ブログ - 日記カテゴリのエントリ
性行為においては、男の方が主導権を取ることになるので、慎重に事を進めなければならない。女は男以上に感情面、性感において感じやすいので、注意をおこたると少しのことで嫌われたり、セクハラだといって騒がれることになる。最終段階である射精、オルガスムスの点でも男と女はかなり違う。男はイクと最高潮から地面に急降下するが、それは動物であった頃、敵から襲われないための備えと構であったと考えられるし、動物達が後背位で性交をするのは行為の最中にまわりの外敵に備えてであろう。女はゆるやかに着地し、それまでの快感の余韻をひきずる。男は、終わったと判断してすぐに起き上がるのではなく、いつまでも抱きしめてやったり、キスをしてやったりした方が良い。男は一回の行為の中で、一度しかイかない者、二度まで、八回までとさまざまであり、女の場合もそうである。だが、ここからが非常に大事なことだが、二人が(さあ、イくよ)(良いわよ)と言葉を掛かけ合って、同時にイくのが一番良いし、男に生まれて良かった、女に生まれて良かったと感じる時である。
その段階に行くには主導権を持つ男が射精の時間をコントロールし、女が求める時に出来なければならない。先ず、射精を習慣づけることから始めよう。オナニーからやるのが良い。好きな女との出会いを想像し、物語をすすめながら、エロビデオを観ながらなど想像力をたくましくする。私の場合、夢精は中学生の頃からしていたが、オナニーで射精をしたのは大学生の頃であった。エロ写真を見ながらしたがなかなかイかず、三度目くらいで成功した憶えがあり、この世にこんな良いことがあるか?と人生の中での最高の経験であった。
射精やオルガスムスにおいて、回数やタイミングが異なるのであるから、その一致をみるまではかなりの日数を覚悟しておかねばならない。二人の努力と熱意にかかっているが、それは楽しい営みである。二人でイく時は天国に行った気分にもなる。一度、両者が絶頂に達すればほとんどの男女はそれで満足し、後は精神的な満足感で補えるが、そうでない場合は不満が残る。男によっては何時間も快感を味あおうとして射精を我慢(嫌な奴の顔を想い浮かべたりすると効果的)する。女は射精を待っているのにそのタイミングがずれ、男はイって、女はイかない、あるいはその逆、と冴えない結末になる場合がある。性に不一致が男女の不一致になる場合がある。
性の修行もなかなか大変であるが、すごく楽しいことである。
チップ農法を始めて二度目の結果を振り返ってみる。昨年の夏に出来たトマトは味も格別に美味しく、量もまあまあの結果であったが、ニガウリは芽が出ても体が貧弱で、失敗であった。秋に収穫したジャガイモは一株に一個しか出来ず、コブシより少し小さいサイズであった。カリフラワーはきれいで大きな、美味しいのが出来た。今年の春に収穫したニンニク、長ネギは一般の方のものより小さかった。大根、小松菜は栄養不良で貧弱過ぎた。
昨日、チップ農法で大成功してる先輩と公園で話をした。彼の畑の土は山のもので肥料は全く入っていないが、自分の畑は一般農法だから、一年前の肥料が残っていて、チップから出る酵素とバッティングしたのであろう。彼は公園の植木の土の中に、指を入れた。すると、顆粒状の土がポロポロと落ち、(これは二か月前に僕がチップをいれておいた)と言い、白カビの生えた木くずが土の中から出て来た。(発酵して土壌菌を食べ、深く掘っていったんだ)と付け加えた。自分は納得したが、植木を入れた時の土がどんなものだったかはわからないから、少し疑問を残した。
百坪ほどの畑をスコップとクワだけで耕すのだから、大変である。だが、今年の夏にはどれだけ夢が実現できるか楽しみである。トマト味が格別であったのは間違いなかった。
ネットにも書いてあるようにチップ農法は簡単ではない。
夏野菜のために、なす、トマト、ニガウリ、大根、インゲン豆、カリフラワー、キュウリ、ウコンなどを現在、植えている。先ず、畑の雑草を刈り取り、その上に十センチほどのチップをかぶせ、ミツマタで軽く耕し、チップをすき込んで酵素が循環しやすいようにしてやる。炭素循環農法と言われるように炭酸ガスを土の中に取り込んでやるのである。
