ブログ - 20200216のエントリ

  今、太宰治の(人間失格)を読んでいて、その人間分析の深さに、圧倒されています。(女に惚れられる)という文脈に、惚れられる辛さ、愛せられる不安、という作者の不安が覗いていて、自分の願望とは裏腹であることに気づいたのです。私は女に愛されたいのに、愛され過ぎた太宰にはそれが辛く、不安でもあったということなので、信じられないほどの心理の乖離が感じられるのです。 

 本を伏せて、庭を見ると、暴風雨で荒れ、目の前のモチノキが空を向いて怒り狂っています。(あれは畑の日当たりの邪魔をしているから、鋸で切り落としてやる)と決意しました。私は体調も良く、昨日は竹の子山に行って、有刺鉄線を破ってイノシシが入っていないかを調べ、二十メートルも高い枯れ竹を十本も切ってきました。

 三十過ぎで、女と入水自殺をした太宰よりは、二倍は老いてる私は,元気なのです。ところが、それは当たり前だと言わんばかりに感謝の気持ちがないのです。他方、女には縁がないので、女への願望は強く、女を強く望むので、女はいつも自分の心の中に住んでいます。

 ここで、有るものは無いものであり無いものは有るものである、という言葉が思い浮かんだわけです。

 どちらも良い、と認めてしまえば、人生は楽になります。

 

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