養毛剤をのぞいて化粧品を使ったことはなかった。
とつぜんその背後、すこし開いたドア口に黒い気配を感じたが錯覚だと一蹴し、両手の人差し指を両方のまぶたに当ててマッサージをはじめた。皮膚と皮膚を擦り合わせるのは気持ちが良い。いつもは妻にしてもらうのだが彼女は田舎に里帰りし、小学校の同窓会に出席している。
今は気の良い妻、二人の息子、二人の孫と人目にも幸福な家庭を持って四十年間がたつ。もうそろそろ怜子とあの事件のことは脳裏から薄れて良いものをと考えながら、彼の意識から離れることはなかった。
それにしても、と隆は考える。
智樹の家の食卓で怜子の姿を、それは幻影かもしれないが、見たのはどういうことであろうか?初めての経験であったが。
彼は霊の存在など信じてはおらず、錯覚としか考えなかった。いかに科学の発達した世の中だといっても霊の世界ははっきりした説明はなされていない。
だが、あの日の出来事を忘れたことはなかった。死ぬまで自己の内部から消えることはないであろう。同伴していた女は火事の原因と発端を見ていた。彼女は母子を見捨てたことで自責の念にせめられることはあっても、犯罪行為をしたのではなかった。隆は自分の妻子を見捨てた同時に(遺棄罪)に問われたはずである。警察から事情聴取をうけても業務中で女を指導していたと言い張った。女も口裏を合わせ二十キロも離れた地域で保険の勧誘をしていたと言い、パチンコ屋から逃げ出した二人を見た者もいなかったので警察はその言葉を信じた。
佐藤隆は好成績で入社し、営業部に配属された。四年目にして主任に抜擢された。
契約件数の目標達成は生保レディの仕事ぶりにかかっていた。当然、彼女らへの監督指導の業務が中心であった。新人の教育実習、業績の悪い者への現場同行であったが、マニュアルには記せない不文律世界があることは自然に学んでいった。
生命保険に加入したいがきっかけの出来ない客がいる。彼らはどこにいるかわからないので、訪問件数を増やしていけば出会う確率が高くなり契約が増えていく。
それが仕事の基本であることを彼女らにわからせる。
彼女らは入社すると地縁、血縁、学友、そして彼らの紹介などあらゆるコネクションを使って契約をとるが、その次に待っているのは(根雪の掘り起こし)である。
飛び込み訪問の数をこなしていくと、契約の取りやすいところは取れていく。あとは帰宅が遅いとか面接を嫌がるとかすでに加入しているなど根雪の客になり、
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