ればこちらもなごやかになり、緊張感もその気配もうち消されるというものだ。

 メモ用紙を片手に、一番端の部屋からノックをすることにした。突然訪問して、考える隙を与えず、契約書にサインさせるのが最も効果的やり方である。餌はたっぷり用意してある。小型テレビ、洗剤、自転車、小型冷蔵庫、扇風機など、入り口に停めたワゴン車の中に詰まっている。暗い廊下には柔道着、ジャージ、猿股、ランニング・シャツなど所狭しと垂れ下がり、干してある。顔の前にふさがる男物のパンツをかき分けながら、進んでいく。足下のリノリュウム張りの床はフワフワと窪んだり戻ったりして、わたしの不安感を高めようとしている。長年培った冷静さが不安感を押しとどめていた。
 メモ用紙に目を走らせ、前回の訪問時に出会えなかった部屋の号数を探す。
 のどかな気分を出して、軽くノックをした。
 音楽が流れているのに、返事がない。眠っているのだろうか?女と一緒に居るのだろうか?この前は戸の隙間から、四本の長い素足が並んで見えた。男と女のようで、返事はいつまでもなかった。
 もう一度ノックをしたが、返事が無いので諦めた。彼等は侵入者には敏感である。ノックをすること自体、他人であることを読みとっている。いきなり戸を開けても許されるのが友達だという考えである。
 次の部屋は、廊下を仕切った窓ガラスが内部の蛍光灯に明るんでいた。のどかな口調で「サトウサン」と声をかけて、窓ガラスを叩いてみた。当てずっぽうでも名前を呼ぶことが効果的だと言うことをいつの間にか学習していた。
 「えー?僕は佐藤じゃないですよ」
 窓が開けられて、真面目そうな学生が顔を出した。
 「佐藤さんは引っ越されたんですね」
 すかさず切り返すのもテクニックの一つである。
「じつは私、新聞の購読のお願いに伺いまして・」
 と常套句を使いながら、腐った汗の臭いに圧倒された。一分と耐えられない悪臭が鼻を占領していた。中は万年床が敷かれ、汚れた衣類が散乱し、インスタント・ラーメンやほか弁のトレイやよく分からない物が積み上げられている。悪臭は部屋そのものに染みこんでいる。
 「三年間取ってくれたら、テレビをあげるよ」
 学生の顔は輝いたが、わたしは悪臭をさけるために呼吸を小さくしようとしていた。言
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