二日前、鼻から鼻水が出るようになり、鼻風邪をひいた。近頃の気温の変化は異常である。昼間、三十度の気温になったかと思うと、次の早朝は寒く、石油ストーブに火をつけたりする。鼻風邪だからすぐに治ると考えていたら、咳が出るようになり、それが絶え間なくなった。おかしいな?と考えて放置していたら、呼吸が困難になってきた。喉がヒュー、ヒュー、言い始めた。十五年前によく出た、喘息だとわかった。その頃は放置していれば治っていったので放置することにした。
今朝になって少し、咳の回数が減ったな、と思っているとひどくなり、気管支が十分の一くらいに狭まったようで、体が苦しくなった。十年以上前に病院でもらった吸入器があったな?明日から連休になり、病院は閉まるな、今日は土曜日だな、などと考えながら毎月、通っている開業医に電話を入れ、だいぶ苦しかったがバイクで行った。
胸のレントゲン撮影、酸素濃度、心臓の動きなど調べた後、すぐに点滴が始まった。一時間はかかった。(このまま放置していたら、どうなった?)顔見知りの看護婦に問うと、(酸素不足になって、・・・)と応えた。つまり、酸欠で死ぬ可能性があったのである。
点滴チューブから、気管支を広げる薬が落ちるのを見ながら、考えた。
これはアレルギー反応が原因であった。気管支は炎症を起こして過剰反応をしたのである。大気汚染物質が肺に入ろうとすると、入ってはいけない、と考えて、気管支を狭めて入らせまいとする。でも普通に考えれば酸素不足になるではないか?そちらの方が大事なことだと判断しないのだろうか?
事務次官のセクハラ報道だって、統治体は組織の命にかかわることだと判断し、構造の改革を持ち出しはしなかった。トカゲのしっぽ切りにもならない給料の減額で済ませようとした。人体と同じ統治能力である。
喘息を起こして死んだと、いう話はあまり聞いたことがないので、体は過剰反応をやめて、元に戻すのであろうが、今回は放置していたら死ぬ可能性があった。
血管狭窄症の場合だって、そうである。血小板は本来出血防止の働きをするのであるが、何のつもりか知らないが、血管の内側に張り付き、それに脂肪・当分などが張り付いて血栓を作る。血管を塞ぎ、心筋梗塞や脳梗塞を起こす。完全な統治者(神)であればそんなことはしないはずである。
(人間は不完全なものです)最近研究しようと考えて通っているキリスト教の宗派はよく言う。
野生の動物や雑草が病気にかかることはほとんどない。ペットになれば人間と同じ病気にかかるが、自然界で鼻炎や喘息にかかったということは聴いたことがない。彼らは自然の統治者(神)に従っているので誤作動はないのである。人間は禁断の木の実を食べ、エデンの園から追放されたが故に(不完全)な肉体・精神を持ち、いつまでも悩みを抱えることになった。ペットも同じである。
人間社会が自然界が持つような完全性をもつのは何時の事であろうか。
いや、もう少しましになってくれないと、大変なことになる。北朝鮮が核を放棄すると言って、急展開の平和政策に変えてるが、どうも裏がありそうだ。怒りや不満を持っている者は多い。・・が暗殺されなければ良いが、と懸念している。
午前9時から午後4時まで身体障害者の会で、カラオケ練習をした。なれ合った老男、老女が5人集まり、菓子を食べたり、お茶を飲んだり、世間話をしたり、ふざけ合ったり、カラオケを歌ったりして過ごしたが、退屈してしまった。もっと真剣みのある組織にしたいと考えているが、古株の役員たちは聞く耳を持たない。
帰宅すると体は待ち構えていたように、山歩きに、出た。曇り空の下で小雨が時折、降ってきたが、後戻りする気にはならなかった。50分ほど歩いたところで、ペット・ボトルのお茶を忘れたことに気づいた。必ずショルダー・バックの中に持参しているのだが、カラオケ練習ではお茶が用意されているので、要らないと考え、バックに入れてなかったのだ。
帰宅しようか?と迷ったが、出かけた船は戻ることを知らない。足は石ころだらけの山道をズンズン進んでいくが、それに比例するように不安が頭をもたげてきた。水分不足で脱水症状を起こし、トイレでそのまま倒れ、入院したことがあった。血液が濃くなり、脳梗塞、心筋梗塞を起こしやすくなる。5年前に心筋梗塞を起こして、バイパス手術をしているからその危険性は十分に知っている。
