ただし、勉が母との不倫に気づかないということが条件であったが。
気づけば面倒なことになるかもしれない。
智樹は落ち着くためにも食卓テーブルの椅子に腰を降ろした。
「本当に大丈夫かい?」
と言うとあらためて見回した。
インスタント食品や調味料、電気炊飯器、オーブン、本や電気機器、紙箱、段ボール箱に入ったものが所狭しと積み上げられ、雑然と並んでいる。まるで引っ越してきたばかりの有りさまで、座った者を急き立てて落ち着きを与えない。
知り合って二ヶ月にもならない俺に助けを求めるなんてよほど孤独なんだな。入院でもすることになったら誰に保証人になってもらうつもりだったんだろう。実家とは絶交してると言っていた。いざとなったら母親の美咲に保証人になってもらうよう頼むしかないだろう、依存心から抜け出れない男だ。
「智樹さんは新聞記者だからいろんなことに詳しいでしよう。これをみてどう考えるか知りたかったのですよ。父の遺書なんですよ。少し待ってください、今にパソコンを開きますから」
勉は思い出したようにポットに手をのばした。急須にお湯を注ぎ、お茶を入れた。
向かいの椅子に腰を降ろした。
視線は上げずテーブルの上を這っている。
相手の目をまともに見るときは視線が泳ぎ、うつろいでいる。何を考えているのかどこを漂っているのかわからないあてどのない漂流者になる。
こんな目線の人間が増えていることに智樹は思いついた。
「僕も兄も父を毛ぎらいしてました。が、父への関心は強かったのですね。今、わかります」
「息子と父親なんてそんなもんだよ」
智樹は言って三歳の息子が成長した未来を眼前の勉に想像し、その時代には戻れず青春を過ぎ去らせたことを知った。
「特に君のお父さんは名前の通った精神科医だったからね。僕だって彼の心の内部に興味があるよ」
と口を滑らすと、
「どうして精神科医だってことを知ってるんですか?」
勉は初めて智樹の目をまともに見た。
目は空虚で焦点がなかった。表情自体に内容と方向性がみえず、どこに向かうかわからない。
智樹は口がすべったと後悔し、無表情に部屋の中を見回した。

相手が突っ込んでくればすべてをばらしてやろうと構えた、不仲にはなりたくなかったが。 

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