智樹はセールスではないかと最初訝ったが、
 「向かいの家に越してくる佐藤といいます。建築中騒音でご迷惑をかけてたと思い、気になったもんですから」
 智樹の目を見て言った。
 「それはお互い様ですから」
 智樹は笑顔でこたえて、佐藤という名前に関心を払うことはなかった。ありふれた名前である。
 「つまらないものですけど」
 菓子折りを紙袋から出して彼に渡そうとしたので、形式上一度断り、二度目に受け取った。
 「このあたりは初めてですか?」
 「・町の借家で息子夫婦といっしょに住んでいましたがここに二世帯住宅を建てようとしているんですよ」
 「・町ならすぐ近くですね。このあたり知らないところではないでしょう」
 「だいたい知っています。よろしくお願いします」
 「こちらこそ」
 智樹はこたえてドアを閉めた。
 男の頭の下げ方が深かった。民間の営業関係の仕事だと読み取った。
 小道をはさんだ向かいの家であるから、挨拶ていどの付き合いになるだろう。
 仕事部屋に戻りテープ起こしをしていると、三十分くらいして
ケイタイが鳴った。
 耳を当てると山本の声であった。
 穏やかな口調は非常に丁寧でもあった。
 「良いことがあったので電話しました」
 「あーそう」
 「実は隣の佐藤さんが越して出て行ったのです。何でも家を新築したらしいんですよ、二世帯住宅で息子さん夫婦と住むらしいんですよ」
(二世帯住宅)?
 智樹は唖然とした。
 まさか?
 「どこに越したかわかりますか?」
 「えーとですね。そういえば宅急便がきたり人が尋ねたときに新住所を教えてください、といって佐藤さんは紙に書いて渡していったんですよ」
 山本はケイタイを置いて、メモ紙を探していた。 
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