家の中でのんびりしているより、動き回っている方が、少しは楽なことも知っている。だから、動き回り続けるしかない。夜の八時半頃まで。

バイクで走ると耳の傍で、夜風が唸る。話しかけてくる。ヒュー、ヒューと、囁くことも、叫ぶことも、泣くことも、笑うこともある。大気は、自然は、生き物である。意識つまり感情も思考も持っている。言語を使って表現しないだけである。例えば、植物のヒッツキボウはこの土地を人間や動物が通る、だから、それらの体にくっついていれば、遠くに種子が運ばれて、ばらまかれ子孫が繁栄する、と言うことを知っているから、衣服や動物の毛に絡みつくようにできている。そのように考えると自分も自然の一部であることがわかり、気持ちが落ち着いてくる。 
老若男女、いろんな人に出会い、その生活に関わってきた。集金先で母親に抱かれていた娘が成長して、小学校に通い、変わっていく有様。主人の給料日がいつも遅れる家、隣家に行ってお金を借りて払ってくれる奥さん、わたしの姿を見ると家の中に隠れて出てこない老婆、財布をどこに隠したのか分からずいつも探し回る老婆、など、書き上げきれないほどの人々に出会ってきた。
わたしはそんな多種多様な人に会い、自己の内部に出会い、自分のバランスをとっているつもりだった。
だが、どこかが狂い始めていた。
胃が焼けてドロドロになったような不快感、食欲が落ち、何を食べても旨くない。脱力感、軽い目眩、そこに性欲だけは間違いなく忍び寄ってくる。幻想になってまで。
毎年、八月、九月、はこの状態で過ごす。胃薬が手放せない。
穂高が羨ましくなる。プログラミング、という透明、無機的な世界。そこに入り込んでしまうと、一週間でも二週間でも、弁当の買い出し以外、嵌り込んでしまうと言う。それだけ心地よいということなのだろう。人間の生々しさと出会うわたしの生活とは正反対だ。
ある夜、集金の仕事を順調に終えて、帰路を考えていると、携帯電話が鳴った。バイクを道ばたに停めて取ると、香織の声だった。
「石川さんからPHSを借りて、電話代はあの人が払いよったけど、払えんようになって、電話は止められとるんよ。そいけ、今、私の携帯から電話しよる。これから、これに電話して」
「あー、そうね」

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