ブログ - 日記カテゴリのエントリ
新社会人の写真をテレビや新聞で見ると、良かったね、と言ってやりたい反面、当時の自分を振り返って複雑な気持ちになります。わたしは昭和47年に法政大学第一法学部政治学科を卒業していると思います。思います、と書くのは入学式はおろか卒業式にも出席しなかったからです。特別な事情があったわけではなく、ともかくその場に出たくなかったからです。そのせいか卒業証書ももらいませんでしたし、卒業したのかも確認しなかったのでわかりません。
若い頃から、すごく好き嫌いが激しくいい加減なところがありました。これで66才まで自立して生き、妻子を養ってきたことが自分でも不思議に思えます。つい最近まで大学時代に教科書も持っていなかったので生協の本売り場に買いにいく夢を良く見ました。あの頃は学生運動に少し関わったり、マージャンに狂ったり、いろんな肉体労働をしたり、空手をしたり、たまに女を買ったり、友達のアパートに何週間も泊り込んだりなどしてました。四年生に近づくと不安になりました。就職先を考えるとそんな自分が働く職場なんてあるのか?などと考えて積極的に探す気持ちにもなれませんでした。
臨時の肉体労働をしながら食いつなぎました。35歳を過ぎて都会生活に耐えられなくなって、実家に帰ったのです。
そんなわたしですから、大卒22歳で就職する若い人のためになる経験談でもしたいのです。
これまでの自分を捨てる覚悟が必要です。原則的に自分をで出してはいけません。組織のパーツになること決意してください。仕事をおぼえたら研究心、探究心でまわりを観察してみましょう。なぜそんなふうにしなければならないのか?なぜそんなふうになってしまうのか?などには必ず必然性があります。あなたの経験はどんなことでも将来において有益なことばかりです。コミュニケーション力と同時に何事にも興味をもって表現力をみにつけましょう。ネットばかりをみるのではなく、むずかしい本や小説を読み、物事を深く考えることも大事です。
自分がこの会社の社長になったらどうするか?などとも空想してみましょう。
大学を出て、日産自動車座間工場で自動車の組み立て労働をしました。その時の驚きは今でも忘れません。ベルトコンベアで流れてくる自動車のトランクの中に上半身を突っ込み、テールランプを組み付ける仕事でした。運動神経の鈍いわたしはインパクトでうまくボルトを打ち付けることが出来ませんでした。次の工程の作業者は仕事が出来ず、わたしを怒鳴りつけました。わたしの指導をしていた工員はわたしにボルトを投げつけました。今は何時か?と腕時計を見る時間さえありませんでした。
労働、というより刑務所に入れられて苦役をさせられているみたいでした。おまけに三交替で24時間を三つに分け、昼、夜、深夜と一週間ごとに勤務しました。コンバヤ労働は肉体労働の中でも一番過酷なものです。自分の仕事が社会にどんな結果をもたらしているのかまったくわからない、ただの賃金奴隷だったのです。いや、正直なことを言いましょう。自分がテールランプを組み付けた車が街中を走ってるのを見るたびに逆に不信感が起こったのです。あの車のテールランプはきちんと役割を果たしているのだろうか?流れ作業の中でもしかしたら組み付け不良でランプがつかないのではないかと。
この経験でわたしはF・カフカの小説が理解できるようになりました。底辺から世の中を見、思考が深まり、世の中の動きのほとんどが理解できるようになりました。恐いものも人間もはほとんどありません。
私にとっては、どんな状況でもどんな経験でもどんな人間でもすべてに価値があります。すべてが探求の対象だからです。
(言語が人類を狂わせたから、こんな世の中になった)と言った友人がいた。
(それはそうだな)とわたしは考え、言葉を手品のように操る者達が世間で踊り、にぎわい、名をあげ、金をもうけ、権威さえ身につけている実体を思い返した。あげくには原発安全神話をでっち上げ、人類滅亡の危機さえ産みみ出しながら自己および組織の検証もせず、懺悔もせずにのうのうと生きながらえている。スタッフ細胞のヤラセ事件は早めに偽造が発覚したから良かったものの間違って治療薬でも出来たら、また大変なことになった。この種の事件は次から次へとマスコミをにぎわせ、消えていき、また出てくる。(出物腫れ物ところかまわず)ということである。