池に着いた。
そこから戻り道になるのである。小川の山水を飲もうか?と考えたが、生水はばい菌や寄生虫がいるのでまた、危険性が高まる。額からは汗が出、体の水分は歩くほどに奪われていく。あと、一時間、体は脱水症状を起こさずに、耐えられるであろうか?薬を毎日、十錠も飲んでいるので、頭がフラフラしかけていた。これは脱水症状の初期ではないか?山道では誰とも出会わないから、倒れることは死を意味する。ケイタイも持ってきていない。
ミカンの木のあるところまで行けば、ミカンを食べて、水分の補給ができるが、あと三十分はかかる。六年前に狭心症の発作を起こしてうずくまった時には傍のミカンの木に手を伸ばして食べ、助かった。頭をしっかりさせて気持ちを強くするしかないが、倒れたらどうしよう?どうも出来はしないではないか。
これまでの生き方の通りをするしかない。
などと考えて、ミカンの木に着き、酸っぱい実を食べて、難を逃れた。
帰宅してお茶を飲み、元気が戻った。これまでの人生を振り返り、考えた。
そうだった。自分の周りの人間、社会、すべてのものが観察と研究の対象ではなかったか?己の死に際さえも。それがあったから生きてこれたのであった。
聖書を学び始めて三か月ほどになるが、いろんなことがわかってきた。歴史的にも世界的にもベストセラーであり、それだけの価値があることはわかるが、内容についての疑問・発見があった。
書き出しの(創世記)に、神が光あれ、と言われて、光が現れた、に始まり、陸が出来よ、海が出来よ、いろんな生物が現れ出てよ、といわれてそれらができた、と言う部分は学校で習った、地球、生命の発生の経緯とはまったく異なる。神はそんな偉大なことをしたというたとえ話ではないか?創世記の文章をそのまま信じるとおかしなことになる。信者に質問したことがあった。では、あなたの子供に神の言葉を教えるのですか?学校の教えを教えるのですか?と問うと、学校の教えはそうだが、聖書にはそのように書いていると教えるという返事であった。
今になってわかるのは、創世記が書かれた時代はパピルスに文字を書いていたように、文字が出来て間もない時期で、文語は話し言葉の延長線上でしかなかったのである。口語と文語の区別ができず、ほら話も直喩、隠喩、寓話の区別が出来なかった時代であり、個人主義も出来ていなかった。(・・思う)や(・・考える)(・・であろう)と言う表現も一切ない。
そのあたりをわきまえないで聖書の言葉をそのまま信じてしまうと、ある宗派みたいに(血を入れてはならない)と言う言葉が聖書に書いてあるから、怪我をしたり病気になっても輸血はいっさいしない、と言う極端な教義が出来てしまうのである。あるいは、人を殺してはならないと書いてあるから、子供に武道や格闘技に一切、関わらせないということになってしまう。
カラオケ教室や年金の会などに顔を出し、雑談になると、セクハラが話題になる。加害者の男がバカだとか、被害者の女性が気の毒だとか一般的な反応に終始するが、肝要なことが忘れられている。
男はタネをあちこちにばらまいて、多種、多様な子孫を残すという本能があり、女は子供を育て家庭を守る本能があると言うことである。それは良い、悪いの次元ではないし、基本的に否定は出来ない。ただ、社会の秩序を維持するために、レイプはいけない、セクハラはいけない、不倫はいけないという掟が出来ているに過ぎないのだ。
マスコミもそこまで突っ込んで言及はしない。善悪の論点から、結論の出ない雑談が営々と語られ、終わりのないモグタ叩きがつづき、そのうち違う出来事や事件が登場して、マスコミも忘れ、また、現れてくる。今の社会を象徴するような現象である。信念のない社会、政府、公務員、マスコミ人たちが金を稼ぐために一生モグラ叩きをするばかりで、モグラは地面の下にもぐったままで姿を現さないままである。
相手の社会的役割をきちんと認め、その上で言動を起こすことが基本である。
こんな私だって、名誉職ではないし知名人でもないからマスコミの餌食にはならなかったが、叩けばすごい埃の出る男なのだ。
