次に黙り込み、わたしはその言葉が気にかかり、考え込んだ。

その言葉は男の母親が崎本婆さんだということではないか。
「あの日、俺の家が焼けてしまい、俺も遠くから見て笑うようになるとは考えもせんかった」
彼は一気に飲み干した。
わたしのコップも空になっていた。
わたしは焼酎をせがみたくなった、同時にわたしのコップには焼酎がなみなみと注がれていた。
「ほら、肉もあるばい。ウサギやら狸やら猪の肉たい。車に轢かれとった動物の肉やけど美味しいばい」
男は串刺しの焼けた肉をわたしに差し出し、わたしは受け取って食べ始めた。
わたしは夢中になって食べた。
空腹でもあったが、食べる快感で不安を慰めていた。
「崎本婆さんはあんたの集金先やろう?」
その言葉にわたしはたじろいだ。
「えー、わたしの仕事まで知ってるんですか?」
「俺はあんたの顔まで知っとるんよ」
わたしは驚いて男の顔を見た。
ジャンパーのフードの中から、見知らぬありきたりの顔が現れた。
「あんたがおれの顔を憶えとらんだけたい」
わたしはもう一度見つめたが、記憶になかった。
「あんたも俺も、生まれてこの方、無数の人間の顔を見てきたなあ?両親の顔、兄弟の顔、親戚の顔、近所の者の顔、学校友達の顔、職場の者の顔、旅先の人に顔、すれ違っただけの顔、そりゃ何万人の数になるやろう。色んな顔があるし、不思議なもんや」
男はそこで黙った。
「男と男でも、男と女でもぴったりはまり込んでしまう。まるで磁石のN極とS極がくっつきあうように」
呟き、
串刺しの肉を食い、火に焼かれている串刺しの肉を手で返し、焼酎を呑んだ。
「おれの顔はあんたの顔なんよ」
 
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