「風は変わらん。俺の家でマージャンでもするか?あと二人くらいは揃うやろう」
 相棒が言うと、小男はビール瓶を傾け、空になっているのを確かめた。二人は立ち上がった。
 「ママ、つけとって」
 小男はノレンのそばまで素早く歩み寄り、振り向かずに言った。
 「タッチャン、もう五万くらいになっとるばい」
 彼女はツケの金額を伝えた。
 「今度、ソーメンノリば袋一杯もってくるけ」
 小男の相棒は顔を向けて笑った。
 ソーメンノリとはここだけで採れる珍味、高級品であった。モズクと違ってウドン玉の半分にも太い海苔で、ポン酢をかけショウガをまじえて食べると、ぬるりとした舌触り、柔らかい噛み心地、甘味など何ものにも例えがたいほど美味しい。料亭に出すと高い値で売れた。
 「いつもニコニコ現金払いやったろう?忘れたらいかんばい」
 ママの言葉に二人は踵をかえさなかった。
 「漁師ちあんなもんやけね」
 ママは独りで喋った。
「漁師なんち可哀想なもんたい。今じゃ観光客が来てワカメやら、ビナまでとり尽くして、岩場に行っても何にもない。夜になったらヨゴレ(ヤクザ)が潜ってアワビまでごっそり採っていきよる。サザエもベラもタコもクツゾコもヒラメもぜんぜんおらんようになってしもうて遠海まで行かないけん。油代がやおうない」
 端の席で豚骨ラーメンを啜っていた老婆が喋った。
 日焼けして皺が寄り白髪頭でいかにも老婆と言う感じであるが、顔の艶は良い。
 「隣の爺さんが相変わらずしつこいでなあ」
 彼女は話を変えた。
 「まだ寄って来るんね?良い歳をして」
「男ちゃあんなもんたい。爺さんが死ぬ前にいらんこと言うたけん」
それは二人だけの内輪話のはずだったが、部落のほとんどの者が知っていた。
隣の亭主と老婆の主人は幼友達であった。小学校も中学校も同じで仲が良かったが、三年前亡くなる時、自分の妻を贈呈すると遺言を残したのであった。冗談のつもりでも彼は本気にし、事あるごとに色目を使い、彼女の家に入りこもうとした。もともと家の鍵などかけない部落であったが、彼女の家だけは昼間からすべての戸に鍵を掛け、訪れる者は声を確かめなければ開けなかった。 
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