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肥えたんじゃない?と言われて、セクハラだと言い返し、私の肩をつねった女は勘違いしてるのである。わたしは肥えたから醜いという気持ちではなくたんに肥えたというつもりであったのでであるが、女は肥えたと言われると醜いと考えてしまうということに気づかなかった自分にも責任はある。区別と差別の微妙な境界線であるが、今の世の中はその線引きの部分で混乱している。背が高い低いも同じである。
差別には優劣の視点がからんでいるが区別にはそんなのはない。区別がいけないということになると言葉を発することはおろか表現すること自体が出来なくなるし、今ではすでに作家や芸術家などの世界において彼らが表現の窮地に陥っていることはまちがいない。出版社自体が表現に対してすごく神経質になり、とうぜん表現者も出版契約の条項の中で微細な締め付けをうけている。
外国の政治家などもセクハラ・パワハラで裁判に訴えられ、多額な賠償金をとられている時代である。無名なわたしだってこんなブログを書いていて、いつ訴えられるかわかりはしない。恐るべき世の中になってしまった。だが、この揺れ戻しはくるし、こなければ世の中は消滅してしまう。多様性は世の中の活気を生み、変革作用をおこしているのである。独裁国家と自由主義の国家を比較してみればよくわかる。
わたしたちは先人たちが苦労して勝ち取った自由と民主主義をまもり、育てなければならない。
二十代の頃、東京で十年間ほど生活したが、女から体をつねられたり突かれることはなかった。ところがこの町に帰って来てから、そんなことは四、五回はある。直近では前のブログに書いている通りであるが、その前にはカラオケ教室で気性の激しい女先生から歌い方が上手くならないと言って、肩をつねられたり叩かれたりしたのであった。年上の男である自分にそんなことをするなんて!と腹が立ったが、励ましの意味だと解釈して黙っていた。その前はカラオケボックスの受付女であったが、図書館で司書としゃべっていると、(どこかで聞いた声)だと思ったと言って、背中から肩を突いて来た。また、公共施設のソファに寝転がっていたら、従業員の女から背中を強く突かれた。ちがう男も、そんなことをされて殴ったということもあった。
個人的にいえば、それだけの親しみがあったのだ、と考えて問題にしなかったが、今回、体が肥えたんじゃない?と言て、セクハラだ!となると黙っておられなくなった。世界的にもセクハラがニュースになってしまっているが背後でその流れを操っている者がいるとかんがえればほっとくわけにはいかない。言論統制、だという者もいて、あるいはそうである、と考えてしまう。批判的、否定的な発言が出来なくなってしまい、言葉の美容整形ばかりが進んでいる、それは恐るべきことである。
それに男の体を突くなんて、男を見下げていると考えるのは自分だけであろうか?
昨日もその店に、もみ殻を置くために行った。値札をプリンターから出していると、そばの倉庫でその女が野菜の袋づめをしていたが、声は掛けなかった。店内に入って出された野菜の値段を見、前日出した玉ねぎはどうなってるか見て回っていた。そこで、その女の背後に近づいてしまい、さてなんて声をかけようと考えながら、お嬢様!とかけてみた。三度目に気づいて振り向き、またわたしになにか言いに来たのね?って言うから、ようするにほめればいいんやね、お嬢様ってどう?ときくと、うーんと考え、あんまり的外れだとからかいになるわ、と言うので、奥さま!はどう?というと、まあまあね、と言った。ふーん、自分がお嬢様だと思ってるんか?と考えながら、彼女がきちんと化粧をして長い髪も輝いているのを見ていた。この前は顔がたるんでいたが化粧のせいで細くなっていた。俺の言った言葉が相当きにかかっていたのだろう。それを知り合いの男にしゃべると、そんな言葉を女にいうたらいけん、あそこの店ではなあ、女の従業員に仕事以外の長話をしよったら警察を呼ばれたんばい、と言った。ほんとうかどうかわからないがしつこく、自分みたいに声をかけたらそんなこともあり得ると考えた。バイパス手術で入院してた時に看護婦たちからつきまとってると言われたことがあった。