(コンピューターはデジタル言語を使ってあれだけのことを表現している。日常の言葉をデジタル化して使えば虚偽や詭弁、ごまかし、オベッカもなくなり数式、化学式のように正確になり世の中の狂いもなくなる)
彼は言った。
この男は頭が良いな!とわたしは驚き、自分がデジタル言語の意味さえじゅうぶんに理解していないことを知った。彼が英語や微積分の方程式が入った紙をみせてくれたがよくわからなかった。
あれから10年後、彼の言葉が間違っていたことがわかった。
方程式や化学式に間違いはない、そのことは確かである。
だがそれも言語と同じ記号であり、ツールであり、何の目的で使うかによって虚偽にも詭弁にも偽装にもなる。言語を手品のように使える連中はそのことを知っていて自由自在に使っている。例えば老人の窃盗事件が増えていて、年毎の数字をグラフに現わす。それは事実であり、説得力があり、ひどい増え方だな、こんなに悪い爺さんたちがいるのだなと見た者は思う。ところが他方では老人人口はその増加に比例して増えているのであり、この事実を平行して出さないから(悪い老人)が多い、というテーマの意図は成功することになる。警察官や公務員、NHK職員の不祥事・犯罪の発生もそうである。以前も同じくらい発生していたのだが組織が隠蔽していたにすぎない。情報公開法との絡みもあって公表せざるを得なくなったのである。警察官が前科者の情報を(警備会社を作った)友人に出し、見返りに身内を雇ってもらっていた例などわたしは知っている。
数式、方程式、化学式が言語より正確なことはわかる。だからこの世の真理をはっきりさせ、数式に現わしてすべての事例をそれに照らし合わせて判断すれば良い。人間は自然と共生しなければいきていけない、自然を模倣するしかない、という真理である。
宗教みたいじゃないか?と思われるでしょうが宗教と審理は一つになるべきなのです。
30、40年前にテレビや雑誌をにぎわしたUFO(未確認飛行物体)ですが、最近はマスコミからすっかり姿を消しました。10年間ほどまったく見ませが、どうしたのでしょうか?嘘だったのでしょうか?すでにUFOという言葉さえも知らない人が生まれ出てる時代ですが、アメイリカのNASAが秘密にしているとかアメリカ軍部のスパイ衛星だとか宇宙人にさらわれたとか物議をかもしたあげくパッと消えてしまいました。まさにUFOが消えるようにですが、報道管制を敷かれているという説もあります。
三日前、NHKスペシャルで超能力の番組をやっていました。いずれもノーベル賞受賞の物理化学者が登場し、いろんな実験をしていました。こんな実験がありました。四人の大人を仕切られた部屋に入れます。それぞれの部屋にはモニターテレビが置かれ、かれらには脳波の測定装置がつけられています。最初、テレビの画像はすべてなにも映ってないのですが、一番端に座っている人の画像に格子状の模様を送信し次に消したりして刺激を与えます。その人は驚きます。すると隣の人の脳波が波立ち、次は隣の人と伝わっていったのです。脳波の波形は四人とも同じで少しの時間のずれがありました。
人間をはじめとして動物の体温は強い恐怖やストレスをうけると三度くらい下がり、まさにゾッとします。ネズミを使ったその実験の報告もありました。同時に白い球状のものを幻覚として見るというのです。
以上、二つの事実で言いたいのは、白く光るもの(UFO)を多くの人が見たという報告は集団幻想であり、これに似た話や経験はいくらでもあるということです。
番組の中で(人間の意識は量子を左右する)という言葉が出てきました。量子というのは物質の最小単位で人の目には見えません。スリット現象という不思議な現象があります。二つの穴に向かって一つの粒子を飛ばしてみます。ここからが不思議なのです。人間が見てる時には粒子は一つの穴しか通りませんが、見ていないと二つの穴を同時に通るのです。粒子は(二つの穴に同時に通るなんてありえない)という人間の常識観念のエネルギーを受け、一つの穴しか通らなかったのです。
