合いはない)わたしは反論した。

香織が入院して二週間後、彼女はまだ病気の深刻さがわからなかった。四日後の四月五日に(会おう)つまりホテルに行こうと言ったが、わたしは受け持ち地域の大学の入学式がその日にあり、購読契約をとる最も忙しい日なので外せないと答えた。
ホテルには行かなかった。彼女の発作が収まらない状況を知り、誘う気持ちにはならなかったし、彼女も誘ってはこなかった。三ヶ月後のある日、彼女と談話室で話しを終え、椅子から立ち上がった時、彼女の体を抱こうとすると、(駄目!)と静かに拒否した。その言葉の意味はわからなかったが、追求はしなかった。気持ちがすでに離れているのを知った。
単純なことなのだ。次ぎの対象者が現れればわたしはそちらに向かい、香織から遠ざかっていくのである。彼女も同じである。
調停委員はそれくらいの要求なら、二人の話し合いで解決出来たことではないか、もっと話し合いなさい、と言って、調停を終えた。

十ヶ月たっても、香織の病状は好転しなかった。
発作の頻度は週に二、三回、持続は三―五時間で、変化はなかった。脳のMRIに異常は発見できず、二ヶ月に一度薬を変えたが効果はなかった。院長兼ね主治医は、(任せときなさい)を、繰り返すだけであった。
わたしは彼女のベッドのそばに坐り、顔を見守っていた。彼女は目を閉じ、眠っているようだった。
唇が動き始めた。
(少し具合が良くなったと思ってスーパーに買い物に行ったの。美味しそうなリンゴを見ていたら次第に腰が抜けていって、首から下の感覚がなくなって崩れ落ちてしまったの。人が周りに集まって、どうしたんね?大丈夫ね?って訊くけど答える事も出来なかった。この女の人、震えよるよ。お尻が濡れて、お漏らししとるよ。と、子供の声。私にはその感覚さえなかったわ。担架で運ばれ、病院の名前を言って、救急車でここにまた舞い戻ってきた。このまま治らずに私は障害者になってしまうんね・・)
目から涙がこぼれていった。
(障害者になったら誰が責任をとり、面倒を看るのか?)
わたしも危惧していたことだった。
(それはわたしでしかない。わたしと会う前の晩は、遠足に行く子供みたいに眠れなかっ
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