ブログ - 日記カテゴリのエントリ
東京で遊学生活をしている頃、街には屋台や角打ちがたくさんあった。屋台でおでんを食べ、コップで日本酒を飲んだ時、その美味しさと雰囲気に魅了された。ある時、コップ酒を傾けていると、隣の席に男の大学生が腰を降ろし、社会問題や政治について話をした。彼は早稲田大学の西洋哲学科に学んでいて、思想的なことで悩んでいたが、解決し、ノイローゼは治ったと言い、トローリー・バスの車内清掃を紹介してくれた。
そのバイトを始めたころ、彼はわたしに、今日はあなたを待ってる人がたくさんいるから、来ないか?と誘い、わたしはある家に行った。十人ほどの男女がいて、宗教の話を始めたが、わたしは自分が勧誘されたことに気づかなかった。
彼はわたしに宗教の機関紙(聖教新聞)を皆の前で読むように言い、わたしは読み始めた。ところがドモリの癖があるので、言葉が時々つかえた。
(皆はすらすら読めるのになぜあんたは、つかえるのか?あなたの先祖が悪いことをしたから因縁がそうさせているのだ)
彼は言い、わたしは戸惑った。
(創価学会に入って、お祈りすれば治るから、入りなさい)
と言って、入会させられた。
わたしはお寺に連れて行かれて金を払い、お札をもらいお祈りをするようになった。疑問が絶えず湧いた。彼は、ご本尊様を信仰すれば何でもできるのです。東大に通ることだった出来る、というがわたしは疑問を持った。受験生の全員が信仰すれば定員の枠を超えてでも合格するのか?そんなことはありえないではないか?
それをと言うと彼は返事が出来なかった。
わたしがお祈りをしなくなると、会員が何度も私の部屋を訪ねてきたが、わたしは断った。わたしの障害を餌に勧誘した彼に腹を立てたと同時に、人生が良くなるなどと合理性の見えないことを言い、皆が日蓮正宗を信じれば世界は救われると言う都合の良いことを言うのが信用出来なかったのだ。
その勧誘は(折伏)と言われ、全共闘活動が盛んな当時、その隙間を縫うように入り込み、今では国会議員も出し、公明党になって自民党の(茶坊主)として、活躍している。政教分離の観点から、さんざん攻撃されたが今、創価学会や公明党のスキャンダルはマスコミに全く出ず、学会員は一時は国民の一割を占めるほどに増えた。スキャンダルを報道したりすれば、報道局や出版社の電話がパンクするほどの電話がかかって来て、妨害されるという話を聞いた。恐ろしいほどの存在である。
当時、28歳の頃、神奈川県相模原市のボロアパートに住んでいた。便所は汲み取り式で風呂もなかった。東京部品工業と言う会社でトラックのブレーキの組み立て作業をしていた。臨時工であった。2交替制だったので、その日は昼間まで寝て、15時頃から出勤するつもりで、布団で寝ていた。
玄関ドアの方で女の声がした。当時、女に縁のなかったわたしは布団の中で不思議に思いながら、ドアの内鍵をしていなかったことを思い出したが、布団から起き出さなかった。
すると、「まだ、寝てんの?起きなさいよう、お日様も出てるじゃない」と馴れ馴れしい声と同時に、二人の中年女が上がり込み、寝床のそばに寄って来た。わたしは驚きながらも、起き上がり、布団を押し入れの中に入れ始めた。
「あーら、こんな時は女を布団の中に引っ張り込むのよ」一人が言った。
わたしは関心を持ったが返事をせず、二人の女に思い当たる節はまったくないことに気づいた。
わたしが電気炬燵を兼ねたちゃぶ台を出すと、女達は当たり前のような顔をして、腰を下ろした。
「生命保険の勧誘なのよ」一人が言い、名刺を差し出した。
わたしは理解し、無礼さの非難はしなかった。
わたしは出勤のことを考えて、台所に行った。
イワシの煮つけを作り、キュウリの酢の和え物をちゃぶ台に置いた。一人の女は「あーら、美味しそうだわね」と言いながら、楊枝でキュウリを摘まみ、食べ始めた。
それから、生命保険の勧誘の話を始めたが、わたしは全く関心がなかった。
女たちは関心のないことを知ると「今度、来た時はお願いね」と言って帰って行った。
彼女らが再び、訪れることはなく、それだけのことであったが、キツネにつままれたような気分が残った。
不法侵入になるになる出来事であるが、当時はそんなことも見逃される時代であった。後に、(枕仕事)と言う言葉を耳にし、その意味がわかるようになった。