人間の常識概念で世の中を見てることや人間中心主義の考えがいかに危ういかということです。そのことに問題意識をもっていないとけっきょく騙されることになります。
結論から言えば、(封建主義体制と民主主義体制)の構図はどちらも支配と被支配の関係であり、その構図は同じでなのです。今の体制は主権在民を主張していますが、実際は主権在官であり、封建的民主主義というべきです。封建主義体制はムチ(武力・暴力)とアメ(利益供与ー大名たちは石をもらい年貢の取立て権をもらう、代官所の役人・使用人は給料をもらう、宗教関係者は利権をもらうなど)を手段としていましたが、民主主義体制はアメ(人権・福祉・社会保障・補助金支給、自由な金儲けなど)とムチ(刑法を犯すと逮捕され刑務所行きや死刑が待っている)で国民を支配し、多数の票をとって政権を維持し、搾取しているということなのです。その体制は維持するために自然破壊と地球崩壊を担保にし、全人類をまきこんでいるるという点では現代文明とも癒着していてもっとも恐い政治システムになっています。
わたしは岡垣町議会を傍聴し、開発反対運動に関わってみてはっきりわかりました。ある男が、(人をムチで叩いて働かせるより金をやったほうが楽で効果的である)といった言葉が真実味を帯びてきた。さらに次の出来事がありました。開発反対運動に加わっていたある人がある区(町内で50もある)の区長になり、そのことで彼に頼んだ人がいました。議会の傍聴に参加してこの町の政治を知ってください、と町民に声をかけてくださいと、言ったのです。それに対して彼はこうこたえたのです。、それは声をかけて良いのかどうかを前の区長に尋ねてからにします、と。町役場に気をつかったのです。傍聴の誘いは町報にも載っているのにです。区長の年収は70万円ほどで彼は区長になりたい人がいなのでなったわけだが、その金が貴重な生活費になる人であれば、封建主義体制の年貢の一部を支給してもらうことで有難いことになります。役人の指示に従いますが彼は生活に余裕のある人なのです。
介護施設を開こうとしている人がいました。利用者から一万五千円の金をもらうと国から補助金が出て15万円になるということです。その人は言いました。町役場の福祉課が介護施設の出先機関になっていて認可業務がからんでいるので、町の職員には強いことが言えないと。
まさに、封建主義体制と民主主義体制は同じ構図なのです。
学生の頃、丸山真男の(現代政治の思想と行動)を読みましたが、今でもその内容と思想を思い出します。戦後まもなく出版されたこの本が戦後ならびに70年後の今の時代を予言していたことに驚きを禁じえません。
知人たちと老人介護施設の開設の話があり、参加した。元気の良い老人たちが6人集まり、話に花を咲かせた。
雑談になり、インド旅行をしてきたと言う70過ぎた夫人が話を始めました。
「観光バスに乗って町中を見ていると、インドの人はみんなこっちを向いて手を振ってくれてね」
その言葉に座卓を囲んだ者たちは興味を示した。
「みんな笑い、顔が生き生きとしてるのよ」
「この町を散歩していても笑ってる人なんて見かけることないわよね」
「そうねえ」
「汚れた服装の人ばかりで、道路は信号もないのよ。車やバイクがあふれ、バイクには5,6人がのっているのよ。歩行者が道を渡るときは車を避けながらすごいスピードで走らなければならないのよ」
「まあ、恐い」
「ガンジス川にも行ったわ」
「どうだった?」
「あそこは聖なる川でインド人が体を洗うことは知ってるよね」
「知ってるわ」
「でもそこには死体も流れてくるのよ」
「えー?」
「河口で死体を焼いて灰を川に流してるんだけど、埋葬料を半額しか出せなければ半分だけ焼いて後は川に流すからよ」
「半分の死体を?」
「そうよ」
「わー、信じられない」「その水を飲んだり、顔を洗ったりするのよね」
「そうよ。ゆるく長い階段のところに行ったら、両端にみんな座っているのよ」
まわりの者たちは耳をそばだてた。
「わたしたちが階段を上っていくとみんな手を伸ばして金をくれ、って言うのよ。幼い女が赤ん坊を抱いて手を伸ばしてきたから良く見ると、彼女の子供だったのよ」
「どういうこと?」
「早熟だから子供の時にセックスをするからよ」