近所に同姓同名の男がいた。年老いて認知症になり、女を見ると誰にでも抱きつくようになり、最後は精神病院に入れられて亡くなった、という噂を耳にしたkとがあった。
今度はおれの番かな?なんて冗談に考えているかもしれないが実現する可能性がないことはないだろう。
その店にはもみ殻を出荷しているので、週に2回は行く。先日、もみ殻を出し終えて、レジの女としゃべっていたら、もう一人の女が事務所から出て来たので、声をかけ、「この前から気になってたけど、あなた、顔が大きくなったね?肥えたんじゃない?」と軽口をたたいた。すると、「そんなことないわ。お腹だってでていないし・・」と言って、「その言葉はセクハラよ」と付け加え、私の肩をつねったのであった。一瞬びっくりしてやり返そうと相手の肩をつねってやると、硬い筋肉質であるのがわかった。彼女は挨拶もきちんとする女で副店長になっていた。入社した頃は細面の美人であったが、十年たってたるんだような顔になっていたのであった。この前、彼女はは配達に出ようとしていて私に気づき、遠くから、中村さん!と大きく叫んで手を振ってくれた、おれに気があるのか?と期待していたが、セクハラ!と言われてがっかりしていたのである。
彼女との会話を聞いていた年増の女(差別用語?)は話を聞きながら笑っていたが、先日私がトイレから出てくると、戸はきちんと閉めてね!というので、わかったとこたえると、「立派なものを持っとらっしゃるやろうけど・・」と言い、後で思い返して、「もっとるよ」と言い返してやれば何と答えたか?と思ったのであった。
今日も、その店に行ったが、朝の七時ころだったのでその女とは出会えなかったが、今度、会ったらどうしようか?と考えるのである。別に気にするような言葉ではない、といえばそうであるが、この前のヤフーのニュースで背が低いと言われて、差別だという記事がのっていたので気にかかるのである。近頃、セクハラ、パワハラなどの言葉が異常に出てくるので、自分で何とも思っていない言葉が上げ脚を取られることはありえるのである。
それにこの流れがこのまま進んでしまえば、美しい、醜い、背が高い、背が低い、など形容詞が使えなくなってしまい、美容整形された言葉に占められてしまう。それは差異の否定と消滅であり、雌雄別種から雌雄同主、単細胞への逆戻りになる。それはやめさせなければならない。多種多様の共存性をすててはならないのである。
コロナ禍が落ち着きをとりもどしたか?に、見えるが、人間にとってコロナはなんだったのか?という疑問は残されたままである。宗教界はもとより、哲学界、文学界、または有識者の世界においても収束の声ばかりで本格的な答えを求める気配は見られない。また、第二、第三のコロナあるいは予測も出来ない厄難が待ち受けているようにしか考えられない。
莫大なエネルギーと金を費やしながら、すべてが人間中心主義から派生しているのでいつもの堂々巡りでしか終わらないのである。
数学の仮定法ではあるまいが、全知全能の神を仮定しなければ方程式がとけないように、ほんらいは神を持ち出さなければならないはずである。聖書をひもとけば神はすべての人を救う、と啓示してありながら、人を生贄として殺す逸話がある。ソドムとゴモラの話、アブラハムの息子殺し、ノアの洪水など書かれており、キリストの磔刑においても神が人類を救うために、子であるキリストを犠牲にしたのである。
突き詰めるならば神にとってコロナは悪ではなく単なるウイルスであり、ウイルスは神の子なのである。すべての生命が神の子であるから、すべて平等に愛されているのである。神はなぜコロナを世に送り出したのか?
