ブログ - 20200710のエントリ

  作品は半ばごろまで書き上げて、止まっていたが、キーボードはまた、元気よく打たれ始めた。主人公のオトコは二十年間もオンナ(妻)と口も利かず顔も見ずに同居していたが、若い女と知り合い、家出をし、彼女の隣の部屋に住み始める。その隣部屋の老男とも親しくなり、女を紹介すると言われ、関心を持つ。非接触システムから接触システムへ、場が変わったのである。

 この作品は十年前にも取り組んで中断したのであったが、ここで閃いたのであった。つまり自分が書きたかったのは男女の情念や心の移ろいではなく、それらをとりもっていたのは実は、(場)であったということである。

 ウイキペディアで調べると、場、とは、(物理量を持つものの存在がその近傍や周囲に連続的に影響をあたえること、あるいはその影響を受けている状態にある空間のこと)と載っている。そして、(反対の電荷を持ち引き付け合う二つの粒子)、とのっている。(反対の電荷)とはオトコとオンナがそれぞれ繊細さと荒々しさという対立する性格を現していて、この二つが部屋は別々でも同じ屋根の下で別れもせずに、同居しつづけていた。小説の中では、それから、オンナは引っ越した男の部屋の前で無言で立ち続け、オトコは家の畑のキュウリが実をのばし始めたことを思い出して、家に戻る、というラストが出来上がったのである。

 そして、(非接触システム)での生活を始める。

 こんな話がある。山奥の道で、カエルがじっとしていた。おかしいな?と思って、その先を見ると、マムシが鎌首を持ち上げて、飛びかかろうとしていた。食われる、食う、という真逆のベクトルが場を持ち、引き付け合っていたのである。その瞬間、カエルは呑み込まれてしまったのである。人間同士の暴力の場合でも被害者は加害者の攻撃エネルギーに呑み込まれてしまう場合がある。

 今回のコロナ禍でも、こんなことを考える。接触システムの場が非接触のそれに物理的に変わった、のではないか?と。

 カエルはそこで逃げ切ったとしても、またマムシに出会って、睨まれる、とじっとしてしまうのではないか?

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