この二、三日、新聞やテレビで、財務省事務官によるセクハラ行為が報道されているが、何か異常な気がする。その報道も大事であろうが、もっと他に大事な報道があるのに、安上がりな報道をしてメディアは金を稼ごうとする狙いが見える。毎日新聞の夕刊にさえ、セクハラ、わいせつ行為の事件の見出しが三件も出ていることには、まさに今が(ソドムとゴモラ)の時代であり、神に滅ぼされても仕方ないと考える。
それに報道の仕方にも偏向、そして女にご機嫌をとっている傾向があり、男の私としては、不快さを感じる。日本テレビの女性記者に事務官がどんなセクハラ発言をしたのかわからない。想像はできるし、公表しないことは女性のプライバシー保護と言いたいだろうが、加害者にとって、いや、加害者になる可能性の強い男にとってはどんな言葉に注意すべきなのかわからない。
男のセクハラ被害は少ないが、男女権というのあれば女の側も注意しなければならない。女と顔見知り程度になって、手を握ってくる場合もあるし、肩に一瞬手を回してくる、あるいは、(わたし、今、疼いているのよ)と言う場合もある。非常に親しくなっての行動や言葉であれば普通に考えてセクハラではないが、相手が嫌な女で執拗であれば、訴えたい男性だっているはずである。
セクハラ行為の認定基準を作るべきである。有識者の女性が提案し、男性側と話し合って協議しし、はっきりさせないとコンナコトデ(これはもしかしたらセクハラに該当するかもしれないし、それであれば言論の自由が一つ消えることになる)社会が混乱し、無駄な時間(これもセクハラ?)を費やすことになってしまう。
老男や若者たちに性の話を持ち出すと、女房が嫌がる、面倒くさい、まあだそんなこと、言ってるの?という返事や、無関心な表情を返す男たちが多くなった。スケベやヘンタイなどという言葉も聞かれなくなった。それらは若い頃の私に付きまとっていた言葉であり、近頃は時々、エロイと言われたりするがそれは俗語の泥臭さと迫力を失っている。本能の一つである性欲をないがしろにすることは社会の活性化を失い、人類消滅の危機でもあるのだ。
(レア仲間)では小説・(チャタレイ婦人の恋人)が猥褻物陳列罪で裁判沙汰になったことを倣って、男女のことズバリを書いてみたい。
男はまず、女をよく観察して、求愛行動なのか単なる好意なのか判断しなければならない。彼女が造った料理をラップに入れて持ってきたり、ネクタイや靴を買ってくれたりすれば本当の求愛行為であるが、残り物や貰い物を持ってきたりする場合は単なる好意でしかない。セクハラ・トラブルを起こす、多くの男たちはその見極めが出来ないほど燃えているのである。
男の方からサインを出して、反応を確認することも大事である。
(好い天気になったけど、花見にでも行ってみない?)
(コンサートのチケットもらったけど行ってみない?)
(二人だけでお茶でも飲みたいな)
など、日常的なことで十分である。
次に女の表情である。
男に向かうと、顔を赤らめたり、眼を輝かせたり、モジモジしたリする場合は求愛の可能性とみて良い。さりげなく肩が触れるようにしたり、手が触れるようにして彼女が離れなければ、笑いながら手を握ったり、肩にそっと手を回したりして、再度確認をする。
次に恋人の候補者を三、四人つくっておく。いなければ風俗店の女でもエロビデオの女優でも良い。絶えず彼女らをプールしておけば、一人、二人に振られてもショックを受けずにすむ。多くのことに関心を向け、話題を豊富にしておけば彼女と話が途切れることは無いし、楽しい人生が送れる。寂しげな態度が女に魅力を与える場合だってあるので特別に構える必要もない。
男と女の出会いはタイミングによる場合が多い。色気違いの女に出会えば、結ばれることも早いが別れることも早い。離縁したばかり、離婚したばかり、の女に出会えば化学反応のように結ばれやすい。ともかく、ゆったり構えて、好い女を待った方が良い。愛してもいない女と結ばれ、間違って結婚などすれば地獄が待っている。猫女にも気を付けなければならない。その気があるような素振りを見せてゆだんさせ、肩でも抱けば、セクハラだ、と言って引掻いてくる。地位や名声のある男たちは、訴えると言われれば怖がって、金を出したりする。新聞に面にセクハラの文字が出ない日はない。マスコミもその出来事を食い物にしている。
