あんな事件を起こされるなんてカルマに囚われているのね?そんなふうには見えないんだけど」美咲は言って感慨に囚われていたが、「もう三十年も会ってないわ。歳をとってどんな男になってるかしら、向こうだってわたしの顔を見たら驚くでしょうね」
ラブ・ホテルのソファに座って彼女はつづけた。
「あなたの家の向かいに越してくるなんて、どういうことかしら?何かの因縁かしら。もちろんあなたはわたしとのことなんて持ち出さないわよね」
「もちもんさ」
智樹は彼女の肩に手を回して言った。
「怜子さんって時々目が中に止まって、妄想狂特有のものだったわ。自分の都合の悪いことになると平気で嘘もついたわ。あれじゃ、信用されないわね。亭主と隆さん、怜子さん、わたしと四人でドライブに行ったことがあるわ。隆さんが友達の車を借りて運転したんだけど、当時はまだ日本が貧しくて学生でドライブをするなんて珍しかったわ。助手席に怜子さんが座ってたんだけど、隆さんの運転の仕方にクレームをしょっちゅうつけてたわ。交差点の信号待ちで彼がサイドブレーキをひくとこんなところでサイドを引くんじゃない、とかエンジンブレーキをかけないとガソリン代がもったいないとか。隆さんは笑いながら黙ってきいていたけど、おせっかい焼きの先走りの強い女だな、ってわたしは思って、彼女にあんまり言わないほうがいいわよ、運転の邪魔になるから、っていうと黙り込んで二度とわたしと口を利かなくなったのよ」
「結婚までしたんだからそんなにおかしいところはなかったんじゃないか」
「それは常識的なところもあったけど、オカシイところが多すぎた。なんであんな人と結婚したのかしら、彼女に押しかけられたようなものよ」
「体の関係が出来ると男は弱い」
智樹は言って彼女の横顔を見た。
「女は強いって言うの?」
「女のほうが一枚上手だよ」
「どうかしら」
そんな会話を思い出していた。
夏の日差しが強く、汗が麦藁帽子と額の間から滴り落ちるのがわかった。智樹は麦藁帽子を脱ぐと、首に結んだタオルをほどいて、顔をぬぐった。
「せいが出ますね。ここに来て一休みしませんか?」
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