畳を踏む音が近づいて、佐藤が戻ってきた。
「佐藤さんみたいに本当のことを言ってくれる人は好きです」
智樹が言うと、「奥さんは帰って来てるじゃないですか」佐藤は言い、
「トイレを終わってドアを閉めて食堂間を通りかかったら、食卓の椅子に女の人が座っていましたよ」
智樹は意外に思って、後ろ手で襖を閉める佐藤を見上げた。
「おかしいですね。実家からまだ戻ってきてないはずですよ」
と言って以前、智樹がトイレから戻ると、同じ姿で正面を向いて座っていた彼女を思い出した。暗い食堂間で電灯もつけずに黒い髪が闇の中に溶け込むように馴染んでいた。
佐藤は彼女の残像を見たのではないか?
残像なんて存在するのだろうか?
気味悪くもあり、自分にも責任があると思うと不憫にもなった。
「暗い食堂間で電灯もつけず、あの女はあんな不気味な感じで黙って座っていた」
「あの女とは?」
「怜子ですよ」佐藤は言って、コップを口に運んだ。
「えー、怜子さんが?」
智樹は小さく言って次の言葉が出なかった。
寒気が走った。
第二十章
隆は生保を定年退職した後、契約社員になって本社に通っていた。週に五日ほど生保レディに講習をし、夕方には帰宅して庭づくりに取りくむのであった。営業の仕事で何百軒もの家を訪問し、魅力ある庭にも出会ってきたので、その経験を生かそうと考えた。小さい庭でも築山、盛山、池、小道をつくり、石の配置などで立体感を出し、木々に四季の演出をさせると素晴らしいものができる。時間と空間のからむ生きた作品であった。奥まった木立の下にロダンの「考える人」の像を置こう、庭全体に哲学的雰囲気が出るに違いない、模造品でよい。
その日帰宅すると、髭をそり忘れたことに気づき、自室で電気かみそりで剃りはじめた。鏡の中の顔をみると、皮膚が張りを失い、ふやけているのがわかる。指で摘まんでみると一本の皺になり、いつまでもその形を保つのであった。特にまぶたの皮膚が顕著であり、五年前から冬になるとそんな現象が起こることに気づいていた。彼はクリームなどを塗ってごまかすのは好きでなかったから、
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