向井は天井にむけてタバコの煙を吐き出した。
禁煙を何度も誓いながらとめきらない。
「結局、女でなくなるんだから、男が睾丸を切り取られたようなもんだろう」
智樹は言い、「夜伽だって美味くいかなくなる」と古風な言葉を使った。セックスのことであったが物知りの彼は周囲をはばかったのだ。
「その女の旦那は当社の新聞拡張員だったから詳しく調査出来た。彼は調子者で、遊び仲間が多くてね。その中に麻雀屋にあるような麻雀台、つまり機械で牌をかき混ぜるんだけどそれを持ってる者がいてその家にしょっちゅう麻雀をしに行ってたんだ。徹夜になることもあってな。ところがそこの奥さんがえらく色っぽい女で、スナックのママをしていたこともあるんだ」
「そこで邪推が始まったんだろう?わかるわかる」
「そうなんだ。事件の女は痩せて小柄で顔色も悪かった。見るからに心が病んでいる感じだな。亭主が仕事に出掛けると彼女は電車を二つも乗り継いで、その家に探しに行ったんだ、夫をな。まわりをうろうろしたり、家の陰にじっと立って中の気配を窺ってたんだ。ある時なんかドアをノックして奥さんが出てくると、うちの主人はどこに隠れてるの?と問いつめたんだ。そんな人いませんよ、とびっくりして応えると、では探させてもらって良いですか?、って言って、家の中に入り、風呂やトイレの中まで調べたっていうんだ」
「ふん」
智樹は女、いや女に限らない人間の怨念、妄想を感じた。
「ところで二人は関係があったのかい?」
「いや、それが全然なくて、奥さんは嫌ってたんだ。下品な感じがする男って言って」
「ふん?」
智樹は目線で探りを入れた。
「男は女房と東京の板橋で肉屋をやっていたけど道路拡張に合って立ち退きをさせられたんだ。一千万円近い立ち退き料が懐に入ってな、戸建ての中古をローンで買ったらしい。それに四十歳は過ぎてるのに自分の車に大型マフラーを取り付け、シャコタンにして町中を暴走したりしてたんだ」
「えらく若いじゃないか、にわか成金のつもりだったろうが」
「そんふうに見えるけど、女房の鬱病のせいで不眠症にもかかってたんだよ。新聞拡張の仕事の合間に昼間から公園のベンチで大いびきをかいて寝てたこともあるらしい」
「睡眠不足でストレスが貯まってたんだな」
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