コロナは人を殺そうとしているのではない。自分が生きるために生命に取りつかなければならないからそのようにしているのであり、それが結果的に人の体を破壊してしまうのである。人が生命を食べなければ生きていけないのと同じなのである。
人が他の生命をどれだけ破壊しているのか?を、考えればそして、コロナに殺された人の命はどんなものなのか?を考えればコロナ禍において、もっとちがう発見が出来るはずである。
3月22日は大阪から叔母がやって来て、彼岸の墓参りをした。母の妹であるが、六人の兄弟の五人は加齢でなくなり、たった一人のおばであった。毎年、彼女の実家に墓参りに来るが、今年は娘と孫を連れてであり、それは彼女が八十を過ぎて足腰が弱っているからであった。
そんな自分も75歳になって運転が不安であったが、しかたなく送迎をした。彼女らはまず夫の実家で法要をやっていたのでその寺に迎えに行った。次に彼女の実家に行って、庭で写真を撮った。それから空き家になっていた実家の庭の手入れをしてくれていた男の人の家の行く予定であった。
叔母はワゴン車の座席に上がるのが大変であったので、自分は体を抱いてやった。身内との昔話をしながら顔を見合わせていたが、なにかちがう!と自分は気づいたがそれが何なのかはわからなかった。叔母の顔を見ながら、こんな顔だったか?と疑問に思っていたのであった。もとより母の兄妹は美男美女であったが、叔母の顔は雪のように白く、顔の形も細面で、きれいな眉がのびていたのであった。別人か?と考えながら、細い声も小鳥が鳴くように可愛く、上品な身のこなし方はかわっていないのであった。
自分は幼い頃から、どういうわけか母の実家に永くあずけられていたので叔母や叔父たちとは兄弟のような気持であった。とくにその叔母は冬の寒い時には布団にいれて抱いて寝てくれたこともあったので、姉や恋人みたいな気持ちであった。
叔母たちが大阪に帰ってから、メールで、再婚するつもりですか?きれいな女に整形して・・、と送ってやると、絵文字で小鳥の跳びはねる姿がかえってきた。彼女の夫は十年前に亡くなり、彼女は一人住まいをしたいたから、まわりの男達がほおっておくはずはない。
そんなことを想像しながら、自分だってあのおばさんと結婚するチャンスはあるんだと考えながら、一人笑いをしたのであった。
その日はまさに、六十年前にタイムスリップしたのであった。
町内でやっているカラオケ教室に来月から通うことにした。週に一度で、会費も一か月千円でいいということであった。
そこで思い出したのである。三年前は別のカラオケ教室に通っていて、発表会に出て、歌い、楽しかった。発表会は大型施設で行われ、150人ほどが歌って、盛大であった。その時、わたしは舞台の袖口に立って歌い手へのマイク渡しをやった。肉感的に肥えた女が舞台に出る前にこう言ったのであった。
私の背中を叩いてちょうだい!
なんのことかわかないでいると、気合を入れるために思い切り叩いてよ!
黒いドレスから剥き出た背中は盛り上がり、私の欲情を刺激していたので、叩くなんて?そんなことより舐めたいくらいであった。
しかたなく軽く叩いてやると彼女はライトの下に立って、歌いはじめた。プロ並みのしびれるような歌い方であった。
ここで彼女の要望がなくて叩いたとすれば暴力、セクハラの声が出たかもしれないが発表会は成功のういちに終わった。もしかすると、叩いたことでシゴキという言葉が出たかもしれない。
体育会や部活の連中にシゴキのことを聞くと、気合をいれることじゃないか?と言う返事がいまだに帰って来ることがある。殴られる方がそのことをわきまえていればそれですむであろうが、時代はそれを超えてしまった。
わたしが自分の息子を叩いたのは当然、気合を入れるためであったが、言うことを聞かないという憎しみもあった。微妙な感情である。そこで気合を入れること自体がシゴキだと切り捨てられてしまえば人間の感情や行動の重要な部分が消えてしまうことではないだろうか?