「ふーん」
「そしたらね。抱かれた赤ん坊もわたしに向かって手を伸ばしてるお金をくれ、って言ってるのよ」
「まあ、可愛い」
「栄養不足だからお猿さんの赤ん坊みたいだった。わたしが100ルピーを出すと受け取ったんだけど懐にしまって、また手を出すのよ。それじゃ足りない、って言ってね」
「赤ん坊も手を出した?」
「それは憶えてないけど、男がそばに立っていて女の人を棒で叩き始めたのよ」
「えー、どうして」
「よくわからなかったけど」
「警察官?」
「そんな服装じゃなかった」
「物乞いをするな!っていうことじゃない」
「男が叩きつづけるから女の人も赤ん坊も泣きながら逃げて行ったわ」
「わー、悲惨!」
「わたしは呆然としていた。あの親子はどうなるのかと心配し、もう100ルピーやるべきだったと考えたけどどこに行ったかわからないし、また階段を上り始めたの」
「そしたら?」
「両手と両脚のない男の人が何人か物乞いをしていてびっくりした」
「どうして、手足がないの?戦争の被害者なの?」
「ちがうのよ。後で聞いたんだけど人の同情を引くために手足を切り落としたのよ」
沈黙が広がった。。
「日本の戦後、戦争で手足を失った軍人がアコーディオンを弾きながら街角に立っていたけど」
中の高齢者が言った。
「傷痍軍人、っていうのよね」
その言葉を知らない者もいた。
「今度つくる介護施設は夕食も老人の人たちに出そうと考えてるのよ。うちで作った有機野菜でね」
「それは良い。私達も食べに行っていいのかしら?」
「もちろん」
「どんな料理が出るか楽しみだわ」
「あなた、またインドに行ってみたい?」
「行ってみたい」
政治の動きを利権の視点で考え、振り返ってみた。すると、誤解でもつれていたヒモが解け、すっきりした感じがする。左翼は(善)で右翼は(悪)という観念を修正しなければならない。左翼は反権力で右翼は権力に加担する傾向があるが実は利権が潜んでいることに気づいたのは学生運動家であったある男性が(大学の自治会の運営権を握れば自治会費も手に入った)と言ったからであった。
日本の学生運動が浅間山荘リンチ事件で見せた意外性と恐さは政治闘争に潜む利権闘争であったと言える。男女関係や組織の壊滅への恐怖がもたらしたあの悲惨な事件は66才まで生きたわたしの大きな疑問であった。左翼への美化に囚われていたにすぎない。右翼暴力団の思想、オウム真理教の内実、民主党の敗北、中国共産党の利権構造などを分析してみればその根幹に突き当たることになる。
金の流れをたどっていけばその組織の本音がわかる、とある友人も言っていたが、人間関係の本質もわかるとわたしは思う。逆に、無償の関係の素晴らしさもわかるのである。
昨日、岡垣町議会の傍聴に岡田君と行ってきました。(一般会計予算)(一般会計補助予算)などの審議でしたが、町長・執行部と議員はその中味を突っ込んで、町にとってそんな工事が必要なのかどうかを議論するのではなく、可決を前提にしてああでもないこうでもないと形上の無駄話をダラダラとしてるにすぎないのです。本気の度合いがまったくありません。彼らはそんな八百長試合で年収1000万ちかく取って満足でしょうけど、無職のわたしと岡田君は当然無償で、腹立たしいばかりです。
(私語をする傍聴の方は退場を願う場合がありますよ)と議長の曽宮議員が言ったので、わたしは驚くと同時に、(その言葉を待っていた。こんなバカくさい話にうんざりして出て行きたかったんだ!)と叫び、岡田君と立ち上がりました。曽宮も立ち上がり何人かの議員・執行部を隣室に呼び打ち合わせをし、戻ってきて退場を告げました。
(町の経費削減の話もでないし、住民の目線がまったくない!)とわたしが叫ぶと、(それはまた)と宮内町長は言い、(主権在民、と言う言葉がわかってるのか!主権はこっちにあるんだ!)と彼に問うと黙り込み、(そこは傍聴席ですから)とこちらを非難するような言葉を彼は吐いた。これが岡垣町の町長の姿なのです。(あなたたちの言い分もあるでしょうから別室で話ましょう)などという配慮も人徳もない。だから町民から慕われている金比羅山をハゲ山にして平気なんだよ。