今のカラオケ教室に通い始めて3年ほどになるが、私の歌は観客に満足感を与えられるほどに成長しているようだ。そこに入る前の教室は老婆ばかりが20 人ほど居て、姥捨て山みたいな暗い雰囲気だった。男は私一人であったが、男が入ったがために先生が男歌を用意し、彼女らは女歌が一曲しか歌えないようになった、何故あんな男を入れたのかと陰口を叩かれ、会に紹介した女との関係はどうなのか?と詮索された。ところが、会長のなり手がないので私に会長になってくれと前会長から言われ、仕方なく引き受けた。当日、会長申請のため、私の印鑑が必要だった。前会長はそれを私にケイタイで伝えれば良いものをそれをすると、自分と男女関係があるように邪推されと考え、私がカラオケ教室に行った時に、印鑑が必要だということを私に伝え、家に取りに帰らせた。わたしはその会を紹介した女にも印鑑が必要なことをなぜ私に私に電話しなかったのか?と抗議した。そんなことをしたら二人の関係(実は関係はない)が疑われるれると言われ、わたしはついに頭に来て、脱退した。
パソコン教室の講師をしている女先生がカラオケ教室も開いていて、私はそのパソコン教室に通っていた。そんな嫌なことがあった、と彼女に言った。彼女から勧められてそのカラオケ教室に通うようになった。54歳のこの先生は姥桜のカラオけ教室の生徒たちと全く異なり、女性起業家支援の会社を経営し、大学で男女共同参画者の講義を持ち、歌謡界との交流も持っていた。仕事は超多忙で徹夜の仕事が度々あっても元気いっぱいで、しょげているのをみたことがない。
私は前のカラオケ教室で曲をしゃくり上げる癖をつけていたが、彼女はそれを熱心に直してくれた。3年間、かかった。歌ってる時に彼女から肩を思い切り叩かれたり、指で肩を強くつねられたこともあったが、わたしは彼女の熱意であると解釈した。
一年半前、発表会があり、無事に終わった。料亭で、打ち上げをした。飲んで騒ぎ、皆で送迎バスで帰る時のことであった。
(先生、気を付けよう、甘い言葉と夜の道、という言葉を知ってますよね?)と私は尋ねた。彼女は知ってると言った。(先生もその言葉に気を付けて帰って下さいね)というと、(ありがとう。わたしはそんなことを言ってくれるあなたを好きよ)と答えた。
私は酔った勢いで冗談のつもりで次のように言った。
(ただし、先生、帰り道で男を襲わないでくださいね)
私は言い、皆は黙っていた。
彼女は美形でスタイルもよく、舞台では裾弾きの着物などを着、厚化粧をして女心を切実に歌うが、女の色気はあまりない。男のような気性でありながら、魅力的な女でありたいと願っていることがわかる。
そこで、彼女はわたしの皮肉った問いに次のように答えた。
(わたしは男みたいだとよくいわれますが、仕事のために女を捨てたのです)
彼女言った。
私は納得したが、男と女がいっしょに仕事をすることがいかに難しいかを知った。
今日の新聞、テレビ、ネットのニュースには北朝鮮が6回目核実験をしたことがトップで出た。ICBM用水爆成功、と載っている。有識者や記者の意見もたくさん載せられていて、経済制裁、北朝鮮・米国・日本が対話をするべきなどとも書かれ、ついには北朝鮮への軍事攻撃(毎日新聞)さえ書いた識者もいた。非常事態なのであるが、わたしは違う意見・対策を考えた。北朝鮮、韓国、日米はいつやられるかと被害妄想になっているのだが、そのことには言及されていない。そこなのである。上記の四カ国が日本も含めて相互不可侵条約を結ぶことを提案すれば引き受けると考える。そして、国連軍を募り、北朝鮮に対して世界が闘うという姿勢を見せれば良いのである。
緊張が収まった状態で北朝鮮の独裁政府の保全を認めてやり、それからは様々な手がある。北朝鮮に開放を促し、国との交流が出来れば、北朝鮮人民は民主主義の快適さを知り、金正恩を追放するか殺すであろう。現段階で北朝鮮との対話を持ち出す者もいるが、北は核保有を認めることが前提だと言い、アメリカは破棄することが前提だと言い、これでは話し合いの場が持てるはずはない。
今の状況は日本が真珠湾攻撃をした前夜に似ている。当時、日本は資源不足の上にアメリカから経済封鎖を受けていた。そんな歴史に学ぶべきである。
山道をほぼ毎日散歩する。往復で一時間半もかかる。いつものコースの中ほどまで来ると、木の根が道に何本も張り、小石が靴の裏に潜り込み、凸凹地面になっていて足を取られる。散歩ではなく、(行)に近い。人一人がやっと通れる道幅であるが、誰とも出会わず、イノシシの子が横断して消えたことがあった。
