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ブログ - 日記カテゴリのエントリ

美を超えた絵ー(泣く女)

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-9-14 10:12

 ピカソの絵(泣く女)を観ると、ショックを受ける。あまりに悲惨な顔に驚き、顔を背けたくなるが強烈な印象はいつまでも消えない。実は身近にこんな顔の女の人がいるので、よけいに強い印象を抱いてしまうのです。ピカソは数百点近い絵を描いていて、従来の手法だけでも十分すぎる評価を保つことが出来たのになぜそんな絵をあえて描いたのでしょうか?手法だけでも冒険的であり、失敗であれば失うものが多いのに。そこが彼のすごいところである。そんな悲惨な絵を自分の部屋に飾りたいなどと考える者は絵の評価額に重きを置く者以外はいないはずだ。

 (泣く女)は美の観念を超えている。ショックと感動のみである。ヒットラーのファシズムがスペインを侵略し、フランコの傀儡政権をつくった内乱、その悲惨な戦争が(泣く女)に凝縮されている。破壊された顔の悲しみ、破壊された秩序・生活の嘆きなのだ。世界の絵画史の中であんな人物画は初めてであり、失敗作の評価を受ければピカソの評価を落としかねなかったのに彼はあえて描いた。

 芸術(美)は秩序や形に依存するのではなく、現す感動(エネルギー)なのである。アルタミラの壁画(野牛)に見られるように美は生命の活動を現すことに始まった。部落、国家が出来ていくうちに政治や宗教権力の手中に入り、その秩序に枠をはめられていった。(泣く女)は政治権力による負のエネルギーを初めて描いた傑作なのだ。

イヤよイヤよ、は日本女だけ?

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-9-13 20:16

 若い頃は女漁りに熱中していた,今もその気は残っているが。どうやって口説いて自分の女にしようかと考えるだけでも楽しかったし、ボロアパートの部屋に連れ込んでしまえばもうしめたものだった。女の手を握ったり乳房を触り始めると、ほとんどの女は(イヤよ!)と言い始め、私の手をどけようとしたり握って自由がきかないようにした。今でもその時の女の心理がよくわからない。現在でもそんな反応は多くあると思う。イヤであれば立ち上がって台所に行くとか部屋から出て行くとかすれば良いものをそうはしないで、(イヤよ!)を連発し続けるのだ。ところがイヤよと言われれば欲情が高まってしまうのである。電圧=抵抗力×電流の方程式があらわすように性欲は高まってしまうし、逆に、はい、どうぞ!とばかりに股を広げられるとこちらの性欲は弱まってしまう。ここが不思議な男女の反応であり、可逆反応であって、いやよいやよは好きのうちではないか?

 想像するに(恥の文化)の名残りではないか?日本特有の文化として曳きづられているから、外国ではありえないのではないか?アメリカのエロ・ビデオが面白くないのは性行為が体操みたいに単純化されすぎてる上に、女が(Oh,no!)と言うのに無理に迫ればすぐに人権問題になって訴えられるから、そんな言動はいいっさいとれないからである。

 ここに日本文化の特異性がわかるし、外国人には理解できないであろう。10月から福岡教育大学の公開講座に通うことになる。日本文化を留学生たちと議論することになるのでこのテーマを持ち出そうかと考えています。楽しみです。

 

人々が否定するものに価値がある。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-9-12 18:30

 こんなタイトルを考え付いたのは私が人々に否定される資質を持っているからです。突拍子もないことを言う、目上とか先輩、上司などに対して敬意を払わず言いたい放題である、非常識なことも平気で言う、スケベである、ドモリである、記憶力が悪い、気転がきかない、などなど欠点ばかりの人間です。そのせいでしょう、高校時代から(人々が否定するものに価値を見出す)と言う自己正当化の考えを自分で持ち始め、今ではレアなどと自称しています。