話は飛んで以前に読んだ(働かない蟻に意義はあるか)の本を思い出し、(働かない人間に意義はあるか)を考えてみた。わたしも岡田君も働いていなくて、畑作りや散歩、政治活動をしている状態である。その本の中では次のように書いてあった。蟻の集団生活の中で働かないのは2割くらいいる。その2割を排除したところ、本来働いていた蟻の2割が働かなくなった、という内容であった。
わたしの周りを見回しても、ここは田舎だということもあって半分の人間は働いていない。全国的にも就労者人口はそれくらいだ。老齢化して働けないものが多いが年金をもらっている仕事が見つからないなどいろんな理由があるが、彼らは飯を食って生きている。わたしと岡田君は毎日山の中を散歩し、自然大好きの人間である。勤め人だったら通勤の車の中から見て、山が崩されて道路工事がはじまったな、というくらいしか思わないのだが、私達はここに住んでいたカブトムシやセミなどの昆虫が殺され、PM2.5を吸い取ってくれていたヒノキの葉も殺され人間が吸わされる自然破壊だと考える。(開発)を主張する町長・職員・議員の利権を許してはならないと考える。勤め人たちの口座からは何にに使われてるか分からない金が町の行政に落ちているだけだが、わたしたちは無駄な使い方を許しはしないし必要のない工事は断固として反対していく。
ここに働かない人間の意義があり、世の中の変革は岡垣町議員の一部が言う(不逞の輩)の中から出てくるのである。蟻の社会に戦争や災害が起こって働く蟻が減れば働かなかった蟻は働くだろうし、餌が間に合ってるから働かない蟻がでているのだ。予備的な構成員だろうが、多様性とい幅を持たせているとも考えられる。わたしと岡田君は少数派・異端者として町政の中に存在している。町の運営を変える可能性を持ち、町民たちに内情を知らせる者という多様性の中の一員である。
昨日は東北大震災が起こって3年目であった。もう3年になるのか?と考え、高台から見下ろす人人に向かって大津波が押し寄せてくる光景は時空を超えた凄まじさがあった、と思い返す。いつのことだったのか?どこだったのか?などという次元ではなく、国や人種、宗教を超えて、誰も忘れはしない光景である。
ただ、今日の毎日新聞・朝刊やテレビ報道をみると、被災者には申し訳ないが、報道の仕方にウンザリした。天皇陛下や安倍総理や除染作業者たちの頭を垂れる写真を出し、被災者・被災現場を出し、除染差作業の進行状況を描いてるだけである。それも大事であろうが、わたしなら違う視点で描く。
現代文明をどのように評価し、私達私も含めては今後どのように付き合うのかということである。利便性、快適性の裏側には反作用としてこんな惨事が控えている、では現代文明をこのまま生活の中心に据えるべきか自然を見直すべきかということだ。マスコミや出版界にはこの視点が欠け、抜け落ちているし、そのことに気づかない。無駄な電気を消すとか車の使用を控えるとかいくらでも反省の生活方法はあるが、役所や報道会社・出版社や国民が実行してるでしょうか?してはいない。反省は生活から変えていかねばならないのに口先だけの震災日なのだ。
(もったいない)の精神を超えて、(自然は命)という考えに立って生活を送りたい。
およそ30年前のNHK福岡でのことです。当時はBS放送が立ち上がり、その普及活動と料金を払ってくれるだろうかという危惧もあり、バブル時代もまだ残っていて活気があり賑やかでした。奨励旅行(仕事をがんばっれ奨励金をもらい慰安旅行に行く)も月に一度はあり、沖縄から北海道までバスを連ねて行きました。みんなでバイクに乗って行く合宿対策などありました。地域に契約対策に行くわけですが、(エイエイ、オー)などと歓声をあげて現地に向かったものでした。管理職も加わりました。
外務職員という地位があって、依託集金人から出世した人です。我々新入りの集金人に仕事やストレスの解消についてよく教えてくれ、いっしょに合宿して酒を飲みました。
川原さんという、気さくで面倒見の良い外務職員がいました。30年勤めあげて定年を迎え、局の大広間で送別会が開かれました。100人もの仲間があつまり、壇上に上がった彼は女子職員から花束をもらい満悦でした。
さて彼のスピーチです。
