わたしは足下のトラ猫を見下ろした。
部屋の中に入ろうとはせず、方角を右に固定して見つめているだけである。それは彼女の向かいの部屋で、暗い。
長居は迷惑がかかりそうだったので、購読の希望があれば契約書への記入をよろしく、と言い置いた。
もてなしが出来ずに申し訳ない、と彼女は言った。
部屋を出て、階段を下りていった。
踊り場までさしかかると、下の階段から人の気配が伝わってきた。狭い階段なので離合ができない。体を捻って、待った。買い物のビニール袋を両手に持った女が上がってきた。わたしを見上げ、すいません、と笑顔で言った。顔色が白く、髪を金色に染めてリボン結びにし、度の強いメガネをかけている。どこか虚ろな表情と歩き方をしている。わたしは彼女が地味すぎるサンダルを履いているのを見て、母親の物だと直感し娘だと判断し、声を掛けて姓を確かめた。当たっていたので母親の部屋に寄って契約書を置いてきたからよろしく、と伝えた。分かりました、と彼女は答えた。
特別な印象はなかった。

一休みしようかとかと考えていた。
トラ猫も、足下に立ち止まっている。
カバンの中からビスケットを取りだし、猫の口元に差し出した。舌を出して舐めていたが、目を閉じて、カリカリと音を立てて食べ始めた。
ビスケットは訪問先で飼い犬に吠えかかられる時、おとなしくさせるためにいつも用意している。
トラ猫は四枚も食べ終えると、舌を出して口を気持ちよさそうになめまわした。つぎに手を曲げて顔をゆっくりこすりつづけ、目を閉じた。大きな欠伸をすると、私を振り返りもせず去っていった。
目的を果たしたのだ。開いたドアの先から餌をもらおうとして、付いて来たのだ。わたしと同じ目的であった。

こんな日もある。
ともかく、その日は休むことにした。
以前に名前と住所と押印をもらった契約書を三束、握っている。来月から新聞を入れることになっている。
明日、提出すれば今日は仕事をしたことになる。

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