 ところが私はこのタイトルに自信がついてきたのです。このホームページの私のブログで人気の高いのは4年間で3?4万人の閲覧者数があります。一日に20?30人の人が毎日読んでいる計算になります。レアの書いたものだから人気などとはほど遠いと考えていましたが、近頃は(希少)であることに自信がついてきました。書きたいことを書いてるけど、これが中国だったらお前は銃殺だぞ!と忠告してくれた友人がいましたが、殺されるほどの価値があればたいしたものだ、と言い返してやりたい。老い先も短いのだから殺されれば死ぬ手間も省けるわけです。

廃墟の美。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-9-9 18:21

 なぜ私達は広島・原爆ドームや長崎の軍艦島、シリアの内乱被災地や東北大震災の写真に惹かれるのであろうか?私達ではなく、私だけかもしれないが、原爆ドームや軍艦島などは世界遺産にまでなっている。ナチスの収容所、ガス室などもそうである。(負)の美ではないかとわたしは推測する。秩序の観念から言えば触れたくない醜いものとして扱われるものを整形美術した顔以上の魅力を持っている。

 結論を言えば(美)とは秩序に基づいているのではなく、エネルギーあるいはエネルギーの痕跡なのである。エネルギーを感じるから感動するのである。否定されるべき(負)の痕跡まで遺産となるのである。(美)の概念は変わらなければならない。秩序正しいとか整っているとかではなく、いかにエネルギーを発し、観る者に感動を与えるかということが基準になるべきである。

 顔形ではなく、表情なのである。表情の現す内部からのエネルギーなのである。それが芸術、文化になりえるのである。今後、破壊された顔や体の傷跡、手術跡、生命の腐敗状態なども芸術になりえるだろう。美の価値基準は変わってくる。

 エネルギーを傾けた私の小説がなぜ芸術にならないのであろうか?作家以上のエネルギーを傾けているのだからそれだけの感動が与えられても良いはずなのに。演じる筆力が欠けているのであろう。力を入れる部分が的外れになっているのかもしれないが、あと一ヶ月くらいで完成する(ガラパゴスの女)に賭けてみたい。応募はするが、外れ場合はこのHPに掲載するつもりです。

学力テストが切り捨てる能力。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-9-8 7:51

 履歴書を見れば私は高学歴であることがわかります。ところが普通自動車免許を取るのに一年間もかかり、学科試験にも落ちました。

 七十年間も生きてきて世間を知ると、学歴や学力から切り捨てられた人がたくさんいることがわかりました。学校にはまったく通わなかった人、中卒で自動車板金塗装の仕事をしている人、まったく働いたことのない人、暴力団の人などさまざまな人々と出会い、その中には素晴らしい能力がひそんでいました。説明書もないのに自動車のエンジンの分解・組み立てをしたり、見よう見まねで家を建てたり、耕作放棄地を開拓して自然公園をつくったり、一、二回の講義でパソコンを打てたり、意外な能力がありました。近代になってから学歴信仰、学力テストがはびこり、就職する場合には大きな力を持っています。産まれた時から人の能力は数値で計られます。同時に素晴らしい能力を切り捨てています。

 何故なのでしょうか?

学力テストが文部科学省の役人や受験業界の生活権、利権になっているから、変えようとはしないのです。世の中の仕組みから外され、自殺者や犯罪者たちを増やすことにもなっています。

 公立学校の教科書はなぜ文部科学省選定のものでなければならないのでしょうか?

 そろそろ変わるべき時代に入っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中国が企む大東亜共栄圏。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-9-5 8:57

 中国が催した(抗日戦争勝利七周年式典)に阿倍総理は欠席し、韓国の朴大統領は出席した。朴大統領はアメリカの顔色を伺いながらやむを得ずに出席したように、毎日新聞は書いているが私はそうは考えない。なぜなら、三年前から中国と韓国は歩調を合わせるように日本叩きを始めているからである。先ず尖閣列島の領有権を巡って中国は矛先を日本に向け、韓国も竹島に前大統領が上陸して領有権を主張し始めているからである。同時に両国とも太平洋戦争における日本の侵略・加害行為を世論や世界に訴え、韓国は従軍慰安婦の像をアメリカの都市に建てたりしているからである。事前に打ち合わせをしていたと想像するのは邪推であろうか?

