彼が中学生の時、図書館で読んだ精神病理学事典、そこに列せられた病名、異常言動の中で彼の理解できないものはなかった。・・・・・・、それらはすべて平均レベルを超えて過剰になり、異常と判断されたにすぎなかった。そのように分析すれば彼の内面にほとんどが当てはまり、彼にとってこの世に異常者は存在しなかった。だから異常者を自覚しながら、いつも物静かで笑顔をたたえていた。その心の中では向き合って談笑をしている相手に殺意の衝動を何度も振りかざしたこともあった。拳骨を振り下ろしあるいはナイフで首を突き刺す、あるいは校舎の屋上からこぶし大の石をあてずっぽうに校庭の生徒に投げ落とし運不運を試してやりたい、そんな空想を知ったら誰も恐れおののいたであろう、しかも何の理由もなしにである。あるいは授業中に教壇の上にあがり、ズボンを下ろしパンツを脱いで力をこめて脱糞をしたいなど、・・そんな異常行動、その衝動になんど襲われたことであろう。彼は内心薄ら笑いをして、空想の世界で酔うだけにとどめ、常識人の世界から外れることはなかった。彼は役者であったから、患者達の訴える異常性などかわいいものだと結論づけた。それは同類である患者の治療に役立ち、逆にかれらに治療してもらうことになった。一般常識の真髄を学び、そのパターン・マニュアルを読み取り自己に取り込んでいった。(こんな場合、常識人はどのように考え判断しどんな態度・行動をとるか?)を読み取り、模倣して演じ、そのやりかたを患者にアドバイスするのである。常識人を演じてやろうじゃないか、常識人たちだって演じてるにすぎないのだ。物質にたとえれば化学反応をしているにすぎず、接客業者や営業マンが学んで身につける事細かな対応マニュアルの要項にしかすぎない。そして演技を必要としなくなった時、彼、患者達と常識人の境はなくなり、すべてが(健常者)になるのであった。
何のことはない、これが治療であった。患者というのは親の教育、学校教育、マスコミの洗脳教育の段階で良い生徒になりきれなかった者達であり、再教育をしてあげれば良いのである。
徹は高校時代はマジシャン・クラブの部員で手品に長けていた。三年時に部長をつとめ、手品から魔術の世界に積極的にかかわった。インド魔術団が来日するとかかさず見に行った。特に(ヒンズー・ロープ)にぞっこん魅了されてしまった。内容は次のようであった。広場の真ん中で魔述師の男が長いロープを取り出し、空に向かって投げる。するするとロープは伸び上がっていき、先が見えなくなり、止まる。魔術師が弟子の少年に命じ、ロープに上らせる。少年はつたって登っていくがいつまでたっても降りてこない。魔術師がナイフを口にくわえて少年の後を上っていくと、
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