玲子が思い込みや妄想の強い女であることはわかっていた。自分とはスキヤキを囲んだだけの仲なのにここまで関わってくるとは?やはり、オカシナ女だ。彼は不快に思った。が、彼は不倫相手の名前や住所があまりに具体的なので彼女が自分の未来を見たのではと考えた。狂気と超能力はどちらとも過剰な精神反応であり、彼女が自分に超能力があると手紙に書いていたことがあった。予期したことがはずれたんなる妄想であったことも多かったので徹は彼女の超能力を信じてははいなかったが、もしや?と思う時もあった。彼が住所を確認し調べるとそこに智樹という男が住んでいて、小学三年生であることが判明した。
徹は自分の未来と隆・怜子のそれがリンクしていることを知り、三者の人生の成り行きを注意深く観察し、見守った。
三十年が経ったある日のことである。
(幸せクリニック)の一室は教会並みの雰囲気があった。
壁と天井は白一色で占められていた。小さな窓辺からは赤いバラが顔を出し、白いレースのカーテンで透かされていた。まるで西洋絵画の中に入ったみたいであった。
徹は白いワイシャツに薄いブルーのネクタイを締め、、膝の下まで届く長い白衣をまとっていた。漆黒の髪は光沢を浮かべて波を打ち、ヤギ髭が五センチほど伸びて落ち着きと威厳の効果をもたらしていた。すべては彼の狙った演出であり、威厳が患者に依存心をもたらすという計算であった。待合室には日本でもっとも権威ある大学の精神科から寄贈されたボンボン式の掛け時計がのんびり振り子をゆすっていた。
徹は回転椅子に伸びやかに座っていた。この時彼は教祖であると自分に催眠をかけ、自らなりきっていた。曲芸師になって指先一つの動きで患者を自由に操る自信を持っていた。相手は(溺れる者藁をも掴む)精神状態で救いを求めて来た者であり、どのようにでも操ることが出来た。彼がもっとも輝き、生を充実させる時間であった。四十年にわたる経験、数万人にわたる精神病患者との出会いはかれらの楽屋裏と手の内をじゅうぶんすぎるほど見せくれた。実母の顔を殴って失明させた男でも、女と見るとすぐに抱きつく爺さんでも、自己確認がほしいのである、自分の存在を知ってもらえば心の中をゆっくり聞いてもらえばどんな虚言であろうが妄想であろうが彼らは安心し落ち着くのである。そこには事実や真実など関係はない。猛獣使いが鞭を見せるだけでライオンを自由にあやつれるのと同じであった。この場合の鞭は本人の自己確認であり、患者の存在をまずじゅうぶんに認めてやることであった。
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