芳恵は叫んだ。
間を置いて大きく息を吸った。
泣きわめき、獣じみた声を張り上げた。
椅子に座っていた智樹の肩を蹴り上げた。椅子もろとも倒れた彼を足でさらに蹴った。
喘ぎ、鼻を啜り上げ、「この女狂い野郎!」と罵りつづけた。
智樹は蹴られるにまかせ、そのことでしこりが少しずつ溶けるのを感じた。
「隣の奥さんが私に話してくれたんや。智樹、俺の女を返せ、やて、みな聞いて知っとるんや。私はどんな顔して外に出れば良いんや?教えてえな、この女狂い!」
芳恵は倒れた彼の顔に唾を吐きつけた。
彼は倒れたまま手の甲で唾を拭った。されるままに身をまかせながら、これくらいの暴力で片づくことならいいのだがそうはいかない、と考えた。
芳恵は部屋から出て行った。
彼は起き上がり、椅子を立たせると、腰を降ろした。
彼は蹴られた肩を手で摩りながら、次の仕返しを待っていた。
突然、ドアが開けられた。
仁王立ちになった芳恵が折りたたんだ敷き布団、毛布、掛け布団、枕を両手で持ち上げ、彼の前に投げつけた。
「これからここで寝なさい。食事もひとりで勝手にして!」
荒々しくドアを閉め、去っていった。
離婚するか?
それで片づくか?
幼い子供たちが不憫である。成人しているのならともかく、精神的経済的にも自立するまで見守ってやりたい。
引っ越して借家かマンションを借りようか。
4LDKくらいの広さがないと芳恵と顔を突き合せねばならず、気まずい日々を送ることになる。部屋代が月に十万円以上はかかり、負担が大きすぎる。
美咲と別れる。
としても過去が消えるわけではない。
彼は布団を床に延べると、掛け布団と毛布の中にもぐりこんだ。
うとうとしながら、眠ったか眠ってないのかわからない時間がすぎた。
長男がドアを開け「パパ、ご飯だよ!」と言ったので、テレビのそばの置時計に目を向けると七時であった。
「そっちに行っては駄目!もうパパじゃないんだから!」と芳恵は長男の腕を取って引っ張り、食堂間に連れもどした。長男は泣きはじめたが智樹はどうすることも出来なかった。
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