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籾井会長の発言(従軍慰安婦や飾り窓の件)から発したNHKの問題は解決がつかない。この時間に開かれている国会中継でも議員が会長に質問をしている。わたしは委託集金人であったことからもこのNHKの行く末に興味をもっていた。集金の仕事をはじめた頃から、受信料が長いものに撒かれろ式の国民性に寄りかかっていることを感じ、受信料制度が存在し続けるかぎり日本および日本人は変わらないと考えていた。
NHKはこれまでたくさんの問題を起こしてきたが、その度にうまく潜りぬけ、崩壊をまぬがれてきた。利権関係のある有力者をうまく抱え込み、為政者にそっくりな組織をつくっているからであるし、為政者とツルんであるからである。それに、熱しやすく冷めやすい日本人が受信料の支払い者であるからである。
日本人が農耕民族であることがその民族性の原因になっている。それに島国、一民族一宗教(少数派もいますが)ということが拍車をかけている。アメリカ映画、特に西部劇などを観るとよくわかるが、アメリカ映画は復讐劇が多く、粘着力が強いのである。日本映画にはいかにそれが少ないかがはっきり現れている。まさに民族性のちがいである。人類はどの世界でも狩猟生活から出発し農耕生活に移っていくわけだが生活環境のちがいに多くの影響を与えていることがわかる。逃げる動物を追い捕らえて食べる生活、実っている木の実や果物を食べたり種をまいて育てる生活は考え方や性格に強い影響をあたえざるをえない。
アメリカの貿易センタービルを崩壊させ、数千人を殺したビン・ラディンはアメリカ軍に殺された。これで当分アメリカの敵はいなくなり、復讐精神を発揮することはなくなったのだろうか。北朝鮮がいるが中国が控えているので迂闊な行動はできないし、アジアへの直接的な介入はしないだろうか。いや、次の敵を探しているのだ。絶えず外敵と闘うことで国体が保たれているのだから。
NHKの問題が欧米でのことであればNHKはすでにつぶれている可能性が高い。日本ではどうなるであろうか?マスコミはこの問題もそうだがシリーズをつくって深追いはしない。目をひく事件や出来事が起こればそちらの方にベクトルを変え、騒ぎ始めるにちがいない。国民もそれにひきづられ、NHKの問題を忘れるにちがいない。
NHKの問題は日本民族の問題なのである。
2日前、初老の男達が朝から町内の山に集まった。6人だったが昼前から女が加わり、7人になった。7メートルと5メートルのヒノキを20本ほどチェーンソウで切り倒し、山のそばに停めているトラックまで運んだ。7メートルのヒノキは7人で肩にかついだ。「こっちは肩に来んよ。おれ、ぶらさがっとるみたい!」背の低い男が言った。「おれは肩にかかりすぎて痛い!」背の高い男が言った。「今度は肩に届いたよ!」など話しながら山の坂道を夕方まで往復した。もちろん、無報酬だが運動会をしてるみたいな楽しさがあった。息を喘がせ、額から汗をながした。
こんな経験は何十年ぶりかである。日頃は独りの生活活動や労働が多いから、他人といっしょにやることがすごく新鮮に感じられてた。
主宰者は佐藤さんという65歳の男性だが、門司から妻の実家のある岡垣町に越してきた。門司では車の板金業をやっていたので、自宅のそばに小さな作業場をつくって仕事のかたわら(里山づくり)に精をだしている。自宅の裏に千坪以上の草原があり、湿地帯があった。彼はそこに道をつくり、アイガモの小屋を作って飼い、木のチップをもりあげてカブトムシの家をつくり、2頭のヤギを飼い、ブドウやビワ、柿の木を植え、カマドを4つつくった。薪でピザを焼いたり、蒸し焼きをしたり、竹の子をゆがいたりするために。孟宗竹の幹を組んで屋根をつくり、その下でイノシシの肉を焼いてみんなで食べ(彼はワナでイノシシをとり自分でさばく)、コーヒやお茶を飲み、談笑する。もちろん金はもらわず、ヒッチハイカアーなどが通りかかると、(寄っていかんですか!)と声をかけて誘い、食事を出したり風呂に入れたり布団に寝かせたりする。長期で外出する時も家に鍵はかけないし、家の中には金や財物はない。
