靴脱ぎの端に灰色のハイヒールがぽつんと揃えるてあるのに目を放った。智樹はその視線を見逃さなかった。
 智樹は応接間の窓辺に立ち、彼女が門扉から出て行くのをレースのカーテン越しに確認した。
 応接間のソファに戻ると、ケイタイが鳴った。
 彼は送信者の名前を見た。長話になると判断し、指先の動きを止め受けるかどうか迷いはじめた。
 「やはり、ケイタイは二台持つべきだな。今度、代理店に申し込みに行こう、プライベート用のが必要だ」
 彼は言ってケイタイを開いた。
 市の掲示板にT教の信者から中傷を受けた主婦であった。
 「すみません、今取り込み中なので手短にお願いします」
 智樹は言い、彼女は話し始めたが、不安と不満が消えるまで話しつづけ、途中で言葉を挟む隙がないほどよどみがなかった。
 内容は次のようであった。
中傷する男は以前勤務の小学校でもクレーマーとして評判があり、左遷されたのである。彼の妻は癌にかかっていて彼女も精神が不安定である。中学生、高校生の息子、娘がいるが近所の者に挨拶をするどころか避けている。町内の自治会に中傷のことを相談してもはっきりした助言がない。二、三日前から主婦の家の前の歩道や道路に人が毎日集まるようになったのでよく見ると、T教の信者達が(お清め)と称して、ホウキ、チリトリを持って清掃をしはじめた。気持ち悪いがそんな理由づけであるから警察も取り合ってくれないだろう。市の掲示板には(お清め活動を始めました。皆さんで良い生活環境をつくりましょう)などと遠まわしに私たちを指摘しはじめた。風呂場の覗き見を中傷された家の主人と相談し、こうなったら弁護士を雇って生活を守ってもらうことを考えている。市民新聞でT教のことを取り上げてくれて助かった。これからも追及してくれ、ということであったが、智樹にはすごく長い時間に思われた。
 三時ニ十分であった。
 智樹は芳恵のケイタイに電話を入れたが、通話中であった。
 「通話中?」
 彼は眉をひそめた。
 「何かあったんじゃないかな?」
 ケイタイを握ったままであったが、やがて閉じた。
 美咲も同じ考えであったから二人とも黙り込んだ。
 芳恵は午後二時五十分にはデパートの駐車場に車を入れていた。時間をつぶすにはデパートをぶらつくのが一番であった。金もかからないし、夕食は食堂で食べるか地下の食品売り場で弁当を買えばいい。 
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