そこまでの登坂の所で、おしゃべり鳥がしゃべっている。十分も二十分も可愛い声でしゃべり続けている。何をしゃべっているの?と訊いてみたくなるが、言葉を覚え始めた人間の子供のようにしゃべることが楽しくて仕方ないのであろう。山の中で響くとまるで音楽のようだ。わたしも釣られるように、カラオケ教室で習っている演歌を歌う。まったく良い気分である。そこが帰り道になり、脚が楽になり、下から向かい風が吹いてくると、爽やかになり、おしゃべり鳥は違う山中で鳴いているのがわかる。
スナックのママをやっていたある女が私に言った。?あんたは屁理屈屋だから女にもてないのよ。
このブログに書いてるようなことを時々、しゃべるからそのように解釈されるのであろうが、わたしはおしゃべり鳥のようにしゃべり続けるつもりである。
我が家の庭では、8月中旬から栗の木が実を落としている。一番先に、中に実のないものが落ち、自ら間引いている。庭には三本の木があるが、毎日、両手に入らないくらい落ちていく。手慣れたわたしは栗の割れ目を見つけ、そこに火箸を突っ込んでえぐり出す。2,3個とこぼれ落ちてくる。
不思議だな?と思う。イガイガ頭をして人を寄せ付けないようにしていながら、割れ目を見せ、突っ込むと、どこか遠くに運んでよ、と言いたげに身を任せる。まるで人の女みたいではないか?頑張る男、知恵のある男の子供しか産まないと言う考えであろう。山の果実の中でドングリやシイノミなども硬いが、栗ほどの抵抗感の強いものはない。
産直店に出しても売れ行きは良くない。買った人も包丁でまず硬い外皮を剥き、次に内皮まで剥くのは大変である。ところが、そこで頑張って皮を剥き、栗ご飯など作ってみると、何とも言えない味が味わえるのだ。
11月まで落ち続けるであろうが、今日はどれだけ落ちたか?と見てみる楽しみがある。来月には柿の実が熟し、次に銀杏がたくさん落ちて来る。我が家族たちは一年中、子を産み続ける。
米国の白人主義者の言動がマスコミに流され、それに賛同したトランプ大統領が追及されてるように優生思想思想はナチズム発生、80年がたっても衰えない。源流はダーウイニズムにあるのであるが、日本では山百合学園で19人が殺傷されというとんでもない事件が起こった。加害者は優生思想に感化された若者であった。
ヘイト・スピーチなども優生思想の一つである。日常生活においても絶えず人を非難し、悪口を言う人がいる。そのことで自分が優者であるような錯覚を覚え、また周りに与えて満足し、自己の劣等部分を隠す手段に依存してる。当人はそのことに気づかない。
(実像)と影の関係を考えてみれば優生主義者たちの言動の矛盾が見えてくる。太陽の日の下に立てば必ず、実像と影が映る。どちらも同じものである。もし、影が消えたとすれば実像も絶対に消える。双方は依存し合い、互いの分身なのである。優者と劣者と言う考えは二項対立で捉えなければならない。劣者は優者に、(誰のおかげで優者でいられるのか?)と言ってみれば良い。わたしの通っているカラオケ会にも音痴の老男がいて、聴いていると具合が悪くなりそうな歌い方をする。あんたは音痴だから人前で歌ってはいけない、と小学生の時担任の女教師に言われたらしいが彼はカラオケが大好きなのである。良いことではないか!わたしもうまくはないが、彼の後に歌う時は気持ちに余裕が出て、うまく歌えてるみたいである。わたしは彼に感謝している。
スマホで遠方の人と話したり、自分の部屋を警備したり、仮想通貨が出来たり、仮想で旅をしたり、恋愛をしたり、自動運転で移動したり、AIの友達や介護者ができたり、今の時代の変化は興味深いと同時に空恐ろしい。これは間違いなく、ITからAIへの革命である。
株式投資をしているので偶然、仮想通貨の開発に加わった会社の株を買い、これまでの損をほんの少しだけ取り返した。仮想通貨について勉強した。口座を開いて、円で仮想通貨を買い、仮想通貨を持っている店や会社とスマホで決済が出来る。通貨自体は存在せず、数字だけが動く。発行量は決められているので現金を脅かすことは無く、海外との取引にも税金はかからないが、仮想通貨の相場の値動きは激しい。何年か前に買った2千円が二千万円になって儲けた人もいるし、仮想通貨の暗証番号を盗まれて閉鎖された取引所もある。株券を買うようなものだから、ギャンブル好きの人には良いだろう。世界共通の通貨であるから、為替による変動もないから便利である。相場で値動きするのでそれによって会社の売り上げや利益が変動するので不安定でもある。