今時、奇特な人だが、4、50年前の日本にはこんな人はたくさんいた。
佐藤さんの手伝いをしていると彼の夢がよくわかる。年をとってから、幼少時代の生活を思い出し、そこに戻りたいのである。子供達やみんなを集めて昔の共同体生活を経験したいのである。
残念ながら昨年の末に焚き火の不始末からその小屋が全焼してしまった。しばらく彼は元気がなく、板金作業で黒い油のついた顔をうつむけていたが、立て直そうと思い、支柱のヒノキを切り出しのである。あと一週間後、3月の暖かい陽気がやってくる頃には新しい小屋の下でみんなで話しに花をさかせているでしょう。
15年ほど前、NHKは海老沢会長の発言問題で揺れ、マスコミも騒ぎ、営業現場も視聴者との対応に難儀した。今度は籾井会長の発言、従軍慰安婦の件、で揺れている。ケネディ駐日大使はその発言を理由にNHKの取材を拒否している。
23年間、委託集金人として働いたわたしは15年前のことを思い出す。その時の営業部長は、NHKは外部の圧力で潰れることはありません、と言い、わたしはその言葉の意味を反芻してみる。放送法で受信料の支払い義務があるから、と彼は言いたかったにちがいない。では内部の力で潰れることはあるのだな、とわたしは考える。わたしの目でみると失礼な言い方だが、NHKの職員はパーツ(部品)に等しい者が多すぎるし、対立意見や反対意見を評価する体制がないどころかそんなことを言う者は左遷の憂き目にあうだけである。つまり、この組織は自浄や変革能力が欠落しているのである。まっすぐ真剣!というNHKの10年前のキャッチコピーは、まっすぐ真剣ではない、ということを現しているにすぎない。だから今回の籾井発言に対して職員や日本放送協会労働組合は抗議も反論もしないのである。改革や変革は口先だけのことであったし、今回の発言による危機感も薄いのである。これは内部の力による崩壊の兆しかもしれない。受信料拒否者が数十万人、数百万人の規模になった時一人一人を裁判にかけられると思っているのだろうか?
そんなことは労力からも費用からも出来はしない。受信料の支払いどころか取材のも応じてくれない事態になると大変なことになる。受信料収入が99パーセントで運営されている組織なのである。今でもNHKには見る番組が少ないのに取材拒否が増えれば番組の質が落ち、さらに支払い拒否者が増え、インターネットに食われていく、という悪循環が想像される。
NHKには適切な方向に導くナビゲーターがいない、それ育てる思想がないとなると、内部崩壊するしかない。硬質な番組をつくっていた時代にしか価値がなかったあと言わざるをえない。
心臓のバイパス手術のために入院したのは一年半前です。3週間の入院でしたがあの体験は衝撃的で、わたしの人生に強い痕跡を残しました。痕跡の数はいくつもありますが、今思い起こすのは次のことです。病院とは(死)や病気を許される世界だと言うことです。遠賀病院で心筋梗塞を起こし、ナースステイションにベットごと運ばれた時、二人の看護婦は廊下に向かって立ち、医者の到着を待っていました。二人は会話をしながら笑っていました。わたしは心臓を切り裂かれるような痛みで呻きながら、彼女らが談笑しているのが」わかりました。ここでわたしは彼女らを責める気はまったくありません。彼女らにとって、患者の痛みや死は日常的なことで、マニュアルどおりの対応をしていれば良いのです。ちがう角度からみると病院とは痛み、苦しみ、死、病気が許された世界なのです。患者が安心できるのは自分の痛みや病気を救ってくれることもありますが、病院とは(死)の入り口でそれを認め受け入れてくれるということにあります。
