て来れば、決まった問答をした。基本に忠実であればトラブルなど起こりはしない。有り難うございます。よろしくお願いします。申し訳ございません。など、こんな言葉で常識人の世界に入れるなんてなんと便利なことか!

我を忘れた作業を繰り返すことにによって不安を消し、自分を取り戻すことが出来た。
三時間で契約を十件、取ることが出来た。
十件目のドアを開けたとき、三、四歳の女児がドアを開けた。
お母さん、居る?
と訊くと、
うん、
と答えて、母親を呼びに引っ込んだ。
「チコちゃんねえ、今日から、幼稚園バスに乗ったとよ。幼稚園でねえ、お友達がたくさん、出来るんよ」
戻って来ると、わたしの顔を見上げて話しかけてきた。
わたしはその時、幼女になった。
自分の幼時と重なり、よみがえらせたのだ。
他人と言う存在がわからず、警戒心もなく誰をも父母と感じて話しかけたあの頃。
「良かったねえ」
とわたしは言って、
カバンの中から、KTSの子供番組のシールを取りだし、手渡した。
アニメのキャラクターがプリントしてあり、人気があった。幼児のいる集金先に行くと、子供が出てきた。こちらが集金を伝える前に(シール)とつぶやき、ねだってきた。
女児は礼を言うのも忘れ、見入った。
こんな世界があったのだ。夢を見ていた時代が・・。遠くに忘れ去った世界が。
今、俺の心の何処に残っているのだろうか?
わたしは胸を打たれた。
母親が出てきた。
用件を告げると、
視聴料の申し込みをしたい、と思っていた、
と言って、
さっそく契約書に記入し始めた。
 
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