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ブログ - 日記カテゴリのエントリ

切り捨てていったもの

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-10-23 4:19

  小説の執筆に取り組んでいるが、三分の一くらいまで書いて、それから先が進まない。題名とテーマに沿ってすすめているのに気力が失われ、その方針に疑いが出てしまう。傑作と呼ばれる作品を何度読んでも、ヒントが浮かんでこない。そこで、傑作ではなく、印象深かった作品を思い出してみると、西村賢太の(苦役列車)に思い当たり、図書館からもう一度借りて来て読み、研究する。

 書き出しからして、朝起きて、臭い汲み取り式の便所に入って小便を長々とする場面である。一般的な作家はこんなありふれた汚い婆面は最初からきりすてるのであるが、その作品は芥川賞を5とっただけあって、心に残るものであった。なぜなのか?と考えた。作者は私小説の信仰者であり、無名の私小説作家の全集を発行もしているのである。そこでわかったのである。作者の狙いは、切り捨てるものの中に価値があるという見方であったのだ。それはわたしがこのホームぺーヂの冒頭に書いていたことではないか?

 つじつまが合った。作者が書いたある小説の中で編集者はこの部分は切り捨てろ!と言うが、妥協せずに文芸雑誌にのせたところ、その部分が評価され、認められたと書いていた。作品の評価と言うものは結構難しいものである。ヒット曲やタレントや映画であっても最初からうまくいくとは限らない。

 そんなことを考えながら、取り組んでいる作品の切り捨てるか所にもう一度目を向けることにした。日頃の生活の中でも切り捨てた知り合い・友人や食べ物、映画などいろいろあるがもう一度、手に取ってみると意外な真価があるはずである。

異界

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-10-21 7:01

  これは自分にとっては変わった体験ではなく、ほぼ日常的といえることです。午後8時ころ、布団の中に入り、異界への旅立ちへ向かう。十二時ころには寝入り、夢うつつの状態で目を開けている。目の前で黒ずんだ椅子や机、カーテンなどが微かに揺れ始めている。目をしっかり開けても左右に揺れ、生気をともなっているのである。人の形を帯び、女の姿であることを感じるがだれであるか特定はできない。黙ったまま自分と向き合っているだけでそれ以上のことはない。仰向けに寝ていて、右側は浴室とのさかいになっていてガラス戸がはめられ、目隠しのために本棚を立てて、遮っているが、その隙間から小さな灯かりが縦状になって入り自分と向き合っている。光る剣のように見え、揺れるので誰かが握っているように見える。それが自分を刺そうとしている。(誰だ?何をするんか!)と、怒鳴って立ち上がり、布団のそばにあった何かを握り、投げつけた。正気に戻って、ガラスが割れたかな?と心配になってガラス戸を触れてみるがどうにもなっておらず、投げつけたはずの物も見当たらない。以前はガラス戸を寝たまま蹴り上げたことがなんどかあった。

 日常性生活の中で幻覚を見ることはないが、勘違いや思い込みが多く、感情的になることが多いので、NHKに居た頃も気違いだと陰口を叩かれることがあった。受信料のことで客と言い合いになることがすごく多かったからである。

 ひるがえって現実世界を眺め、ウクライナ戦争のプーチンの姿など見ると、人は皆気違いであると思う。太平洋戦争において、日本は欧米の侵略からアジアを護るという大義名分のもとに中国を侵略したことはつい最近のことである。数百万人の人を殺し、ヒットラーも同じことをやった。いつ、尖閣列島や北方領土を守るという名目で戦争を始めるかもしれないのである。そのことを掘り下げて報道するマスコミはなく、ウクライナ戦争を視聴率の材料としか考えていないのである。

吃っていれば治る

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-10-10 10:01

  昨日は教会に、日曜礼拝に行った。若い男がドモリながら牧師に、クリスチャンの数が減っているとしゃべった。珍しくドモリの声を聴き、自分のしゃべり方を耳にした。

 わたしは75歳になってもドモリである。ずいぶん長く付き合ってくれるな?と考えながらも、人前でしゃべることもなくなったので困ることはないとわかっている。その若い男と話をしてみたかったが、夕方からカート整理のバイトがあったので昼前に、帰宅した。

 ドモリとは奇妙な症状である。身障者に認定されることはなく、精神科医ですら症状の原因をはっきりと突き止めてはいない。が、わたしにはその症状のからくりを自己研究によって十分にわかっている。人は言葉をおぼえはじめた頃、上手くしゃべれず、戸惑う時がある。その時に、そんなしゃべり方をしてはいけない!と注意すると発語をとめてしまい、ドモリになっていくのである。歌ではドモラないので器官に異常があるのではなく機能・働きに異常が出てしまってるのである。幼児のドモリ症状を放置しておくと、まわりのしゃべりかたに同調して自然になおっていく。