 その式典にはソ連のプーチキン大統領も出席し、北方領土の開発を始め、日本への返還拒否の態度を見せている。日本は自らが八十年前に描いた大東亜共栄圏の絵を中国にさらわれ始めている。日本は式典に参加し、少なくともアジアの一国であることをアジアや世界に示すべきであった。アメリカが日本の軍事力の現実化を求めている機会であるから、この式典を期にアメリカと等距離を置く方向に進むべきであった。

 日本の外交能力の低さは以前から気づいていたが、今回は実感させられた。国家公務員試験に合格しただけで世間や社会、ましては世界のことを知らない者たちが動かす外交は机上論ばかりであまりの貧弱さに怖くなるばかりである。民間の労働組合で会社側と妥結や協定を結ぶ時には、(今後、この内容につき、異議申し立てはいっさいしません)と言う項目を入れるが、国が結ぶ条約には入っているのであろうか?入れていればその後に異議申し立ては出来ないはずである。戦争の講和条約などを読んでみたいものだ。

人殺しは楽しくなる、だから怖いのだ。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-8-31 21:40

 安保法案の反対デモが各地で起こり、世界のニュースが報じている。日本の若者が自己主張をはじめたということでわたしは歓迎するが、では日本の軍備はどうするのか?と言う議論は少ない。従来のように米軍に守ってもらえば良いのか?ということになれば、戦争そのものが反対だと応えるであろう。

 人殺しは楽しくなり、戦争も始まると意気高揚して、どこで何百人殺しただのとニュースに出てくると、まさにオリンピックのような興奮が生じてくる。太平洋戦争時の新聞を読んでみればよくわかるし、ほとんどの人間が巻き込まれてしまう。スポーツとは戦争や闘いをルール化したものだ。人間は自己保存のためにも戦うように作られており、闘争本能だって持っている。だから戦争はなくならないし、スポーツもビジネスになって繁盛している。

 (正しい戦争)というものがあるとすればスポーツのようにルール化すれば良いだろうがそうはいかない。闘争行為は複雑であり、生命体の宿命として捉えるしかない。構えと備えを持っておくしかない。侵略なのか自衛なのか、もっと厳密に峻別しなければならない。相手国の日本人や会社、旅行者などの救出という行為は侵略であり、自国に他国軍が入ってきたり砲弾を撃つたりした場合に攻撃するのは自衛であるが、どちらとも判断できにくい場合がある。イジメと同じように、冗談だったのよふざけていたのよ、よいう言い訳や状況があるから、過去の戦争体験を厳密に検証しなければならない。太平洋戦争で中国や東南アジア国に入り戦争をしたのは侵略であったと認めなければならない。

 

光と影の謎めいた関係。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-8-29 4:35

  光と影はもともと同一であった物を違う物のように現してしまう。光は明るく影は暗い。

 ところが光がなければ影はないし、影がなければ光もない。表と裏、男と女、善と悪、健康と病気、戦争と平和、金持ちと貧乏人などすべてものは二項対立として人間はとらえる。がん細胞だって以前は正常細胞だったものが変異したにすぎない。可逆性があり、どちらへも変異することが出来る。いつまでも光でありつづけることは出来ないし、影でありつあり続けることも出来ない。女は男の子を産み、男に変異する。男の染色体は女になることもできる。

 一方であることは他方を内在させ、他方に存在感を持たせ、両者を重なり合わせている。分離は出来ない。楽は苦の種、苦は楽の種、と言う。どちらが良いということでもないのである。だが人間は、病気は悪く、健康は良い、貧乏は悪くて金持ちは良いなどと植えつけられてしまった。植えつけられてしまったのだ。実は単なる現象に過ぎないのである。

