ブログ - 20200210のエントリ

死に方は選べない。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2020-2-10 6:31

  時々、死にたくなるし、精神的に死んでいることもある。

 いま、太宰治の(人間失格)を読んでいるが、本の売れ行きはスーパースターなみである。読者は自分の告白が書かれていると共感する者が多いらしい。私もその中の一人であるから、読者の気持ちはじゅうぶんにわかる。私は高校時代に読んで、その主人公に自分の異端者ぶりを重ねたのであった。

 その小説を読むと、そこからの連想で三島由紀夫の(仮面の告白)を思い返し、重ね合わせてしまう。三島は近親憎悪から太宰を嫌っていたが、両者とその作品は兄弟と言えるほど親密である。三島が強い肉体・美を人生と作品の支えにしているとすれば、太宰は道化と軽妙・洒落を支えにした。遺書と言える(人間失格)には暗さはほとんどなく、死を計画した前に書かれた作品だと信じられない。ここまで自己を追求するか?といえるエネルギーに驚嘆するばかりである。三島も(春の海)とういう作品を遺書として書いているが、自分の苦悩を作品に昇華しているので個人的な悲惨さはない。

 太宰は精神病院に入院させられたことを悔やみ、それを人間失格とみなして、女と入水自殺をし、三島は革命を起こそうとして、予想した失敗になり、マスコミ報道によって自己と事件を作品に変えた。

 二人の作家は、自分の死に方を自ら選び、決行したのである。

 凡人には、(死に方は選べない)のである。

 こんなわたしであっても、その両者に通じるほどのレア性を持ち、人生体験をして来たのであるから、がんばれば偉大な作品が書けないとは言えない。モデルは自分も含めてたくさんおり、布団の中では作品が次々に出来ているのである。

ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

ブログ カレンダー
« « 2020 2月 » »
26 27 28 29 30 31 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
アクセスカウンター
2024/04/20:55/61
2024/04/19:239/342

2024/03/21より1741/7693