250件ほどの家に、二年間ほど弁当配達してきたが、来月から受け持ち地域が変わることになった。自炊のできない高齢の孤老の家を一時間半ほどので回り、自分は運転はせずに、配達だけをしてきたが、思い出は残った。
大声で、弁当です!弁当をもって来ました!と玄関で叫んでもすぐに返事が返ってくることはない。ほとんどの老人たちは耳が遠かったり、テレビのスポーツに夢中になっていたり、近所の家に遊びに行っていたりしている。そうかと思うと、オベントウデスネ?、チョットオマチクダサイ、と間の抜けた声を出し財布を探し始め、手提げ袋の中をよたよたと手を回す。見つかるまで寒い外で立って待たなければならない。または返事はするが歩けないために床を這って来るお婆さんもいた。どうしたんですか?たいへんですね、とはいうが長話をする時間はない。色っぽいお婆さんには花の球根ややったりしたが、次の週に行くともらったことをすっかり忘れている。
返事がなければ安否確認のために家に上がり込み、家じゅうを探したこともあった。倒れていて、警察を呼んだこともあるらしい。自分の生活に戻って草むしりをしていても、あの声が聞こえてくることがある。丁寧なお婆さんで、自分が帰る時には門扉のそばまで見送りに来て、ありがとうございました、気を付けてお帰り下さいね、と深々と頭を下げるのである。
今にも消えそうな干からびた声が、あの世から自分を呼ぶように聞こえてくる。もしかするとあの世で会えるかもしれないが、忘れられない声である。
自殺者が増えているというニュースがよく出ている。特に、若者や子供が多くなっていて、気が重くなる。自分の若い頃、自殺しかけたことがあったので余計に気が重くなる。六十年まえ、家出し、箱根の山を彷徨した。別荘に勝手に入り込み、トイレで寝たりしながら死に場所を求めた。大学入試に落ち、父母はいつも口論ばかり、ドモリは治らないし、就職できるかも不安であった。どうしたらいいのかわからない。睡眠薬とウイスキーを飲み、トイレの鴨居にロープをかけて首を中に入れた。ところがいつまでたっても眠気は来ず、酔いはしなかった。
仕方なく家に帰ったが、受験勉強をする気持ち人もなれず、家にこもったままぼんやりと過ごした。小説を読みながら人間に生き方を探した。太宰治の小説などは特に感動し、彼が二度も自殺を図り、三度目に成功したことも知った。それから自分はボロ大学に入り、卒業したかどうかもわからないまま、肉体労働をしながら金を溜め、結局何をやってもダメなまま帰郷し、NHKの集金をしながら稼ぎ、結婚したのであった。
あの時死んでいればどうなったか?大食い、大酒、女狂いはできなかったであろう。それらは心筋梗塞を起こし、死にかける羽目に陥らせたが、あれだけの快楽は味わえなかったであろうし、文学に目覚め、神を知ることもなかったであろう。
自殺を考えてる人に言いたい。その絶望的な状態はいつまでも続きはしないのです。必ず、変化がおきます。それを信じて、生きてください。七十五年間、人間業をつづけた私の言うことです。
この出来事は五十年間、悪夢となってよみがえり、夢に出て来たのである。
「てめえら、チンタラチンタラしやがって先輩に対する態度がなっとらん!」その言葉が発せられると、ベランダに整列させられた13人ほどの新入生のみぞおちは、一人14発ほど、鉄拳で叩かれえていった。うめき声が連なり自分に近づく時の恐怖は殺されるほどの恐怖であった。空手の練習で体の筋肉を鍛えられていても、みぞおちだけは筋肉がなく鍛えようがなかったのである。
そのシゴキは毎週行われ、自分は失神して倒れたが、それでも行事のように続けられた。五十年前の当時は多くの体育会で行われ、ワンダーホーゲル部で死者が出たり、左翼の政治運動でリンチ殺人がおこったりすることは日常茶事であった。
今の人でその時代をおぼえている者は少なくなり、歴史からは消えていくであろうが、自分は忘れはしない。大学名と加害者をここで出すことはまだ控えるがいつかは出すつもりである。
今の時代のニュースはほとんど毎日、暴力事件、レイプ事件に占められているが、暴力に対する深い追及はあまりされておらず、同じことの繰り返しである。
ここで問題にしたいのは、可愛いから殴る、と言うことである。子供を持った親であればわかるはずだが、子供は子供の世界があって、親の言うことを聞かない。毎週毎週高校に遅刻して、車で送ってくれと言う息子をいい加減にしろ!学校が厭ならやめろ!といって叩くことは暴力なのであろうか?
言葉でいくら言っても聞かない出来事を叩くことで目覚めさせようとする行為である。難いからではない。そんなことでは社会に出ても飯が食えないぞ!という警告なのでqる。