わたしは男の話の内容より、酔いと満腹感にうっとりし始めていた。
「あんたが俺の中に見るものはあんた自身の姿なんよ。あんたが俺をどんなふうに見るかによって、俺はどのようにでも変わる。単なる乞食だと見れば乞食やし、一角の人物だと見ればそうなるんよ。カメラマンと鑑賞者の関係と同じように、鑑賞者が写真から受ける印象はカメラマンの意識の世界なんよ。共感しあうことによって焦点が合い、像が結ばれる。あんたが仏の心を持てばわたしも仏になり、鬼の心を持てば鬼になる」
男の話は核心に入り始め、
ねっちりと螺旋状に絡みつく粘着質、これは仕事で色んな人間達と対面する時、体臭として感じ取ることがある。まれに出会う怖い相手だとわかり始めた。
逆にわたしはそんなねっちりした男だと友達に言われて、驚いたことがあった。ある集金先の主婦などはあなたは暴力団より怖い、そんな存在感があると言い、わたしは信じられなかった。人間は自分の姿は鏡で見ることが出来ても、自分の醸し出す雰囲気までは感じ取れないものだ。
「あんたはあの時、鬼やった」
 男は言った。
 「俺はあんたによって鬼になったんや」
 彼はわたしの顔を静かに見つめた。
 「あの時?鬼?」
 わたしは呟き、男の顔を見返した。
 「あのラーメン屋でな」
 彼はうっすら笑った。
 わたしの意識は、夜闇に浮かぶ繁華街をよみがえらせた。淀みと活気が混じり、ネオンの下で、男や着飾った女が歩き始めた。
わたしは顔を伏せ、薄暗いラーメン屋の椅子に座らされていた。
この場のように、軟禁されていたのだ。
客席の安っぽいテーブルに向かい、時々店内を見回した。カウンターの先の調理場に目をやると、男はまな板に向かって上体を屈めていた。その前では壁紙が煙と湯気に焙られて茶色にくすみ、燻された年期を現していた。
ここをどんな人間が訪れ、どんなことがあったのかわたしは知らなかったが、やがてわたしという人間が燻り出され、一粒子になって焼き付けられることは間違いない。
 
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