れるのは、その表札が亭主に旅立たれ、女手一つで九人の子供達を育て上げた記念碑でもあるからだ。二人の息子は五十に近づいても未婚であった。彼らは家に残り、六人の娘達は嫁いでいる。
不動尊巡りの旅に二人の息子達が車で連れて行ってくれるので嬉しいとか、孫が十五人もいてみんなそれぞれ顔が違っていて可愛いとかいう話をしてくれた。が、話をよく検索してみると一人の息子の話が出ないことにわたしは気づいていたが、数が多すぎて忘れているのだろうと考えていた。
わたしは彼女の後を追って家の中に入り、引き戸を閉めた。
中は暗く、タタキには泥の付いた地下足袋や長靴が乱雑に並んでいて、息子達の逞しさをいつも感じた。
「ちょっと待ちなっせえ。歳とったら、どこ置いたかわからんごとなって」
奥の方に戻って、財布を探している。
四十歳で主人を亡くしていた。
ボタ山で石炭ガラを拾い、リヤカーに積んで、売り歩いた。乳児は背負い、幼い子供達はリヤカーの柄にすがってついてきた。腹が減ったと言うと、握り飯を食べさせ、金に余裕が出来ると、飴玉を買い与えることもあった。
竹箒を家で作り、リヤカーに乗せて売り歩いた。五、六人の子供たちがまといつき、背中に赤ん坊を背負って道を行き来し、「箒はいらんかねえ!」と子供たちといっしょに叫ぶ姿は人目をひいた。
どんなもんか見せない、という言葉に縄をほどいて竹箒を取り出すと、これじゃ弱くて買えんと、むげに断る客もいた。彼女へ欲情を見せる者もいたが知らぬ顔をかえした。
子供にあんパンをくれる客もいたが、五つ、六つに分けて与えるので一人の取り分は一口で消えた。
彼女が財布を持ってきたので、わたしは上がり口に腰を下ろした。
KTSの視聴料を払い終えると、彼女はまた奥に戻った。わたしは茶菓子が出ることがわかった。彼女はお茶を入れると、仏壇に供えていた煎餅をお盆にのせて戻ってきた。
わたしはお礼を言い、煎餅をかじりはじめた。
そうして世間話を交え、わたしは心を安らげて次の集金先に向かうのだった。
そんな優しい人達がいたからこそ、わたしは困難な集金業務を続けられたのだ。  
「良い陽気になりましたなあ。そろそろ竹の子が出始めよらせんですか?」
 
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