目を閉じたまま美咲はつぶやいた。
「気にしなくっていいよ」
彼はこたえ、かけ布団を首筋まで持ち上げた。
彼は発行部数五万部ほどの地方新聞社の、ただ一人の記者であった。編集権を与えられ、オーナーは的外れをしないかぎり口を入れなかった。事務所はオーナーが所有するマンションの一階にあり、女子事務員が二人、雇われていた。
彼はハイエナのように情報を嗅ぎまわり、写真を撮り、A3サイズで見開き四面を埋めていた。内容は手加減も配慮もなかった。官公庁や会社のスキャンダルが多く、彼の攻撃性が現れていた。灰汁が強く、(赤新聞)と呼ぶものもいた。創刊以来五年がたち、観察、偵察、調査が彼の日常生活になっていたが、逆にされる立場になることはこの際、想像出来なかった。と言うよりこの時間だけはすべてを忘れたかったので、疑心が湧いても打ち消した。自分がもしかしたら尾行、追跡の対象になって居場所を特定され、観察されてるなんて考えたくもなかった。
天井の鏡を見上げると、かけ布団からはみだしたシーツがやわらかい日を浴びている。幾多の皺を伸ばし、肉欲の歓喜、その跡を露骨に晒している。まるで火の消えた炭のように黒く、生々しい行為の足跡である。
火炎が燃え尽きていた。
床の上に下着が主を失って散乱し、燃え殻を晒している。
他方、先ほどの性行為は現実にあったのであろうか?とも考える。
夢から覚めた気分である。
幻覚を観たみたいにこの世の出来事は移ろい、消えてしまう。
二十年前、父の所有する竹山に出かけた日であった。間伐して日当たりを良くするが目的であった。
父は立ち枯れた孟宗竹をチェーンソーで根本から切った。水分を吸収出来ず、枯れた竹があちこちで倒れ傾いていた。日当たりを悪くするばかりの邪魔でしかなかった。獰猛なエンジン音があたりに鳴り響き、静寂をうち破っていた。響き終わると二十メートルもの孟宗竹はズシツと大気を揺すって倒れ、隣の竹にもたれかかり最期を待った。うめき声を上げ、植物なのにまるで猛獣を思わせた。
父は歩み寄り、孟宗竹の幹を半分に切り、運びやすいようにした。智樹はそれを引きずり、炎の中に投げ込んだ。火の粉が黒い煙とともに舞い、孟宗竹は焼かれる運命を待った。
智樹の額から汗が滴り落ち、三度も拭う頃、彼は父と並んで炎に向かって胡座をかいた。
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