 自分の場合は働いていた頃はほとんど治っていたが、退職して一人ぽっちになってしまうと話し相手がおらず、再発しがちなのである。だから、教会に行って賛美歌を歌ったり、弁当配りの仕事で声を掛けたりして、世間と調和し、言葉を出やすくしている。

 悩んでいる方はこのからくりを知って欲しいし、そばにいる人も理解して欲しい。

女の気持ち

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-10-6 7:53

  その花の名前を思い出そうとするが、思い出せない。アマクリナムだったと考えて検索するが出て来ない。ピンクの百合のような花で、今は畑で枯れている。親しいと言っても、友達の関係である奥さまから、いただいて4月頃、球根を6個ほど植えた。この前の電話で、花が咲いた?と尋ねられた。ほぼ忘れていたが、その場所は草刈りをしたことを思い出し、失敗した!と思いついた。あまりに畑が広いので忘れてしまい、草刈りをしたことだけは頭に残っていた。奥様に正直に告白して、草を刈った後を調べてみると、何株科の球根が残っていた。良かった!奥さまの気持ちを踏みにじらなくてすんだ!

 それからその花は芽を出し、見事に咲いたのであった。

 奥さまに電話で告げると、良かったわね!

 と喜んだ。

 ところが、産直店に持って行って売った?ときくのでびっくりした。

 そんなことは出来ないよ!

 どうして?

 あなたの気持ちを踏みにじることになるじゃない!

 そんなことはないわよ。あなたに生活の足しになると思ってあげたのじゃない?

 ・・・・・・。

 そこで考え込んだ。

 奥さまは自分を弟のように可愛い、といってくれるがそれ以上の関係には進まない。自分も女を感じないので、それで良いのであるが、もらった花をすぐに売ってしまい何ていう事はあるのだろうか?せめて何年かたって、増えたので売るのであればわかるが、どうも腑に落ちなかった。

 そこで思い出した。

二年前に奥さまにうちで咲いていた八重椿の花をさしあげた。すると、あまりにきれいだったので友達にあげたという返事があり、心に引っかかっていた。おれの気持ちも入っていたのに、すぐに人にやるなんて?

 奥さまはすごく気前のいい人ですぐに人にあげるのであるが、どうもわからない・・・。

 

 

コオロギと一緒に食べるビスケット

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-9-30 7:23

  あいかわらずの毎日であるが、死なないから生きてるようなものだ。週に2回のアルバイト、庭の栗拾い、際限のない草刈り、もみ殻とヌカ取りで、1日が終わる。ポンコツ車が助けてくれているが、走行距離は10万5千もいっている。タイミングベルトを交換しないとエンジンが止まってしまう、と言われながら、5万円

もかかるので金がない。あと、5千キロは走れるだろうか?と怖がりながらハンドルを握っている。俺の寿命とリンクしているみたいだ。今、75歳であるが80まであと5年である。

 足腰の痛む時はリクライニング式の座椅子にひっくり返っている。そこで飯を食べ、お茶を飲む。昨日、そばでゴソゴソ動く気配を感じた。よく見ると、1匹のコオロギがおれの食べていたビスケットの袋の中に潜り込んで、ビスケットをかじっていた。

 笑笑である。

勃起の不思議さ

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-9-8 18:20

  75歳になって、インポになったが、妄想だけはたくましいのでそれほどの痛手はない。

 勃起は男だけのものではなく、女にもある。クリトリスが大きくなり、硬くなるので男の現象との差はない。クリトリスのまわりが赤くなって充血し、膣は広がる準備をしている。男の場合はペニスが立つのでわかりやすいい。女の場合はわかりにくいが、顔や肌が赤らむので注意してみてるとわかる。

 ただ、勃起するきっかけというのは考えてもわからない部分がある。性欲が高まっての場合はわかりやすいが、そうでない場合どんなきっかけで勃起するか?ということである。不意に勃起するのはダムの水位が高まった場合と同じで、性欲が溜まったにすぎないが、精神的な場合である。色っぽい女、体から性のオーラが出てる女に興奮するのはわかりやすいが、よく言われるチラリズムを見て興奮する場合である。そのものズバリを見せるのではなく、比喩的に遠回しにちらりとパンティを見せられたときの興奮はドキッとする。それは芸術的な感性で、動物は当然備わっていないであろう。女も浴衣姿の男の腰を見て興奮すると言ったことがあるから、チラリズムは男女の共通のものである。

