「それはそうやな」
 芳恵も笑った。
 「ともかくこんな生活は俺にもお前にも耐えられん。おまえのお父さんによく事情を話してわかってもらってくれ」
 智樹は強く言った。
 
第十六章
 
 一ヶ月後、智樹は和歌山県新宮市に向かってワンボックスカーを走らせていた。芳恵と二人の子供の衣類、玩具、生活の品々が後部フロアをびっしり埋め、その分の重量が安定感を与えていることが運転席でわかった。
 芳恵は助手席には座らず、そこにはダンボールに詰まった荷物が置かれていた。
 芳恵と二人の子供たちは二列目シートに腰を降ろしていた。彼女は高速道路から見えるビルの連なり、人目を引く広告看板、タワーなど見ながら長男に示し、エピソードや来歴、いわれを楽しげにしゃべっていた。
 都心を離れ、田園が窓外に広がった。
 次男はわらいながら、黙って聞き、あれは富士山?などと言葉をかえしている。
 二歳半なのに富士山という言葉を知ってるんだ。
 どこで憶えたのだろう。
 智樹は少し驚き、心の中に留めたまま、小学校、中学校、高校、大学、就職と成長する姿を想像し、自分のたどった道を重ねていた。
 芳恵と子供達は盆、正月と年に二回里帰りしていたから、二人の子供はこれが一時帰宅なのか離縁、はては離婚なのか知るはずもない。離婚の可能性を智樹は視野に入れていた。(パパ、おばあちゃんちの土産は何が良い?)昨夜長男が帰る時のことを尋ねてきたので、智樹は困惑したが(紀州梅でいいよ)とこたえ、次に(パパの酒の肴になるのをもってくるよ)とませた言葉を返したので智樹は胸を詰まらせた。
 郊外に位置する実家は田園の中にあり、自然に恵まれていた。空気が澄んでいるから田や山並みがきれいに見えた。
 実家は入り口に門扉がなかったので広い庭に車をそのまま乗り入れた。車庫をかねた納屋に車を停めると、柱時計が掛けてあり、耕運機が置かれ、除草機が置かれ、フォーク、スコップ、トウグワ、ミツマタが並んでいて土の匂いを伝えていた。 
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