退院後の一般世界はそうではありません。苦しんではいけない、悩んではいけない、死んではいけない世界なのです。なぜでしょうか?(死)を受け入れ美化までした戦前の日本は資本主義の侵略により180度反転しました。(死)を受け入れ美化までする思想は資本主義のじゃまにしかなりません。長生きして病院の世話になり税金を納める人間がたくさんいなければならないのです。
近頃、日本人が挨拶に使う言葉は次の文句が多いです。健康で長生きしましょう、という言葉です。健康で長生き、というのは何かをするための土台でしかないはずですし、戦前の日本人がこの言葉を耳にすれば、生き恥をさらすのか?という反論がかえってきたでしょう。(恥)という言葉さえなくなった時代です。
何をするための(健康で長生き)なのか?それをはっきり見据えなければ意味はありませんし、国自体がまず(国体がなんなのか)をはっきりさせるべきです。
(近視眼的思考)という言葉が40年前に流行したが、その状況は今の社会に定着して当たり前になったせいか役目を終えて消えてしまった。言葉にはそんな傾向がある。軽薄短小、虚飾、スケベ、商業主義、アメリカ帝国主義、いやらしい、肝っ玉母さん、援助交際など言葉は一時的に花を咲かせるが実体に吸収されるとまったく姿を消してしまう。
今の時代を(近視眼的思考)などとマスコミもとりあげはしない。近くのものは見えても遠くのものが見えないという時代の状況になってしまっているからである。東北大震災後、放射能汚染物質が決して消滅せず地球の奥深くまた全体に食い込んでいるという現実は近視眼的思考とリンクして人間を注意多動型にした。神経症的に動き回っていないと落ち着かないのである。皺のよった顔に尻の皮膚を移植したは良いがそれが崩れてケロイド状になった歌手、美味しくて手軽な弁当や惣菜ばかりを食べたがためにアトピーになった娘、オリンピックの成功を訴える都知事候補者を一面に毎日取り上げたかと思うと翌日には日本の借金が増え経済破綻するかもしれないと書く新聞やテレビ、除草剤は大気中に消えるから安全ですよと言って撒き続ける岡垣町は(自然を守りましょう)といって赤海カメの産卵と自然保護活動をいつもPRしている。年収一千万近くをもらって議会に顔を出している教育長は子供達にこの矛盾をつかれたらどうこたえるのだろうか?彼は矛盾に気付いてもほうかむりをしていればいいのであり、近視眼的思考で子供達を育てていけばいいのである。無数の兵隊達を戦場に送り込んだ当時の政治、教育者、マスコミ、軍人、父兄たちが真摯な反省も原因追及なく、一億総無責任体制が現在もつづいているように目先のニンジンに振り回されて生きていけば良いのか。
マスコミに言いたい。敗戦や東北大震災など歴史を変えるような惨事は期限をもうけずにシリーズで追うべきではないか!いろんな事件や出来事が多発することはまちがいないが振り回されない信念を持って欲しい。
ヤカン一つの部屋
ヤカンは机のそば、石油ストーブの上に置かれている
男といつも二人きりだが
特別に寒い日以外は忘れられている
ときどき取っ手を腹に倒しては声を上げる
おい、おまえも退職してひまだな
こんな一生を死ぬまで送る気じゃないだろうなあ
男はパソコンでニュースや株価や書き込みを見るだけで気づかない
散歩をし垣根を作り畑を耕し便所の汲み取りをし
独り飯を食い風呂に入り薬を飲み
もう一日が終わりだ
座椅子に体を伸ばして夕刊を読みテレビの声を聴いている
誰かがうなっている
聞き取れぬほどの声で
心地よさそうな呟きがいつまでもつづく
ヤカンの下で油の芯が燃えている
イジィイジィジィ・・
浪花節みたいな独り言がはじまった
金属じみた唸り声がなにかしゃべっている
イジィジィイジィジジー
はてどうしたんだ?
はてなんだっけ
はて誰だっけ?
誰でもない何でもない
ジージージージー
どうかした?かおかしな声だな?でも声でもない
どうするんだ?
