ブログ - 20200206のエントリ
町役場の開くワークショップに、三度ほど参加したことがある。講師はアメリカに留学してワークショップを学んだ男性で、日本は垂直思考(トップダウン)が強く、水平(真横の関係)が薄い、と話した。参加者たちは十ほどグループに分かれて、町の問題について自由な意見を言い、講師はそれを集約して、発表した。
ところが、町の政策にまで踏み込んだ議論はなく、意見は狭い範囲のもので、広がりはなかった。例えば、ゴミの収集に対しても、体の不自由な人は家のは入口に置いておけば取りに行ってあげる、といったようなことで、それはそれで良いことであるが、環境問題にまで進みはしなかった。
わたしのキリスト教会での体験は以前のブログでも書いているが、あれから牧師からの電話や信者からのメールがあった。どうして来なくなったのですか?牧師も信者達も心配している、という内容であった。話し合っても良い、とも考えたが、立ってる位置が異なるので平行線になると考えて、黙殺している。わたしが貧乏だと言っているのに、さらなる献金を求めたことに対して、彼らは、それがキリストの精神に反するとは考えず、生活費をもっと切り詰めてでも献金すべきだと考えたにちがいない。
要するに信者の生活より、神の方に目が向いているのである。垂直思考である。釜ヶ崎のホームレスの散髪をしてやった牧師もいるので、すべてのキリスト教徒が垂直思考だとは言わないが、仲間・信者の生活より神の事しか考えない者は仲間でも何でもない。富裕階級のサロンに用はない。献金や寄付をしているから自分たちはキリストの精神を受け継いでいると、考えて、手を汚さない連中は、聖書の中にあるように、キリスト自らが、貧民の汚れた脚を洗った、という出来事を思い起こすべきである。