「うちの爺さんは七十六で逝ったんやけ、隣も長うないばい、そんな元気があるとやろか?」
老婆は他人事のように言った。
そこで会話が途切れた。
「ママさん、この村はのどかで良いですね。ぶらついていたら、不思議なことに家同士の境がないですね、普通は垣根やブロック塀で固めるのに」
智樹は口を開いた。
「それはあなた土地なんち言うもんはもともと誰のもんでもなかとですよ。浜辺で倉庫でも建てて物置にでもしとったらそのうち自分の土地ち、言えるとですけ」
彼女は湯気の上がるチャンポンのドンブリを彼の前に置きながら言った。
「そう言われればそうですね。もともとは誰のものでもないんですよ、昔はそうだったんでしょう」
彼は感心して、箸を取った。
「この店の向かいは空き地になってますね?」
客は彼一人だった。
「えー、お客さんは東京からいらしたとじゃないですか?」
「どうしてわかったんですか?」
「言葉がきれいですから」
「そんなに感じられますかね。そうです。不動産関係の仕事でね」
「あの土地はもう、四十年もほったらかしです」
「立地条件は良いはずですよ。薬屋、床屋、金物屋、衣料品店と並んでますからね。あそこだけ空き地だなんて、何かあったんですか?」
彼は具のキャベツに息をかけ、冷ましながら言った。
ママは彼の目をまともに見つめた。
しばらく黙っていたが、「火事で焼けたとです」と応え、「お客さんは不動産の調査で来なすったとですか?」と目線を引いて訊ねた。
「ええ、そうです」
「何が出来るとですか?あんな狭い所に」
「それは調査の結果次第です。以前はパチンコ屋だったらしいですね?何で焼けたんですか?」
「ええ、私が中学二年の時でした」
彼女は言ったまま言葉を閉じ、その話題から気分を変えようと窓の外に目を向けた。ホサキを見せて漁船が船溜まりに近づいていて、彼女は帰港した船が誰のであるか確認していたのだ。
![]() 火炎p52 |
![]() 火炎 |
![]() 火炎p54 |