「噛み噛みするんだよ」と智樹が言いながら、歯を噛む真似をしてみせると、わかったのか前歯を動かした。
この息子を失うことだけはしたくない。
(でも、あれはいったい何だったのか!あの精神病患者の言葉)
彼は急に考え込んだ。
「パパ、もう一人作ろうか?」
キッチンに立って、デザートのリンゴを剥いていた妻は背中から声をかけた。
「なにを?」
「あら、子供よ。今度は女の子が良いわ」
「そう簡単には選べないだろう」
「女の子ができるにはどうしたらいいか本やネットで調べてみようよ」
「うん」
彼は言って、息子が夫婦の雰囲気を感じ取ったのか、ウウ、ウウ、と笑っているのを見、この子がこのまま成長しないでいてくれたらいつまでも可愛いんだがな、と勝手な考えにふけった。
成長しても自分を父親として親しんでくれればそれで良い。
妻は精神病患者のあの言動は知らないようだし、出来事が立ち消えてしまえばなかったのと同じになる。
第十三章
俺をドロボーと呼んだ男!
(俺の女を返せ!)
その言葉。
智樹は仕事部屋の回転椅子に座り、考えに耽っていた。
美咲との不倫を恨んだ高橋徹の復讐である。
それ以外は考えられない。
智樹は情報収集において闇のルートを知っていた。麻薬の取引みたいにお互いのことを知らずに金さえ出せば情報をくれたし、被害者が気づかない限り警察沙汰になることはなかった。
ケイタイに非通知設定をし、電話を入れた。
「お世話になっております。丸八寿司店でございます」
若い女の声で返事がかえってきた。
「マルハチってどんな字でしたかね?」
「(丸い)のマルに数字の(八)でございます」
「トロの仕込み具合はどうですか?」
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