あなた方の仕事には社会の必要性があるのです。必要性があるから仕事として成り立っているのです。
5年前の今頃を時々、思い出す。2,3年前までは、自分が死にかけ、頭のおかしくなったあれらの出来事を思い出して、涙することもあったが、近頃は忘れかけて、医者から禁じられていた酒も飲んでいる。あと何年生きるかもわからないし、死ぬことを半ば望んでもいるが、最後の野望を懐に忍ばせている。(命の党)?(自然の命・人の命)という政党を立ち上げたい。書けば長くなるので単純化して言うと、人間は自然と闘って征服したまでは良いのだが、それが破壊に進み自らも破壊されている、その状況に加えて人工知能が進み、自動運転車、仮想通貨など想像も出来なかったものが現れ、どんな方向に進むかわからず、政治でさえ追いつけない現代である。もう一度、人間の命、自然の命を振り返り、自然の法則、秩序を学び直すべきではないか!政治や政策を見直すべき時期である。
話を最初に戻すと私は健康で大食いであった。大学ではA定食、B定食、カレーライスを一人で食べていた。いつか体を壊すよ、と注意されていたが、野菜もたくさん食べ、運動もよくやっていたので健康を壊すはずはないと考えていたが、65歳にして心筋梗塞を起こし、バイパス手術を受けた。退院後は糖質制限ダイエットをやって、糖尿病もなおり、現在まで健康を保っている。
もっと若い頃に大病を患っておれば、健康管理に早めに取り組めたのに・・、と考える時がある。もし悩みや不幸ごとを持っている人がいたら、(失敗は成功の元)と、視点を変えてみてはどうか、と思う。
毎日が暑い。部屋にエアコンがないので気温は室内で35度になり、外は38度くらいになっている。暑い時には暑さに徹することにしているので汗をたくさんかき、たくさん水を飲むことにしている。
広い敷地をビルの三階ほどにも高い木が囲んでいて、電話線や電線に触れそうになっているので毎日枝切りをしている。10分もチェーンソウで切ると全身が汗びっしょりになる。冷蔵所で冷やした井戸水を飲むと美味いし、風が吹き付けて顔の汗を吸い取ってくれるとすごく気分が良い。
ラジオやテレビでは、戸外に出ると熱中症にかかりやすいので室内のエアコンをかかりましょう、と絶えず呼び掛けている。わたしはそんな声に無関心である。エアコンが普及しなかった頃、日射病という言葉があったがそれににかかる者はほとんどいなかった。最近のビルの造りなどは一枚窓になっていて、最初から外気を入れず空調設備に頼るようになっている。人々は産まれた時からエアコンの中で生活するようになっており、自分の体で体温調節の出来ない構造にされている。(エアコンで熱中症になり、エアコンで治す)という不可解な社会である。資本主義のヤラセの構造である。戸外に出る者も少なく、通りは閑散としている。寂しい時代である。
今さら資本主義を撤廃することは出来ないが、もう少し、自然を基盤に据えた考えや行動を取り戻すべきである。
わたしの出た高校が高校野球でベストエイトに残ってることを耳にした。テレビの電源を入れたが、白黒粒子ばかりが出て画像が出ない。番組など一年間もまったく見ておらず、エロビデオばかりしか見ないので、テレビもおかしくなったのであろう。
ラジオをかけると、福岡県での決勝戦が始まっていた。相手は強豪だから負けるだろうと思っていたが、なんと3?1で勝った。およそ20年ぶりの甲子園出場である。
高校時代を思い出すと、野球部員が二人いた。顔が赤く日焼けし、他の生徒とは異なっていた。授業中は机に頭を伏せて居眠りばかりし、放課後に息を吹き返していた。わたしは歩きながらも英単語のカードを見、憶えようとする学園生活であった。大学を出て、職に就くと、うちの家系から集金人が出た、と叔父に言われ、劣等感に輪をかけられた。
元気の良い、多感な時代をスポーツで過ごしたその二人がどんな人生を送ったか知らないが、わたしは羨ましさしか覚えない。あの時代を恋やスポーツや文芸で送れたら素晴らしかっただろうと考える。部活をすることさえ両親から許されなかった。
高校野球を聴き終えて、自分の余命を考えていた。庭でたくさんのクマゼミがやかましく鳴き、高校野球の応援、声援の音頭を取ってるかのようであった。