どうしたらいいんだこの地球は
おまえたちにわからない声で地球の果てにまで愚図ってるんだ
もう諦めたよ、ここまでくれば終わりだな
ヤカンはうなりを止め
口から湯気を漂わせ
あげくにはフタを持ち上げてタンバリンを叩きはじめた
おれたちの演奏は人間が生まれる前からあったし、
滅亡してもつづくのさ
そろそろおれたちだけの世界がやってくるぞ
ヤカンだけがぽつんと生き残った地球を想像してみろよ
おれたちは滅亡することはないのさ
無生物だなんてバカにしていたが命はあるし考えることだって出来るんだ
心臓のバイパス手術を受けて一年半がたちますが、体調は手術前より良いような気もします。体重も63キロのままで、じゅうぶんに食べているのに太らないのは驚きです。考えてみると糖質制限を守っていて体にとってそれが普通になってしまっているのでしょう。朝は食パン一枚にブラックコーヒー、昼と夜はご飯は茶碗に半分、後は野菜、肉、魚をじゅうぶんに食べています。自炊ですので毎日メニューを考え食材の買いに出ます。近頃、台所の砂糖、塩がまったく減らないのです。調理にまったく使っていないのです。煮付けをつくる場合でも野菜や肉、魚をまず暖めた鍋に入れて焦げない程度に水分をとります。それで野菜や肉・魚に含まれてる甘味や旨みが出てくるのでしょう、あとは醤油か味噌と混ぜ合わせて煮込むだけですごく美味しい料理が出来ます。自宅の菜園でとれた野菜が多いし、トウガラシはほとんどの料理に入れます。
次は日に一回以上の山歩き・森林浴です。良い空気をすいながら思索をめぐらし血行を良くする事は幸福感を与えてくれます。毎月、通院していますが血液検査からでる各種の数値はすべて正常です。薬は毎日11錠ほど飲んでいます。
もっと早く食生活を変えておけば良かったとも思いますが、外に出ての外食生活ではこの結果は生まれなかったでしょう。ともかく健康であることは幸福感を与えてくれます。
都知事選で桝添が当選したことを知り、残念な気になった。これで日本人は最も大事な羅針盤を失い、漂流していくであろう。40年前、車の排気ガスが大問題になりその害を国民は案じ、結果的に政府が世界一きびしい排気ガス法案をつくった。各自動車メーカーはしのぎを削って努力し、今では車の排気ガスが問題になることはなくなった。当時、そんな厳しい法案をつくったら自動車メーカーはつぶれるしかないと危ぶまれたのに日本の技術力は素晴らしかった。
今度の細川氏の(原発0の公約)が勝てなかったのは東京を世界一の都にしてみせるだのオリンピックのお祭り気分を盛り上げるだの災害防止など景気の良い話に惑わされたにちがいない。自民党・安倍政権の登場と同じ構図である。正論が負け、目先のニンジンが勝った。
都が原発0に取り組めば、各企業はしのぎをけずって自然エネルギーの発明・普及に向かって競争努力したはずなのにその大事な機会を都民は捨ててしまった。原発0に国民が積極的でないということになれば今後それを公約に掲げることはなくなるであろうし、原発問題も下火になってしまう。世界に与える影響も強いし、人類全体の問題にフタをしてしまった。(猿の惑星)という映画の中で宇宙を旅していた宇宙船が落ちて着いた砂浜に自由の女神像が埋もれていたというシーンはショックだったが原発問題はそれが映画ではなく現実だという恐さを含んでいる。
NHKの受信料をいただきに参りました、と声をかけたところ、それはNHkさんも従業員達に金がいるやろうからね、という言葉が返ってきたことがありました。今にして思えばその言葉の意味したことがじゅうぶんにわかります。
それは(NHKは誰のためにあるのか?)という疑問になり、結論を言えば、(NHKはそこから利益を受ける者のためにある)のです。利益を受ける者とは政権与党、NHK役員、職員、大手の組織、NHK関係者など多方面に及びますが、そこに視聴者がふくまれるかどうかは微妙なところです。受信料は視聴者との信頼関係の上に成り立っています、と営業パンフレットに堂々と書きたてていた頃は視聴者のためにある、と言えたでしょうが、公平中立をうたいながら番組で大手宗教団体や暴力組織の内膜を取り上げたことはありません。競馬中継はするが競艇の中継はしない、ということでその業界の関係者達の受信料不払いにあったことがあった経験からでしょうが、都合の悪い組織は番組作成から外しているのは公平中立でもなんでもありませrん。