認知症や精神障害者には薬ではなく、AIによるマインド・コントローラーが与えられ、日常生活の的確な動きや会話を代行してくれるであろう。すると彼らは障害者ではなく、健常者になって社会復帰するであろう。AIが新人類になり現人類は旧人類になる。
5年以内にその方向ははっきりし、新人類による世界支配が実現するであろう。50年前、私が20歳であった頃には固定電話やテレビや無線が貴重なものであったし、その頃から見れば、スマホは超能力機械である。この時代の流れは誰にも止められないし、政治でさえついていくのがやっとである。
私の父は76歳で亡くなったので、私はあと5年は生きるであろう。
そこで仮想の妻に出会い、楽しい生活が出来る事を夢見ている。
NHKの仕事を辞めて、5年になる。ときどき、その時に出会った人のことを思い出す。仕事は夢中になってやっていたが、NHKを観てももいない人、必要としてない人、また生活の苦しい人から、法律で義務付けられています、といって強制的にもらうことには心を痛めていた。
スティーブ・ウオールというアメリカ人の家に2か月に一度集金に通っていた。若い男だった。小柄で痩せていて、キリスト教の宣教師であった。私は英語が好きだったので下手な英語でも話すのが楽しみであった。「今の私はこの仕事が辛いのです」ある時、そう言った。すごく身軽な男で私がチャイムを押すと、玄関から現れ、片手をついてジャンプし、1メートルもある塀をひょいと乗り越えて私の前に立っていた。
彼は、「あなたはもう少し上手に英語を話せるようになったら良いんだけどね」と言いながら、4680円の金を出した。
そして、次のように言った。
「あなたの仕事は誰かがしなければならないのですよ、必要性があるのです」
私は助けられた気持ちになり、それから23年間その仕事を継続したのだった。
NHK営業部の職員で、東大卒の若い男がいた。彼らにはノルマもなく、厚遇されていたが、週に何日かは外に出て、クレームへの謝罪や集金、契約取りをした。彼はある時、「俺はこんな仕事をするために東大を出たのじゃない」と言って、他の部署に異動した。その言葉は一般的に言ってそうであろうがわたしはスティーブ・ウオールの言葉を思い出し、東大の男は賢くないと考えた。社会には学歴偏重、学歴崇拝の価値観が続いているが、それであれば従業員をすべて東大卒にすれば会社や組織は繁栄するであろうか?いや、潰れる、と思う。集団や組織には誰もやりたがらない部門がある。業者に任せれば良いであろうが、その部門には価値があるのである。NHKであれば、視聴者と直接対応することで彼らのNHKへの見方がわかり、改善の材料になるのである。
読者に言いたいのです。色んな仕事をしてる方がいらっしゃますが、あなた方の仕事には社会の必要性があるのです。必要性があるから仕事として成り立っているのです。
5年前の今頃を時々、思い出す。2,3年前までは、自分が死にかけ、頭のおかしくなったあれらの出来事を思い出して、涙することもあったが、近頃は忘れかけて、医者から禁じられていた酒も飲んでいる。あと何年生きるかもわからないし、死ぬことを半ば望んでもいるが、最後の野望を懐に忍ばせている。(命の党)?(自然の命・人の命)という政党を立ち上げたい。書けば長くなるので単純化して言うと、人間は自然と闘って征服したまでは良いのだが、それが破壊に進み自らも破壊されている、その状況に加えて人工知能が進み、自動運転車、仮想通貨など想像も出来なかったものが現れ、どんな方向に進むかわからず、政治でさえ追いつけない現代である。もう一度、人間の命、自然の命を振り返り、自然の法則、秩序を学び直すべきではないか!政治や政策を見直すべき時期である。
話を最初に戻すと私は健康で大食いであった。大学ではA定食、B定食、カレーライスを一人で食べていた。いつか体を壊すよ、と注意されていたが、野菜もたくさん食べ、運動もよくやっていたので健康を壊すはずはないと考えていたが、65歳にして心筋梗塞を起こし、バイパス手術を受けた。退院後は糖質制限ダイエットをやって、糖尿病もなおり、現在まで健康を保っている。
もっと若い頃に大病を患っておれば、健康管理に早めに取り組めたのに・・、と考える時がある。もし悩みや不幸ごとを持っている人がいたら、(失敗は成功の元)と、視点を変えてみてはどうか、と思う。