階段を下りると、一階の部屋に集金先があったことを思い出した。広く暗い廊下を歩きながら、中村一さんのイメージが心を安らげてくれた。

突き当たりの左側の部屋だった。手土産を持ってくれば良かったが、家を出る前に考えついていなかった。
ノックをすると、静かな返事が返ってきた。
彼は万年床の上にあぐらをかいていた。映りの悪い小さなテレビを観ていたが、わたしを穏やかな顔で見上げた。
「狭いけんど、坐んなっせえ」
わたしは布団と茶箪笥の間に腰を下ろした。やっと身動きの取れる空間だが、古びた畳が気分を落ち着かせた。
彼は小さな台所に立って、お茶の用意をし始めた。
四畳ほどの部屋を大きな仏壇が半分ほども占めている。汚れた畳、板壁、柱と対照して豪奢な作りである。。自分のような流れ者が死んでも引き取り手がないから、新興宗教にはいり、死後を看取って貰うつもりだと彼はいう。
枕元には大学ノートとボールペンが置かれている。人生の置き土産として、語録を書いているという。六十に近い歳である。
わたしが出会った色んな人間や出来事を話すと、興味深く聴いている。
「今時、奇特な人やねえ。明治維新の頃にでも産まれていれば、活躍出来たろうに、今の時代は難しい、いや活躍できるかもしれん」
穂高を評して言い、彼には強い興味を示した。
自分が語録を書き上げたら彼の手で本にして貰うと言った。
穂高の家には印刷・製本の機械があった。百部であれば三十万円で請け負っていた。
その話しをすると、中村は自分の書いた語録を本にして貰いたいと言いだしたのだ。
二人を喫茶店で会わせたことがあった。最初は穂高の家を場にする予定だったが、穂高が拒否した。穂高は警戒心が強く、容易に人を家の中に入れなかった。
わたしと穂高は約束の時間より早く訪れ、向き合ってコーヒーを飲んでいた。
ガソリンの値上がりを話題に出すと、かれは原油で儲けたオイル・マネーが投機筋になってまた儲けようとしている、金持ちはいつの時代になっても金持ちで、掠め取られる連中はいつの時代になっても掠め取られる、と理路整然と話し続けていた。
中村は十分過ぎても顔を現さなかった。

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