ブログ - nakamuraさんのエントリ

気配は人の持つ波動であった。

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日記
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nakamura 2015-7-11 7:29

 昨日にうけた基礎物理学で、新しい発見をした。衆知のことであったかもしれないが私にとっては再確認人であり発見であった。物質は粒であるが波動性を持っているというのがその内容であった。光が粒であり波でもあるということは知っていたが物質もそうであり、そのことがテキストにまで掲載されていることは知らなかった。

 その事実を現実の人間世界に適用してみると納得できることが多い。例えば人混みの中でぽつんと立っていて、何かを感じて目を向けるとそこに友達が偶然立っていたとか、ある人がわたしの隣に座っていた人にある人が笑顔を向けると自分のも向けられた気がしてうれしくなったとか、一人が騒ぎ出すと周りの者も騒ぎ出すとか、一般的に言う(共感)(シンクロナイズー同期)という現象である。人間も物質であるから粒であり波動をもっており、その波動が相手に向かいあるいはその周辺、全体に(波及効果)を与えるのである。この原理が適用されれば幽霊の正体、幻覚、妄想など謎めいた世界も波動理論で解析でき、方程式もできるであろうし、人間世界の虚偽、詭弁など混乱を招く言動も見破ることが出来るようになると思う。

安楽死施設ー夢野庵

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日記
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nakamura 2015-7-9 19:01

日本人が全面的に死を否定するようになったのは太平洋戦争で全面敗北したからである。特攻隊だとか玉砕だとか今のイスラム国みたいに死を美化し礼賛した。その反動が今にまで尾をひいているが憲法9条の改正で戦争を認めるようになればいつか来た道に戻ることになる。 わたしは68歳になり、この日記に書いているような生活をしているが、安楽死を望んでいる。それは決して悲観的な理由からではなく、もうやりたいことはやり終えたから、一度後ご破算にしたいという理由である。ところが病気を治して生きさせる病院はあっても死なせてくれるところがないのである。年間3万人が自殺してるということは不審死を含めると数倍の数であろう。電車に飛び込んだり首吊りをしたりして無理な死に方はしたくない。薬でも良いからそれを飲めば安楽死出来るものがあって、仮に売り出されたとすれば売れ行きは良いはずである。死んでしまえば搾取の対象が減るかもしれないが新しい産業として伸び、世界を視野に入れることも出来るはずである。そんな日が来るかどうかはわからないが、黙って待ち望んでいる人は多いはずである。(楢山節考)の作品ではないが、特別養護老人ホームが安楽死施設に変わる日がくるであろう。生きる権利があるのなら死ぬ権利もあるはずである。

(万有引力)は神の方程式。

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日記
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nakamura 2015-7-4 11:27

 地球の中は溶けた鉄が満ちている。それが磁性を帯び、地球自体が磁石になっている。北極、南極の双方が磁力線を流し合っているから、地球上のすべてのモノが磁力を持ち、引力を持っている。見知らぬ人間どうしでも会えば目を向け、相手や車や建物などに目を向ける。男と女が引き付けあい、凸が凹の中に引力の作用で入り、摩擦しあって+?の電荷を生み、起電する。摩擦を続け、電圧が上がってロケットになって宇宙へ飛んでいく。

 万有引力は、すべての時代、すべての人種、すべての動植物に適用でき、誰もどんなモノも否定できないし、その作用から逃れることは出来ない。これこそ真理であり、神の方程式である。人人よ!寄り集まれ、おしゃべりをし、歌を歌い、酒を酌み交わし、楽しくやって行こうではないか!と、この真理は言い、それが宗教やベートーベンの第九などの世界に敷衍されている。

最後に笑う者が勝ちなのだ。

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日記
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nakamura 2015-7-2 17:44

 二日間、寝込んだ。息が苦しくて、出来ない。必死で空気を吸い込みながら、誰かが、か細い声で泣いている。何度もしつこく呻いている、女みたいに。誰だ?