 比喩的遠回しにと書いたが、すべての芸術作品の隠れた秘密はここにある。その手法を知ったものでなければ芸術家にはなれない。自分が死ぬまで小説家志望としか言えないのは、これば原因である。

 さて、本題は、ペニスは随意筋なのか不随意筋である。心臓や肺みたいに自分の意志では動かないのか?いやそうではない。インポの場合は別だが、性的妄想を意志で沸き立たせれば勃起するので意志の力で動くと言える。また、これをやればレイプになるのでやってはいけないと考え、勃起を中断させることもできる。だが、レイプ事件が起こるのは中断や阻止ができない、あるいは忘れてしまう場合である。食事をする場合に美味しさを感じるのは神がその仕組を作ってくれ,美味しさを与えてくれているからであり、腐りかけたものを口の中に入れると吐き出させるのは、体を守ってくれているからである。と考え、ではレイプや暴行の場合はなぜ神が阻止してくれないのか?このことを教会の女牧師に問うているが、返事は来ない・・・・・。

 むずかしい信者が来たものだ?と考えているに違いない。

人間の意志の関われない体の動き

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-9-2 9:52

  人および動物一般の内蔵、つまり心臓や肺や肝臓など、それらは誰の、あるいは何の力で動いているのか?と、考えた。その結論はエネルギーであり、では誰のものなのか?ということになった。もしかすると神の力ではないか?と思った。あるいは宇宙のエネルギーであろう。植物の生き方を見ればわかるように彼らには意思などはなく、すべて自然のエネルギーで生きているのがわかる。

 75年間の人生において、あんなことをやるつもりはなかったのに体が動いてしまった経験を何度かやり、九死一生をまぬがれたことがあった。ほんの数分の時間差でまぬがれたのであった。ある女と偶然、同居することになり、女と相手の男との話し合いの場を待っていた。男は約束の時間に帰ってこず、二人は時間を持て余していた。寒いやろう、こっちに来ない?の言葉が引き金になった。体が合わさり、行為に入った。数分後に男は帰ってきたが、気配を察して体は離していた。数分の誤差で助けられた?それがなければ殴り合いになって殺されていたかもしれなかったのである。

 そんなことをしてはいけない、と考えながら、勃起していたのであった。勃起してはいけない時に勃起したのだった。勃起は不随意筋の働きであり、自分の考えでは神の力であるということになるが、(なぜ、あんな時に神は勃起させたのか?)と今、教会の牧師に問うているが、少し待ってください、という返事。たぶん、難しくて考えきらないであろう。

 (人間の意志の関われない体の動き)は珍しいものではなく、突拍子もなく動く場合だってあるが、原因はわからない。何のなせるわざなのか?医学や宗教でも説明がつかないが、奥深い聖書のどこかに眠っているかもしれない。

 車の作動はすべてわかっているから、修理ができるが人間はそうはいかない。車は作る前の設計図があるから修理もできるのであるから、人間の場合もその設計図の部分から調べねばならない。

自分が死ぬ日

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-9-1 21:41

  相変わらず、一人住まいのニート生活を送っているのはそれしかないからである。週に三回ほど、短時間のアルバイトをし、あとは農作業と買い物くらいである。暇だから考え事をする。さて、夏が過ぎ、秋が来て新しい年を迎えるのか?なにをしようか?

 だが、待てよ、おれはあと何年生きるのか?今、75歳だけどオヤジはたしか75で死んだと思う。するとおれはもう死んでも良い歳なんだな・・・。もうすぐ死ぬんなら二、三年先のことだって、もう関係のないことではないか?死期が近づけばいつ死ぬかがわかるというが、おれもそうなんだろうか?そんな気配はないが、死ぬのが怖くて首をつった男がいた。その気持ちはわからないことはない。 

 小説(予告された殺人の記録)の書き出しを思い出した。(自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは・・)という奇妙で不可解な文章で始まるが、自分が殺されるなんてわかっていたんだろうか?まわりの者達はサンティアゴは殺されると噂していて、そのとおりの結果になるのであるが、どこか恐い小説でもある。

 自分が死ぬ日が予感であってもわかってしまうとどうなるであろうか?何人かの親しいも者たちに、お世話になりました、と礼を述べて行くだろうか?いやすでに布団かベットの中にいるのでそんな事はできないから枕元に呼んで手をにぎるかもしれない。

 こんなことを書いていると、死ぬことが現実て的になってしまうが、現実なのである。死んでどこに行くかわからないから不安である。わたしはいちおうクリスチャンであるが、やはり母や父が迎えに来てくれるほうが嬉しいし、安心できる。イエスや神が迎えに来てくれてもしょせんは外国人である。