近頃はマスコミに姿を出さないNHK職員の不祥事のこと、それを委託集金人として考えることがありました。次第に理由がわかってきましした。それは縁故採用が多いことと民間企業みたいに消費者の納得の上で金をもらっていない、半ば税金みたいな形でもらっていることが原因です。NHKに採用された、ということは一般の人にとっては素晴らしいことですが、親戚に部長がいるからとか議員の紹介で採用されたとなると入局後の姿勢や意気込みがちがってきます。コールセンターや営業職員にかかってくる電話は受信料に対する苦情が多く精神的に参ってる者もおり、それは民間企業よりひどい状況です。人に満足されない仕事となれば、またそのストレスが何十年も貯まればすごい圧力になり、不祥事の誘発になります。わたしも集金の現場で働いていてその引き金はじゅうぶんにわかります。
籾井会長、経営委員たちがマスコミの批判の的になる、ということは訪問集金・契約をもらう現場担当者や職員、管理職などは酷い環境の中に放り込まれています。大鉈を振るうしかありません。まず、会長や経営委員の任命を総理大臣がして、為政者が放送局を私物化できるという法律から変えなければなりません。
自分でつくったこのタイトルが気にいり、このペースで書いていきたいと思いました。名もない人、の言葉はけっして世間に出ることはありませんがそこには意外な真実がひそんでおり、私自身も名も無い人、なのです。
(NHK受信料なんて寄付金みたいなものじゃない。寄付する金なんてありません)
宗像市の戸建て団地を受信料の集金・契約業務で回っていた時のことです。契約も求めたわたしに対する中年の主婦からの返事でした。
呆気にとられて即答が出来ませんでした。この仕事をする者は受信料が放送法に定められ、契約・支払いの義務があると信じて雨の日も風の日も雪の日もバイクに乗って回っています。NHK側は受信料についての番組を流すことはほとんどなく、わたしたちにマル投げの状態です。わたしたちの仕事は前線での孤独な闘いといっても過言ではありません。意外な拒否の言葉に出会うと迷い、混乱し、気持ちを立て直すまで時間がかかるがそんな心境に負けてはいられません。
今、その主婦の言葉を振り返るとまさに受信料について的を得ていたと考えます。当時、受信料に強制力はあるのか?という質問が視聴者からあり、強制力はあります、とわたしは答えていました。すると、統括係長から強制力はないのです、という電話がかかってきたことがあります。その後支払いを民事裁判で訴え、勝訴したので今では強制力があるという判断です。
勝訴の前後から、NHKの番組に観たいものが少なくなっています。強制力があるから番組に価値があるかどうかは二の次で観ても観なくてもいい番組をつくっていけばいいし、そのことで民放のようにスポンサーが減って責任をとらされることもないし、受信料収入が激減することもないのです。先日はテレビがあってもなくても受信料をとれるように放送法を改定すべきだという話もありました。職員は誤報だと否定していましたが、そうなるとNHKは総務省の放送局に編入され、従業員の数も10分の1くらいにして受信料も月に500円くらいにすべきです。現在、月に2千円ほどというのは高すぎる。BSで3波、地上波テレビで2波、ラジオで3波を持っていてダラダラ番組を流してるなんてチャンネルの無駄使いです。
あるいは強制力をなくして、その主婦が言ったように寄付金にすべきです。数多くの人たちに会って仕事をした経験から、わたしは日本人の9割は誠実な人だと信じています。かれらにNHKの番組をみて払わないという人はいませんし、観てる人は払います。現在でも郡部での契約率は90パーセントはありますから、番組づくりの自信があるのならNHKは強制力という剣を捨てて活動すべきです。