 お前だ。俺じゃないか。俺の喉がヒーヒー泣いているのだ、俺は悲しくもないのに。布団が死を許された場所に変わっただけなのに、三年前のバイパス手術をした病院のベットのように。妻はいないし、二人の息子は家をでたまま音信不通。喘息だとわかったがそれにしては食欲も絶え、額に手を当てると微熱が感じられる。倦怠感が酷い。心臓に異常がくれば心不全を起こす。一週間ほど、草刈機で屋敷の中の草を刈った。ヤブガラシが歯に巻きついて何度も振り払った。土地は700坪もある。体調が良かったので、いつもの山道を二回(一回に付き1時間半)散歩した。汗まみれになり、帰宅したら扇風機の冷風を浴びた。

 昼食、夕食が食べれられず、肺炎に進んでいるのでは?と思い、病院にいくことを考えた。いつもの通院先にするのか、入院を予定したほうがいいのか?喘息の吸引器を買ってみようかと迷った。

 二日目の夕ご飯から食べれるようになった。

 布団の中で寝てるのが心地良かった。笑いながら死ねればそれは最高の死に方だ。肺炎を起こして死ぬ。心不全を起こして死ぬ。死ぬことの楽しさを考えていた。最後に笑う者が勝ちなのだ。明け方、出入り口の窓辺に目を向けると女が立っていた。ドテラのような厚い着物を着て、黒い横向きの姿で後頭部をマゲで結わえ、その形がはっきり見える。体を曲げているが何をしてるのかわからない。あれはポール型の洋服掛けにかかけた自分の何枚もの作業服ではなかったか?姿は顔を見せず、少し、左右に体が揺れている。以前にもあった、半覚醒状態の時によく経験したことだが、出入り口の所で子供の声がしている。何人もの男の子だった。こんな時間にどうして知らない子供がいるのだろう?なにかおかしい。どこか変だ。おれの感覚・意識ははっきりしているのに。子供たちはいつの間にか部屋に上がりこみ、わたしの足元に居た。そして、わたしの右指が握られた。感触まではっきりした。

 はっきりと目覚め、独りの俺が布団に寝ていた。

 食パン一切れ、豚カツを食べ、コーヒーを飲んだ。9時半に情報プラザに行き、パソコン教室でスライド・ショーを学んだ。

 昼食を取り、夕方まで肘掛座椅子で休み、(黄昏ララバイ)を聴き、小声で歌う。畑に出て、ヤブガラシの刈り跡を見る。少し刈り残しがあった。

 三本のキュウリの蔓が延び、万歳をしている。二本は竹の杖に巻きついているが、一本は空に伸びている。

 さっき俺の手を布団の中で握ったのはお前だったのだな?

 そんなことを考えて、自分の顔に笑顔が出たのがわかった。

 秩序とは国家・社会体制・家族制度・人間関係・動植物、岩石などすべてにあり、モノはそれらを組成している人間、動植物、岩石などすべてである。私の人生は人間社会の秩序に照らしてみれば社会的落伍者に近く、親戚の者たちからは、NHKの集金なんで人に嫌われる仕事をなぜするのか?家系の恥だ!と言われた。おまえに飯を食わせてもらってるわけやないからそんなことを言われる筋合いはない!と今でも怒鳴り返してやりたいが奴らは死んでもうこの世にはいない。

 わたしが何故、秩序にこだわるかというとわたしが秩序によってつくられたからだ。こんな俺をつくった秩序のほうにこそ問題があると信じている。社会から外れた人たちは自分の不幸にとらわれるだけではなく秩序の効能をもう一度考え直してみるべきである。わたしは若い頃は無政府主義など、秩序のない制度を夢みたがそれは空想に過ぎなかったことが今はわかる。秩序を持たないものは存在しない。

 一つ前のブログに書いているように多様性を持つ秩序に国家体制も含めてすべての分野を変えるべきである。

爺ちゃんと孫が机を並べる日。

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執筆 : 
nakamura 2015-7-1 17:52

 大学の公開講座に通っているが、考えさせられることがある。クラスでは19歳の学生と五人ほどの老人が混じり、講義を受けている。学生達は黙って聞いているだけであるが、老人たちはよく質問をするので授業に活気が出てくる。社会経験をとおしての質問だから的をえていて面白い。

 わたしはもう一度中学、高校の数学や化学を勉強してみたいと思うのだが、それが出来ない。何故なのか?教育制度にそんなシステムがないからである。社会人がもう一度中学、高校に通ったとしてもなんら害はないはずである。逆に中学、高校生たちに社会経験を教えて、教える方も教えられる方も良いことだと考えるのだが。大学を出て公務員試験に合格し、社会経験のない役人たちにそんな発想は浮かばないのである。(異能ベーション)などという言葉を持ち出している文部科学省は口先だけの業務に励むより、現実・現場の中に活路を見出すべきである。これが多様性である。

食物連鎖の頂点は自然である。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-29 7:51

 食物連鎖とはトンボが蚊を食べ、鳥がトンボを食べ、人が鳥を食べるという循環の秩序であるが、その頂点には人間が立っている、と一般的には言われている。これは間違いであり、人間中心主義という過った考えに結びついている。頂点に立っているのは自然である。自然がなくては人間は生きていけないが、人間などいなくても自然は生きていけるのである。