 最近は、血汐、という母を肖像にした小説を書き始めたが、自分が年老いていくと、母のことを想ってしまう・・・・。その作品の中では亡くなった母と会い、生きてる頃に話さなかったことを話し、ゆったりした時間を過ごしたいと思う。

眼下の敵

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-8-27 8:52

  コオロギの声が庭から聞こえ、涼しい風が入ってくる今、夏が終わる気がしてきた。なんとも長い夏であった。コロナの猛襲、ウクライナ戦争の継続、統一教会・霊感商法問題と世の中が騒ぎ、自分にとっては(眼下の敵)との戦いが終わったのであった。

 あれから、薄い網ネットでスイカを包んでいたがそれを破られ、食べられた。それで、洗濯のときに使うネットの強いのが100円均一で売っていたので,それで五個のスイカを包んでみた。チャックを閉めた。翌日は来なかった。次の日、驚いた。ネットのファスナーのチャックが開けられていたのだ。アナグマは大きな爪で器用に開き、これを見ろ、と言わんばかりにスイカを食べ、その破片を当たりにばらまいていた。が、食べたのは一個だけであった。さて、困った、と考えながら、一案を考えた。ファスナーを閉じ、チャックの穴と本体にに針金を通し、結んでみた。四個のスイカである。

 翌日は来なかった。奴は毎日食べるわけではなく、二三日おきに食べることがわかった。

 すると、3日後に、食べられていた。なんと、閉じていたファスナー本体がきれいに開かれていたのであった。引き破ったわけではなく手品でもするようにきれいに開いた。どうして開けたのか?考えてみたがわからない。

 そこで残りの三個のファスナーを閉め、綴じ目の三箇所に針金を通し巻きつけ、閉めた。

 ネットはすごく丈夫に作ってあるし、針金の巻き目は外せはしないであろう・・、と考えた。

 次の日、食べられていなかった。安心したが、油断はできない、また食べられるかも知れない・・・?と考えた。

 その次の日からスイカはネットの中で大きくなっていった。アナグマは来なくなった。やつは開けることをあきらめたのか他に食べるものを見つけたのかも知れなかった。庭のクリも大きくなっている。8月の末であるから、スイカはもう成長しなくなる、これで終わりにしようと思い、奥様に電話して、アナグマに引っかかれたスイカがあるけど要らない?と電話で聞くてバイキンが移るかもしれないので要らないという。それで自分で食べることにした。熟させるために縁台で3,4日陽に当てた。中玉くらいのサイズであるが、眺めていると自分の家族のように見えた。唐草模様の着物を着て、本当に可愛いかった。

 縁台にまな板と包丁を持ってきて、割ってみた。鮮血を吹き出さんばかりにして体を開いた。まるで大地の鮮血であった!

 ゆっくりと味わいながらスプーンで食べていった。無上の美味しさであった!

 こんな美味しいものを食べたからには死んでもいいと思った。四分の一を食べ、残りは冷蔵庫に入れた。それから毎日、畑の草刈りをした後に極上の味を味わった。最後に残っていた2個を奥様の持っていくと、一個は熟していなかったがもう一個は美味しく、わたしの食べたのと同じように鮮血の色だったと、言った。

インポになってしまったわたし

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2022-8-13 8:22

  人生最大の楽しみができなくなって、悲しい気分である。ほろ酔い加減で立つのは立つが、(勃起)には至らないのである。だから、妄想だけで我慢している。

 誰がこんな嫌がらせをしたのか?なんのためにしたのか?と、考えてみると、思考の意外な発展が出てきた。その前に、誰がなんのために勃起のしくみをつくったのか?と考えてみた。それは人類繁栄のため、いや生命繁栄のためであり、聖書の創世記の箇所に2千年前に書き記してあり、まったくの真理である。でも、食欲の次に並ぶ人生の楽しみであるがそれに比例しての苦悩も抱えこむことになってしまった。楽しみが消えれば苦悩も消えることなのである。解放されることである。

 自分の意志で勃起するのではないしできるのでもない。では誰の力なのか?と考えれば仕組みを作った者としか言いようがない。神の力である。すべての不随意筋、つまり、心臓、肺、胃腸などの筋肉と同じく意志の力ではないのである。それは自分の意志で生きているのではないことなのである。神の意志といっても過言ではない。死ぬ時はやはり、神の思し召しなのである。

 もうお前の役目は終わったから、幕を閉じなさい・・・。

 神は言っているがいつ、どのようにしてかまでは教えてくれない。でも何人かの者には死ぬ時がわかるらしい。

 それまで、(人間業)を続けるしかない。ますます小さくなっていく楽しみだって残っている。今日は弁当配り似日で、三十件ほどの老人たちと会うことにそこに自分老い先の姿が待っている。

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