「おれに家に寄ってお茶でも飲んでいくかい?今日はだれもいないけど」
「いいわよ。一日中車の中だと疲れるわ」
女は笑った。
魔がさした、のだ、と彼はそれからの出来事がよみがえり襲って来るごとに考え、言いわけにした。一生に一度の悲惨な取り返しの出来ない事件。
彼と女は同じベクトルに向かってすべっていった、心地よい流れの中で。女は誰もいない家に上がり、彼の入れたお茶を飲み、仕事の成果を祝い、自信がついたわ、と言った。
(下でパチンコでもしていくかい?)(景品は何が出るの?)(さあ、なんだろうか。サービスするよ)と言いながら、階段を降りて、暗い店に入るなり二人は約束していたように抱き合った。唇を合わせ、体を求めていった。彼は足元に安物のソファを見つけた。そこに誘い、体を合わせた。
日常が消えていった。
女の首筋を吸い、舐めつくしていくうちに、彼は変な気配をドアに感じた。
忍び寄るかすかな物音とその違和感が快楽に小さな傷を入れた。恍惚世界の隅っこからノイズが大きくなっていった。
蛍光管が一斉に点り、強い明かりが二人を襲った。
すばやく反応し立ち上がったのは彼が女より先であった。
開いたドアから怜子の叫びが起こり、空気を劈いた。
「ギャー!」
叫びは長々と、何度も起こった。
子供の泣き声がつづいた。
怜子は次男を背負い、長男の手を握って立ちすくんでいた。
彼は天上のベニヤ板に火花が走ったのに気づかなかった。叫びの高圧電流が漏電を呼び、乾いた薄いベニヤ板が発火した。待っていたように炎が広がっていった。
ベニヤ板の燃え殻が床板につぎつぎと落ちた。
板床から炎がじんわりと浮き出、燃えていた。
板材とペンキで塗られた壁、寄木細工の室内は燃え上がるのに絶好の材料であった。一気呵成に燃え立っていった。
彼は上着を羽織ったままどうしてよいかわからなかった。
「逃げろ!早く逃げろ!」
妻子に向かって叫んだ。
「この野郎!」
怜子は叫んだ。
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