 今、構造主義についての本を読んでいるが、食物連鎖は人間社会の階級制度であり、普遍的なもので変えられないという結論をわたしは持っている。それが良いとか悪いとかのカテゴリーではない。マルクスの資本論はここまで踏み込んでいないので、平等社会の実現という幻想を生み結局は幻想に過ぎなかった。

 構造主義の次に現われるのは物理化学的の法則・原理に基づいた思想だと思う。

人生の宝物。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-27 10:15

 68歳になって人生を振り返ってみることがある。何が宝物であったかがわかってくるし、それとの出会いもふとしたタイミングであったことがわかる。

 5、6歳の頃に近所の女の子供たちとお医者さんごっこをし、性に目覚めた。その宝物の素晴らしさをこれまで味わってきた。世の中には性の素晴らしさを知らない者も関心のない人もいるがわたしは恵まれていた。食べ物の美味しさ、タバコの美味さ、酒の味も知った。文学の世界を知り、思想・政治の面白さも知った。自分を含めて人間への好奇心、自然界の神秘、有難さを知った。

 67歳で、歌謡の世界を知った。これはすごいことであった。飲む、打つ、買う、を止めろことになった私だが、いつでもどこでもその歌を口ずさむことが出来、その世界の主人公になれるのである。祈ることが出来るのである。歌謡の世界との出会いは普通の人間関係の中でふとしたきっかけであった。動き回っていろんな人と出会い、話を交えることが多くのチャンスを産むことになる。

 カラオケ教室の来月の課題曲は小金沢昇司さんの(黄昏ララバイ)(兄弟挽歌)であるが、わたしは歌いながらその世界が心の中に酒のようにタバコのように性感のように沁み込む。恋人以上の宝物である。まだ、数千人の恋人がわたしの訪れを待っている。

人間社会の磁場。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-27 9:46

 昨日の基礎物理学講座で(磁場)ということを習った。以前から私は磁場という言葉、その理論に興味を持ち、小説でも(磁場)というタイトルの作品を書いたことがあったので、その講義に目を覚まされた。地球の内部は鉄を多く含み、地球自体が磁石である。方位計で針が指すのは地球のS極、N極に針が引き付けられているからである。人間も磁極を持ち、その社会も磁場を持っていて、磁力に左右されている。引き付けあい、反発しあい、反応なしなどいろんな状況が発生する。男女の関係も磁力線によるものであろう。

 教授はこんなことを言った。地球の北極、南極は十万年間隔で逆転する。恐竜が絶滅したのはその異変による氷河期の発生にある。ということは十万年後には、一度、地球上の生物が人類も含め、絶滅するということである。地球全体が初期化され、新しく出発することになるのであろう、と私は考える。

 もう一つの発見。

 磁石をいくら細かく切断しても、S極、N極の性質を消すことは出来ない。ここでわたしは人間社会、国家、集団の内部構造・秩序も消したり変えたりは出来ない、と結論づけた。外部に対してもそうであり、相似形になっているに過ぎない。

 基礎物理学講座を聴くことで、自分の考えの再確認、新しい発見が出来ている。

私たちにも引力がある。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-6-21 21:47

 基礎物理学講座には三角関数、不等式、微積分などが出てきて、自分が高校時代に学んだことをだいぶ忘れていることに気づき、理解できないことがあるが、哲学的な観点で聞いているわたしには発見させられることが多い。地球は引力を持っているから、地球上のすべての物にはその力が及び引力をもっている、と言う講師の言葉に、なるほど、とうなずかされた。街中や電車の中、いやどこででも人や動物を見かけるとすぐに目を向けるのは(引力のせいだ)と考えると、なんだか不思議なきもちになる。気持ちや関心が動かされるからと思っていたが、引力のせいだと言ってしまえば単純に理解できる。心や気持ちなど精神というものを持ち出すことでいろんなことで誤解や偏見が多く生じていたが、物理化学的な法則・原理を引っ張り出すことで紆余曲折、遠回りから解放される時代がくるにちがいない。人間嫌いで孤立した生活を送っている人もいるが、その人は(負の引力)を持っており、度数で数値化すれば面白い結果がでるにちがいない。

 物理化学的な視点・言語で書かれた小説に挑戦してみたい。(はめ込まれた凸と凹が激しい摩擦運動をしている。熱を生み、燃焼し、頂点へ向かって伸び上がり、楕円の波形を描いていった)などという表現はどうであろうか?

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