毎週、パソコン教室に通っている。ITボランティア岡垣が運営してくれているので、教材費500円で受講できる。只同然なので私はボランティアの人にすごく感謝している。車の免許を取るのに一年間もかかった私だから、驚異的な記憶力の悪さに唖然とするばかりであるが、隣席の同年齢の男が言うに、(先生、私が死ぬまでにマスターできるでしょうか?)と訊くと、(無理でしょうね)とすげなくいわれたと言い、わたしは自分を振り返り苦笑するばかりであった。ワード、エクセルと一か月間で初級をマスターするように授業が組み立ててあるが、100の内容のうち、1くらいしか頭に残っていない。
近頃はマイクロソフトのツールの体系づけけ、組み立て、重要度順への並べ方のまずさに気づいた。ソフトの年式によってもツールバーが異なり、相手も悪いことに気づいたのだ。わたしのパソコンは古いので帰宅しても、授業の復習も出来ない。こんなツールバーにすれば憶えやすいのにと考えるが、一つの操作に対して、3,4通りのやりかたがあり、また混乱してしまう。
マイクロソフトは独占企業なのである。パソコンを買った時にすでにソフトが組み込まれている。これが世界を制覇した原因であるが、マイクロソフト自体がアメリカの国策企業であり、日本のメーカーにも参入させなかった。それで世界を制覇した。もし、反米的な国家があればネットの通信を遮断することも出来るであろう。
パソコンが使えなくなれば政治・経済も生活も破綻してしまう。ウイルスの問題どころではない。恐るべき時代である。
この一年間くらい、住んでる町から外にほとんど出なくなった。山歩き、野菜作り、草刈り、植木の選定などでほとんど一日を費やすが、自然を見る目が養われていることに気づく。先日は家の前の川に蒲の穂が生えていたので、採り、産直店に出した。一本が百円で5本が売れた。
欄間のあるような和室に生ければさぞ映えるであろうが、蒲の穂はそれを知ってあんな顔形になったのであろうか?と、考えた。花には様々な種類があるが、すべて美しいし、美しくなることで蝶や蜂を呼び、蜜を与えることで交配し、種が出来ていく。人間の場合と同じであるが、醜い花は存在しないし、醜くて蝶や蜂を呼べなければ絶えてしまう。人間の場合もどんな異性も相手にしたくない者がいれば、絶えてしまうのと同じである。
蒲の穂やススキなど美観を意識してあんな姿になったのであろうか?
人の美観に通じているのであろうか?それらには花はつかず、株で増えるのであるから美観など必要がないが、蒲の穂の顔を見ているとつくづく(風流)を感じてしまう。
(風流を知りて揺れしか蒲の穂や)
月に2,3度、英会話教室に通っている。英語のイントネーションは音楽を聴くような心地よさがあって、中学生の時から好きであった。教師はアメリカ留学から帰って来たばかりの若い女の人で、授業は最初からすべて流暢な英語で話し、私は異国の言葉に聞き入っていた。大学を卒業すれば商社マンになりたかったが、私の学力も低く、結局は進路を見つけられなかった。
国際交流会の運営している英会話教室はミス・ティユリンという若いオーストラリア人・女性が講師であるが、授業は生徒の好奇心と思考力を刺激し、物忘れの始まった私を鼓舞する内容である。先週は、何か変わった事はありましたか?話してください、といういつもの内容から始まり、わたしは大雨で木や草が元気になって、選定や草刈りに忙しい、と答え、彼女はその英語を理解し、生徒の中には大雨で菜園が壊された人もいる、と答えた。すべて、英語でやり取りする。
次に彼女はパソコンのプロジェクターを開き、アニメを二分間ずつ、二度上映した。父親が家の机に向かい、山積みになった書類をパソコンに打ち込んでいる。6,7歳の息子はそれをぼんやり見ている。翌朝、父親は出勤し、疲れた足取りで他のサラリーマン達と会社に向かって歩いている。
そばの公園ではバイオリン弾きがうっとりした顔でバイオリンを弾いている。
アニメはナレーションも会話をいっさいなく、画像のみである。
(この作者は何を訴えたいのでしょうか?)
ミス・テュリンは60歳前後の生徒達に向かって言った。
わたしはすぐにはわからなかったが、やがて言った。
(父親も息子も不幸である)
(何故ですか?)
