わたしは言い、手作りのケーキに蜂蜜が彼の手でかけられるのを予感していた。
「誘導というより、波動の交信と言うべきでしょうね。ここに来たいというあなたの気持ちはその時は眠っていました。私が来て欲しいという波動を送ると目覚め、感応して、来ようという気持ちが増幅し、行動に変わったのです」
「お互いの気持ちが交わったということですかね?」
「世間ではそう言うでしょう。でも立花さんですから本当のことを言います。私は自分の波動で相手を動かすことが出来るのです。超音波発情期のことを以前、話しましたね?実はそんな機械に頼らなくても、人間は自分の波動で人と交わり、相手を動かしたり恋愛もしているのですよ。また、殺される人間は共振して自分の方から相手の殺意を招いているんですよ。愛される人間も自分の内部が共振して、相手を呼び込み留めるんですよ。それは意志とか努力とか頑張りとか言う次元ではありません。なるべくして、なり、起こるべくして起こるんですよ」
「ただし、相手がまったくそんな気がない場合は起こらないでしょう」
「いや、自分の心の中の動きや変化は、無意識の世界は見えませんからね。そこは人類が何百万年にもわたって蓄積した情報があるからどんな感応にも対応できるんですよ」
彼の言うことは分かるが、世間でこの考えが通用しないというのはどういうことなのだろうか。
後でわかることになる。それは社会の秩序・規範は道徳・人間愛が基軸になっているから、無視するように幼い頃から造りあげられているのだ。無視しなければ社会秩序・規範は壊れてしまう。それほど脆く、危ういものなのである。
「いつでも逃げることが出来、相手も軟禁という違法行為をしているのに、相手の言うままに捕らえられている、しかも何十年も、新潟の少女監禁事件があったじゃないですか、それなんか良い例ですよ」
「被害者には申し訳ないけど、軟禁されるという意識の波動が無意識の中にあったんですかね」
「軟禁する、軟禁される、という矛盾・対立する因子で共感したんですよ。(私は閉じこめられる。閉じこめられたのよ。あの人が閉じこめようとしているのよ。閉じこめたい)という認識のしかた、それは少女の中の同じ因子、軟禁した青年の中の同じ因子、当人同士の同じ因子ですよ。世間によくある苛める、苛められるという構図も同じですよ。ヒットラーに支配された旧ドイツもそんな状況だったんですよ。排斥する者とされる者、虐待
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