今度は妻と息子を連れて来たいと思った。
寝る前に海を眺めた。波止場の照明灯が黒い波間に映えて揺れ、沖の方では漁火が蛍のように光っていた。窓を開けると潮風がやわらかい匂いを寄越して顔を撫でた。こんな自然に恵まれた所であんな事件が起こったなんて信じられなかった。
そこであることに思いつき、身の毛が寒くなった。
高橋の移転先で発生した十件の火事のうち、二件は居住者が床に灯油を撒き、放火していたことである。
午後十時であった。
ホテルの夜警に「近くの飲み屋に呑みに行ってきます」と言葉を入れた。初老の彼は「裏口の閂は一晩中抜いときますけ、ゆっくり行ってきなっせ。看板の出とる(カワハギ屋)ち言う飲み屋はカワハギの肝を出してくれて、珍味ですばい」と、教えてくれた。
旅館を出ると、引き寄せられるように更地に向かって歩いていた。
空き地の闇に引き寄せられた。
中ほどまで歩くと、何故か、西、つまり福岡市の方を向いて立った。
闇の中に嵌りこんだ。
(子供のすすり泣き)とは焼死した三歳の子供に違いなかった。
彼は耳を澄まし、目を凝らしていた。
五感が引き絞られ、針になって一点に集中した。空間に漂うエネルギーが情報を検索し、五感と照応するものを集め、紡いでいった。
闇の中のどこかで呟きじみたもの、聞き取れない声みたいなものがあちこちから湧いてきた。吐息、軽い喘ぎが散発したが自然から発したものとは違うエネルギーが感じられた。大気が濃く、粘っこささえ感じられ、生命体の気配さえ感じられた。トナリの世界から漏れ出てくる奇妙で異質な雰囲気を感じ取り、寒気をもよおした。
 
         
第八章
 
「これはオキュウトって言うんだよ」
二歳半歳の息子にとってオキュウトと言う言葉は初めてであった。
テーブルに立って両肘が置けるほど成長し、元気良く動き回った。目が離せない時期だ。目を輝かせながら、上手く発音した。 
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