簡単に契約が取れなくなる。そこからは仕事の構えを変えなければならない。そこでセールスマンを毛嫌いするものばかりではないことを教え、契約をする客がどこかで待っていることに気づかせる。契約をとることより先ず話し相手になること友達になることを念頭においてインターホンを鳴らす、その心の準備もふくめて指導するのである。
 その女とは一週間、軽自動車に乗って、同行することになった。
 太った女で田舎臭くどこか感の鈍そうな女であった。二十四歳の独身で、美人ではなかった。高校を卒業してバス会社に入社した。観光バスのバスガイドを三年間した経験はあったが、飛び込みセールスには慣れていなかった。
 彼は客と会える好適時間帯を教えた。午前中は交替勤務の工場労働者や昼間まで寝ている学生が期待できること、夜は八時で打ち切り、夕方は早い時間から活動することであった。勧誘のテクニックには性的誘惑もあるがそれは仕事仲間から習ったり自分で考えるようにと教えた。昼から夕方に掛けて二交替三交替の労働者達は夜勤に備えて、休んでいる、深夜労働への嫌な気分を抱いてウツウツとしてる場合が多い。そこに「・保険の・ですが、あら、お休みだったのですか?お仕事が始まるまでほんの少しだけでもおじゃまさせてもらって好いでしょうか?」見知らぬ女が訪れ、色っぽい声で話しかける。良いタイミングである。
彼女は実行し、一件の契約を取った日であった。
 「ほら、毎月の集金の日、彼と会えるじゃないか。良い男だったら一挙両得だよ」
 「わかったわ。そんなことなのね。観光バスのガイドをしてた頃だったわ。ホテルに泊まる時になると、会社は運転手とバスガイドに同じ部屋をあてがうのよ」
 「へー?」
 「なぜだかわかる?」
 「それは男と女が同じ部屋で寝ればどうなるかくらいわかるけど、女のほうは黙ってるのかい?」
 「運転手とバスガイドって夫婦みたいに呼吸があってないと仕事がうまくいかないのよ。女は機嫌をとるしかないのよ」
 この世界みたいだな、という言葉を彼はひかえ、内心笑った。ハンドルを握った車が自宅にちかづいているのを知った。夕暮れが近かった。あとは帰社して、業務報告書に指導の経過と一件の成果を書くだけである。
 その日はパチンコ屋も休みであった。妻子は街中に買い物に出かけ、母と二人の姉は母方の実家に法事に出かけていた。

 彼は運転免許証をもう一着の背広のポケットの中に忘れていたことを思い出し、家に立ち寄ることにした。 

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