のではなかった。どんな気持ちなのか自分でもわからなかったが、次ぎのような心境だった。石川がいったように、(男は女の体の中に射精して初めて生の実感を得る)ということだ。だから、彼女を離したくなかった。性交をするしないは別にして、性の対象が近くに居る、これでも雄としての属性をつまり存在感を証明するのだ。
ある日の夕方、郊外型大規模店舗、その中にあるラーメン屋に入った。
顔なじみの若いウエイトレスが注文を取りに来たので、味噌ラーメンを頼んだ。味は普通なのにいつものように客は少なかった。
仕事の途中だったので、息を抜いて、ぼんやりしていた。
一つ先のテーブルにいた若い男に気が向いていた。痩せて、顔色は青白く、薄い無精ひげが顎を覆っている。表情を宙に留めて、笑っている。声を潜めて、しきりに話しかけている。向かいの席には誰もいない。表情は優しく、生き生きとしている。
わたしは穂高を思い出した。
(ワタシの人生なんて、結局は自作自演だと悟って、笑って死んでやろう)
ある時、彼は言った。
若いウエイトレスは時折、彼のほうに目を向けたが表情は変えず、業務の顔を保っていた。
彼女はラーメンを運び、彼の前に置いた。
彼はラーメンを一口啜ると、(美味しいね)と言って、目の前の相手に満足そうな笑顔を浮かべた。また、ゆっくりと食べ始めた。
向かいの席には誰もいない。
彼はカレに向かって話し、頷き、笑った。
彼はわたしでもあった。
(あの頃から、あなたがどうもおかしいと思って、興信所を使って調べていたのよ)
一年半後に、ツマはわたしに告げることになる。
わたしは自分の家の食堂間で、冷やし中華を食べていた。自分で調理したもので、酢の味を強くし、芥子をたっぷり載せている。一口啜ると、噛みながら、目の前の、自分にしか見えないカオリに話しかけていた。
(おまえ、この前、俺にカレーライスを作ってくれると言ってたなあ。俺の作り方は一番簡単なやつなんよ。お湯を沸騰させて、豚コマ、ニンジン、ジャガイモ、カレー粉と順番に煮て混ぜていく。これでけっこう良いのが出来るんよ。おまえはそれらを炒めることから始めるって言いよったなあ。どんな味の違いがでるんやろう?)
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