吉田富江がどんな女なのか徹にわかるはずもないし、玲子とのつながりもわからなかった。
(中学三年生の時、わたしの布団をめくった白衣姿の男のことを調べようと考えました。彼の勤務する病院にいきました。院長に会おうと考えて、先生の自宅の門の前に立っていました。女の人が出てきました。どなたですか?というのでわたしの名前を名乗りました。玄関から出てきた彼女はギョとしたような顔をして家の中に引っ込みました。いつまで待っても出てきませんでした)
隆は玲子が気味悪い女として噂されていることを察した。
盗み読みを止めようと考えた。研修時における患者との接触は職務上のものであるが今の行為は個人的なものであり犯罪行為にもひとしい。彼は赤い郵便受けに見える白く厚い封筒に二度と手を伸ばすことはなくなった。
一ヵ月後であった。
その日、徹は夕方に帰宅し、レポート作りにとりかかっていた。題名は(精神障害者における症状の認識)であったが、結論は精神障害者が自分の症状を健常者と比較しておかしいと自覚していれば神経症であり、自覚していなければ精神病という判断の基準をもうけるということであった。
冬の寒い日だった。彼は膝の上に毛布をかけ、机に向かっていた。時々電気ストーブに両手を持っていき、暖めないとペンが握れない寒さであった。レポートの構成と内容はわかっていたが、具体的な症例をもとに文章を練るのはかなりしんどいものであった。
彼のアパートは住宅街の中にあったから車の騒音や人のざわめきなどはなく静かであった。アパートは木造モルタルの二階建てで彼の部屋は一階の入り口から一番目であり、隆の部屋はその二番目であった。
一階の通路はコンクリートの床であった。先ほどからそこを行ったりきたりする足音が気になっていた。ハイヒールの甲高い音で、激しい勢いに特別な印象があった。
彼は筆をすすめることに忙しく、足音に集中することはなかったが気になる響きであった。地面をうがつほど荒々しく、そんな種類の音は産まれて聞いたことがなかった。あたりには時々、走行する車の風きり音しかなく、日暮れに近づいていた。

ハイヒールの音は表の通りから現れて、三度もアパート通路のコンクリート床を踏み鳴らし、往復した。隣の隆の部屋をノックし、しばらく待っているようだった。不在を確認したのであろう、表通りに戻り消えていった。隆が夜の十時過ぎにしか戻らないことを知らないのである。 

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