「誰しも自分のことはわからないんだよ」
「未来を予感するなんて良いことなのか悪いことなのかわからない」
「良い未来なら良いんだけどね」
「どっちが出るか分からない、バクチみたいに」
「自分の未来なんて誰もわかりはしないよ」

 智樹は仕事の空いたときは野山や海、河、都会の雑踏や祭りに出かけて、ビデオやカメラを向けることを楽しんだが、それが新聞の記事や写真にもなるのであった。
 彼は亡くなった父の所有する竹の子山に出かけ、家族と竹の子を掘ったり、バーベキュウを楽しんだりしたが、家族が共に出掛けられない時はひとりで落ち葉を踏みしめながら歩いた。ビデオを回して風にそよぐ竹の葉やウグイスの鳴き声、日を浴びた落ち葉の地面を映し、ある時は寝ころんで、(竹の子山運動会)の構想に浸った。それは耕作放棄地の活用にもなると考えた。竹馬を小学生達が作り、ゆるいが石ころだらけの斜面で競歩をする、竹スキーを作って60度ほどもの枯葉の斜面で滑る競技、竹で弓矢を作って的を打つ競技、竹で作った木琴、笛、カスタネットでする演奏会、竹で炊いたご飯、竹の粉で揚げたオカキ、竹まんじゅう、竹の食器、竹の先に付けたブランコで遊ぶ、など彼は想像し、取材先の野外型学習塾と智樹の新聞社との協賛でそのイベントを秋に開きたいと考えていた。当然、新聞の記事にもなる。

 智樹は一連の火事の中で二件の事件が気になった。
 九件目の焼身自殺、それに十件目の自宅の放火事件である。
 佐藤の入居と隣家の火事の因果関係を推定するならば原因は憎悪・怨恨ではないか、と考えたのであった。佐藤の妻の義母、そして義姉妹に対する憎悪・怨恨、このエネルギーがそのまま安らかに眠るはずはない。マグマは地中から噴出し、経路をたどって流れていく。経路が佐藤の移転先だと考えるのは穿ちすぎであろうか?
 智樹は特急電車とバスを乗り継いで愛知県豊田市の現場に向かった。電車の中では市民新聞の連載記事を思案していた。佐藤隆の赴任先での家事を記事にするのは簡単だが、怜子の焼身自殺と連続性がない場合、読者は失望するだろう。ノンフィクションといえどもそれはスタイルにすぎず、筋道を立ててテーマを作っているのである。

次号にまで一回目を掲載しなければ記事の鮮度が落ちてしまう。山本からの手紙が発端であるが、その時からすでに二ヶ月が経ってしまっている。 

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