「布団の中で体をくっつけ合って何もしない男なんているだろうか?
 と言った。
 「怜子と喧嘩したとき、(なんで私をあの時抱いたのよ)ってよく言った」
 佐藤はつぶやいた。
 「むずかしい立場でしたね。ぼくだったら同じことをしたかもしれない。佐藤さんはその時、レイプしたわけじゃないじゃないですか。男も女も愛があってセックスするとは限らないですよ、結婚だってそうですよ」
 「うん」
 佐藤はうなずいた。
 「今の話は誰にもしたことがないんだよ」
 佐藤はつづけた。
 「こうして話をして少しは落ち着いた」
 彼は胡坐の脚を組み替えた。
 「もう四十年も前の話なんだけどなあ、あの夜のことははっきり残っている、鮮明にね、つい最近の出来事のように」
 「誰だって人に言えない経験はありますよ」
 「それをしゃべるかしゃべらないかの違いだろうなあ」
 「そうですよ」
 二人の心境が重なった。
 「この歳になってあんただから話せた」
 「それは・」
 智樹は次の言葉が浮かばなかった。
 「奥さんは最近見ないですね」
 佐藤は言った。
「実家に帰ってます」
智樹が答えると「わたしの顔をみるといつも顔をかくしていたけど」と言った。
佐藤はあたりを見回し、「ちょっとトイレに行きたくて」と言い、智樹は「この部屋を出て三つ目の部屋に食堂間がありますから、その先です。案内します」と言って立ち上がり、引き戸を開けると、直線方向を指でさした。
 「わかります」と佐藤は言い、向かった。
 智樹は腰を降ろして胡坐をかき、コップに手酌をして酒を一口呑んだ。
 あたりは静かであった。

 佐藤の隣の家の門扉のそばには車庫があった。車の出し入れの際、一日に十回ちかく電動シャッターが上り下りしてうるさく感じることがあるのにその音さえしない。 

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