彼女は尋ねてきた。
(物質主義、資本主義が彼らの心を壊している)
と言いかけて、物質主義と言う英語が浮かばず、半端な答えしか出来なかったが、彼女は理解したようであった。
(この授業はミス・ティユリンが自分自身で考え出したものですか?)
(アニメはウェッブから取ったが、全体は自分で考え出した)
(それはすごい!)
こんな内容で一時間半の授業はあっという間に終わった。
今の学校教育は昔の暗記主義から脱出し始めているであろうが、まだ点数主義に振り回され、社会に出た場合の成果主義の予備軍になっている。物事の本質に立ち向かう思考力を奪い、コミュニケーション力や個性への評価はしない。学校自体が一般開放され、世間の人が自由に授業を観察し、生徒にもなれるようにすべきである。公開状態になればイジメもなくなるに違いない。
この女性は70歳を過ぎた人だが、近所に住んでいるので詳しくは書けない。A子と呼んでおこう。わたしは彼女の主人と友達であったので親しく付き合うことになったが、彼女の人生の軌跡を知るたびに人間とは人生とは不思議なものだとつくづく思う。
彼女は商売をしていて、従業員の女が金に困り、借金の連帯保証人になった.悲劇の始まりであるが、彼女の優しさと義侠心は人生のどこかで悲劇を生むか人になったと考えられる。金を借りた女は返せずに自殺まで計りかけたが逃亡してしまった。A子は金を返せず、家を売ったがそれでも借金は残っていた。主人は超一流企業の管理職であったが、給料でも返済は追いつかなかった。彼女は友達から生活費を借りるようになった。彼女は、自分は美味しいものを食べなくても人には食べさせるタイプなので、商売も利益を抜きにして客に振舞った。多重債務者になり、数十人から借金したが、それはよほどの親しみを持たれていたのだと考えてしまう。わたしなど貸してくれる人はいないし、借りる気持ちもないが。ある女はA子は見栄っ張りだと陰で言った。自転車操業になり、彼女の噂話好きも加わって、客は離れ、店をたたんんだ。同時に彼女の体調は壊れ、白内障にかかった。わたしは彼女の借りてる家の連帯保証人を頼まれ、いつも、(一人で食べるのは寂しいでしょう?食べにおいで)と言われていたこともあって引き受けてしまったのだった。一年後から家賃の滞納が始まり、私は不動産屋から請求され、払わないでいるとついに簡易裁判所に呼び出されることになった。被告席に座るのだ。結果的にA子はまた借金して払ったが、なぜ、自己破産をしないのか?と尋ねると、そうしたら借金を返せなくなると言い、わたしは彼女は返したいのだと考えた。亭主は年金生活に入っていたが、三つのアルバイトをこなし、年金も借金の担保に取られていた。
A子は大きな借金を返し終わり、白内障の手術もし糖尿病も快方に向かっているが、借金は片付いていない。少しずつ返している。
わたしは優しさが悲劇を生んだのだと考え、小説の主人公にするのであればその観点からとらえてみたい。
都議会選において自民党は惨敗し、小池派が圧勝した。権力の交代、循環であり、良いことである。議会においてチェック機能がなく、議案が脚本通りに進むというのは一党独裁でしかない。全国地方議会はほとんどがこのようにして進んでいるのが現状であり、小池氏はそのことも問題として取り上げている。
先日、岡垣町のある議員と出会い、話をした。
「あなたは駅南開発の議会において、地下通路の建設は八幡のある街でも利用者が多くて成功してるといったが、通路が出来て半年になる今、日に何人が通っているのですか?」
「通っている人はいます」
「何人くらいなんですか?町の予算の三分の一以上も使った開発じゃないですか?自分で答弁したのなら人数くらい調べるべきじゃないですか?」
「・・・」
実際、地下通路三十分間に二人くらいしかと通っておらず、南口の道路も車は二十分に一台しか通っていない。
「自分の答弁に責任を持つべきじゃないか!」
「あなたにそんなことを言われる筋合いはありません」
彼は言って、去った。
これが現実であり、彼は隣町の役場の職員をやっていたが退職し、年金も少ないので議員になった男である。この町を良くしたいからではない。
(町会議員がいるのといないのとではどんな違いがでますか?)
今度、会ったら訊いてやろうと思う。