変わり者。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-8-23 8:58
わたしの第一印象は、頭が良さそうでしっかりしている、善良である、と言われるが、二、三度と話をするうちに、相手は目線を逸らしたり壁の掛け時計に目を向けたりするようになる。戦争なんてなくならないんですよ、単細胞時代から雌雄に分離して進化していったのは競争原理を導入する意図だったのですよ。誰が意図したんでしょうねえ?と話すと相手は退屈そうな面倒くさそうな顔になる。わたしがそんな話し方に興味のある者だけに言えば良いものをほぼ相手かまわずしゃべってしまう。そこで、あの人は変わり者だ、とほとんど陰で言われてしまい、わたしは内心、してやった、と思うこともあるが、どっちが変わり者だろうか?あんたは俗物でしかないと内心言い返す。ここで近頃わかったのは(変わり者)という言葉には蔑みが含まれ、(俗物)という言葉も同等であるということだ。性同一障害者どうしの結婚が認められる時代に入り、少数派、異端者たちが多数派の世界に合併されつつある。こんな時代の中でわたしが(変わり者)という地位をいつまで守りきれるか大いに興味のあるところである。 昨夜は町の社会福祉協議会が催す(納涼大会)に障害者仲間たちと参加した。飲んだり食ったり音楽を聴いたりして、久しぶりに楽しみ、最後は盆踊りを五回も踊っていい気分になった。しゃべったり踊ったりして、ぬいぐるみのキャラクター人形を見て、子供が泣き出したり、祭り気分に酔った。町長や町会議員たちが顔を売るために壇上で話すとみんな拍手をした。東京では安保反対のデモが起こってるのにこの町ではそんな話題さえ出ない。この祭りがいつの日にか息子を出兵させる壮行会に変わっても大いに盛り上がるであろうし、そんな予感をふとしたのは(変わり者)のわたしくらいであろうし、そんな話をすれば、せっかくいい気分になってるのに壊さないでくれ、と言われるのが落ちである。 (変わり者)の地位を失わないためにも、今後も書き続けていこう。

夢は残しておくもの。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-8-20 20:42
若くして夢を実現し、有名になった人はある意味で不幸である。その後の人生においてはそれ以上の夢を見、見るだけではなくて実現するように周りの者たちから期待され求められる。実現できればそれ以上の夢を求められるし、実現できなければ希望を失い、世間からも見捨てられた気になる。そのストレスや喪失感は経験した者でしかわからない。作家の丸山健二氏なんか23歳で芥川賞をとり、それは最年少の受賞者ということもあってすごく期待され、70歳ちかい現在まで書いておられるがその苦労たるものは大変だったと思う。わたしはいつまでも文学青年でその域を超えたことも本を出したたこともないから、見果てぬ夢をいつまでも見、夢のままでいるわけです。小説家で夭折した人は若くしてすごい作品を達成した人に多い。芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫など数えればきりがない。  わたし夢はたくさん残っています。  一つ目。  好きな女を家に入れ、二人で料理を作って食べ、一つの布団で寝る。お父さん、あしたは草むしりをいっしょにしようね。養鶏場に行って鶏糞をもらって来ようよ。キュウリやナスやゴーやにかけてやって元気をつけてあげようよ。なんていう会話をしたい。 二つ目。 現在、執筆中の小説に出版社から出版予約の依頼がきて、本になる。身近なモデルが多いため、攻撃をかわすために旅に出る。軽のキャンピングカーに乗って、夏は北海道、冬は沖縄と全国の世界遺産を目指して走る。 三つ目。  現在、持っている株が爆上げして1億円の利益が出る。博多や小倉の風俗店めぐりをする。 四つ目。  このホームページが着目され、幻燈社あたりから、レア文庫の中で発行したいからと依頼がくる。わたしは少し過激なことを書きすぎているのでどうしようかと迷ってしまう。 五つ目。 飼い犬の番犬がハシカにかかり、時々噛み付いてきたりするので、オス犬を見つけてどこかに出て行ってしまう。ーたくさんの夢が貯金してあります。
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