ブログ - 20200708のエントリ
球磨川の氾濫をテレビでみて怖くなり、家の前の川を、見に行った。幅十メートルほどの川であるが、足元から二メートル先に、水が走り、波頭はまるで凶器であった。一晩降り続けば小さな堤防を越えて、家の中まで入ってくるかもしれなかった。
それと、昨日、県の相談センターに電話を入れ、自分の身体障がい者四級の認定が却下された、その理由を電話で聞いたのであった。心臓の症状が医者の診断書によって良くなっているから、却下したという理由を聞いて納得し、手帳を返すことにした。
自分は賛助会員として障がい者の会に残ることになり、障がい者の諮問委員会で意見を述べrことになっていることを思い出した。前回の委員会の時は、障がい者の権利が認められ、地位も向上したこと、少数者の価値が上がったことを述べたが、今回はちがう視点を考えた。
パラスポーツにみられるように、障害者の世界に、なぜ競争原理を持ち込むのか?ということである。速いことは優れていることなのか?遅いことは劣っていることなのか?ということである。自分の劣等部分を人目にさらし、点数を競うなんてそれは残酷なことではないか?障がい者自らの意志によっていることは確かであるが、競争を煽り、商業主義的に利用することまですべきなのか?
今年はコロナ禍、それに戦後最大の大雨被害に見舞われようとしている。前者は自然破壊によってコロナを森から追い出し、後者も自然破壊による温暖化が原因である。
それらは人災であり、資本主義、つまり人間社会の競争原理が原因である。
少しは、それへの反省をしてもいいのではないか?
速いことを評価するばかりでなく、遅いことを基準にするパラスポーツを考えてもいいのではないか?
自然界ではナマケモノのように超スロウで動くことで身をまもっている動物だっているし、尺取虫のように体を枝に似せて這う虫だっているし、多様な生き方をしているではないか?人間だけが競争原理を賛美しており、地球全体からみて、それはすでにオカシなことなのである。