男たる者、今や、セクハラに襲われる時代である。
今日は二人の老人と会い、話しをした。一人は老婦人で毎年、春に、竹の子を買ってくれる人で町営住宅に住んでいる。事前にケイタイで約束を取り付けていたから、訪問すると、茹でた竹の子を千五百円で買ってくれた。
明日から、心不全の検査のため、入院すると言う。バイパス手術をうけた自分は心臓病関係に詳しいので、大きな病院で心臓血外科のある所に入院した方が良いですよ、と言ったが、彼女は今の先生が丁寧で良いから、と言いながら、もう、わたしは身寄りもないし、バイパス手術なんかするより、心不全で死んだ方が良いのです、と言った。それに検体の手続きもしているので、検体が終われば、葬儀も無料でしてくれるし、プレゼントの品も後見人に送られてくるので安心です、と言った。
そうですね、と私は言いながら、自分も身寄りがないのでそうしたいです、と言うと、大学病院じゃないとだめですよ、と応えた。大学病院だと、一人のインターンが一体の検体について体を開き、調べる終わると、手を合わせて弔ってくれると言う。私は新しい事実を仕入れ、すごく,良かった。
次は(年金の会)の会費の集金先であった。76歳になるが、妻に先立たれて、菜園づくりもやる気がなくなり、終日、家に籠り、テレビを観ていて、テレビが恋人みたいな老男である。
(そんな、毎日ってもったいないですよ。あなただって、誰も知らない人生を経験したのでしょうが)と言いたかったが、彼はテレビの番組に戻りたくて、玄関口を離れた。
この時代の流れは、多くの人が表情を失い、終末としか思えない。今、(神歩き)という小説を書いていて、それは科学と宗教のせめぎ合いのテーマであり、結末を苦慮しているが、人工知能が世界を支配する結末しか考えられない。
朝、起きると、太陽を拝むのではなく、スマフォを開く。すると、お早う、・・君、今日の気分はどう?と声を掛けて来る。うん、少し具合が悪いんだけど、と言うと、私が今日、一日中、あなたについてるから大丈夫よ、安心して!と答えが返ってき、どんな場合でも優しくサポートしてくれる。
わたしがそのソフト会社の社員であればそんなマニュアルの提案をするであろう。
愛する男女が体を交えることが基本であるが、体は愛してるけど心は別の場合もあるので判断に迷うことがある。単に、好きだ、と言われて交わってみたけど、他に交際相手がいて、実は愛しているのとは違う、と言われる場合もあり、男女関係は難しい。そこで別れるのならまだしも結婚し、子供をつくってしまうと子供まで不幸にしてしまう。自分の男友達であるが、七十歳近くなって、妻が部屋に鍵を掛け、風呂も電灯を消してこっそり入っている話など耳にすると悲惨になるが、彼らは老いて別れるのも大儀らしい。
男と女は事前に相手がDNAのレベルで決定されてる場合が多いが、出来るだけ出会いの機会を多く持って、死ぬまで添える相手を見つけるべきである。愛する男女が体を交える時は、心も燃えているので性の技など関係なく、最高の快楽を味わえるし、それは神が(地に栄えよ)と言って快楽を与えてくれていると思う。ただ、男と女の体は仕組みが違い、男の方が能動的なので男はそこを理解してるべきである。女は妊娠するのでそこへの配慮がまず大事である。女体は生理中をふくめ、その前後の一週間は不妊期間である。わたしもそれを知ってかなりの女と交わったが、一度も失敗したことは無い。次に性病のことである。コンドームの使用が基本であるが、やはり、ナマでやる快感には勝てない。風俗店の女は毎月、性病の検査をしているが、普通の女はそんなことはしておらず、多数の男と交わっていれば感染の可能性が高くなる。(ここでは男の観点から書いていることを理解していただきたい)その異性と何度か付き合って、交わりの度合いを探るのが良い。
女によって、体の感じる場所がそれぞれ違うが、回数を重ねることでわかってくるし、感じる場所も開発されてくる。耳たぶを咥えたり、耳穴に舌を入れたり、指をしゃぶったり、体のすべては性感帯なのである。女の性器は結婚、閉経などを通して、変わっていくが、だいたい、男の性器にぴったり合わさるようになっていく。