勉は父の遺書の中に怜子の名前が出てくるのを知り、追跡していった。パラノイヤ(偏執狂)は妄想狂に進む、という表現が出ていた。怜子の性格の分析であった。
勉はその中に登場していないが、(飛び火)に勉の父、母との関連が出てきた場合、智樹は彼らを登場させるつもりであろうか?と考えた。
 
       
第十二章
 
智樹は二歳半の息子と一緒にテレビの動物番組を見ていた。ソフアに体を並べ、息子は彼の胸にしっかりと抱きつき、眠りかけていた。まるで子猿が母猿に抱きついたみたいにいつまでも離れようとしない。ランニング・シャツを通して伝わる幼児の体は自分の体の一部に通じていて、心を和ませ落ち着かせる。
先ほどまで息子はリクライニングシートに寝転んだ智樹とじゃれていた。智樹は右足を折って立てる。次に左足を曲げ、その膝の上に足首のせるて穴をつくる。その穴の中に息子は首を突っ込む。穴が小さくて入りにくく、何度ももがく。苦労して入ると喜ぶ。それを見ていた智樹と目が合って笑う。穴から抜け出るともう一度やろうとする。首が入ると、智樹は穴を小さくする。首は抜け出れず、苦しむ。穴を広げて、抜け出す。また笑う。どこで覚えてきたのか自分で考え出したのかわからないがいつもそんなことも飽きずに繰り返すのであった。
動物番組は飽きなかった。彼らは精神と行動が一致しているので、不安や迷いに陥ることなかった。人間が失った野性の本能にしたがって生存のための殺戮、自己の死も自然に引き受ける。それが崇高に見え、敬服させられる。人間はその時代から随分と離れてしまった。それは幸福なことだったのだろうか?
九時に近づいていたので、息子を抱いて寝室に運んだ。
彼は食堂間の椅子に座ってコーヒーを飲み、タバコを吸いはじめた
食堂間は戸建ての並んだ歩道に面していたので通行人の話し声や笑いや歓声が伝わってくる。小学校下校時の子供達が歓声をあげ、不意打ちをうけて、おどろかされるされることもあった。家の並びに両側から挟まれた歩道は声や物音を反響させた。
だが闇の深まりと入れ替わりに、静寂に占められはじめていた。
先ほどから低い叫びのようなものが、行ったり来たりしている。止もうとしない。

歩道はまばらな街燈の明かりを除いて、闇の中にあるはずだった。 

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