(散る桜、残る桜も散る桜)という良寛の句があります。わたしはこうして去っていきますが、つぎは皆さんの番なのです。わたしはこの職場にいて良い仕事をさせていただきました。ありがたいことですが、今日で去ります)
ここで息をつき、感無量という間を置きました。
いろんなお客さんに会いましたが、NHKを理解してくれない人には理解していただけるまで無理にお金をもらわないことにしていました。これからは双方向の通信の時代です。パソコンのような通信の分野が伸びるのでNHKはそれに食われてていくでしょう。NHKはCSの中の一チャンネルになるかもしれませんし、口座払いも増えていくでしょうが、集金という私達の仕事はなくなりません。どんな仕事でも最期は人と人の出会いになるのです。
と話すうちに感極まり、目の涙をハンカチで拭きました。
わたしたちも胸を打たれていました。
ところが次の日、NHKからファックスで流れて来ました。訃報でした。おどろいて事態の把握が出来ませんでした。川原職員が心筋梗塞を起こして亡くなり、翌日が告別式ということなのです。
わたしは唖然としていました。
次の日に川原職員から送別会のお礼状が届いたのです。死んでるはずの者が、お世話になりました、体に気をつけてください、今後のお付き合いをよろしくお願いします、と書いているのです。
しばらく考え込みましたが、わかりました。彼は送別会の夜帰宅してお礼状を書き上げ、投函した後に心筋梗塞を起こしたのです。ファックスのほうが先に届いたということなのです。
良寛の言葉が切実な洒落をおびてよみがえってきました。
(散る桜、残る桜も散る桜)
福岡市の彼の家に行き、告別式に出ました。
その時、わたしも(散る桜)だったのですが、若さのあまり考えつくことは出来ませんでした。
30年後にわたしは河原さんの年齢になりました。心筋梗塞を起こし、バイパス手術で助かりました。
人生に感無量をおぼえます。
(コンクリートから人へ)という言葉は前民主党政権のコピーでしたが、思想的な深みがなくて国民の支持を得られませんでした。安倍政権はそれを逆手にとり、そのコピーが公共工事を減らす原因になり経済活動を低迷させたと非難し、公共工事優先のアベノミクスへ方向変換しました。表面的には国民の支持を得ています。政権の役目とは国民の支持を得られればそれでよしではなく、啓発の役目もあるわけですがとりあえず今のところ支持を得ていることは認めましょう。失敗すれば民主党政権みたいに否定される運命が待っていますが。
岡垣町議会の傍聴に行っていますが、いろんなことがわかってきました。昨日は執行部からこんな発言がありました。岡垣町はすぐにでも公共工事にとりかかれる体制を持っているから、国の補助金を近隣の市町村よりたくさんもらえるんです。なるほどと思いました。町長を初めとして町会議員、職員たちはアベノミクスに洗脳され、補助金頼みの政治を考えているのです。補助金をもらい、国の言うとおりになるのです。生活保護をもらう感覚です。これで道州制の導入をどうするかなんで議論していました。
町の活動者、ボランティアや区長、老人会などたくさんの団体に役場が補助金を出し、操ろうとしている状況と同じです。国と同じく金で懐柔してるわけで、貰う方も補助金を要求するようになっています。それで納税額がまた増えるわけです。
コンクリートから地面へ、という言葉が思い浮かびました。この町は福岡市のような商業都市ではなく北九州市のような工業都市でもありません。そので働く人人が帰宅して、くつろぎ寝るベットタウンです。そこでコンクリート行政をすることは個性と環境を無視した暴挙です。わたしは毎日散歩していますが、人も車も通らない山道をわざわざコンクリートで固めています。地面の呼吸を殺し、人間・生物との循環を阻止しています。役場にそれに気づく者はいません。
奈良や京都などの地域が文化や伝統を守り、それが街づくりになっている。ヨーロッパでは石畳や石の家に手を入れて古いものを大事にしているのにこの国は金の亡者みたいに破壊することばかりしている。その考えが若者の教育にも悪い影響を与えて、(通り魔)を次々に出現させているのです。
地面を復活させ、自然との共生をはかるべきです。