ブログ - 20190624のエントリ

しつけ、と虐待。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2019-6-24 5:08

  幼児虐待、の言葉がマスコミに出るたびに、心が痛む。

 昔は、折檻、という言葉があり、子供が言うことを聞かないと押し入れや便所に閉じ込め、子供は泣いて謝り、自分が悪いことをした、と反省した。それが一般的な行為であり、問題視されることは無かった。

 今は冬の寒い時に、水風呂につけたり、エアガンで撃ったり、逆さに持ち上げて床に叩きつけたり、想像も出来ない残虐さである。これはどういう事であろうか?人間が残酷になったのか?時代のストレスが強すぎるのか?考え込んでしまう。加害者の父母は加虐の快楽を覚えてしまったのであろうか?

 わたしが幼い頃は外に出て、自然の中で遊び、子供たちとかくれんぼや縄跳びをして遊んだ。蛇や蛙を見つけると、尻尾を掴んで持ち上げ、地面に叩きつけて殺したりした。残酷であったが、蛙が体を痙攣させて死ぬのを見ながら、死ぬ光景を体験した。今の父母たちが虐待死させる前に、i痛めつけることがどんな悲しい結果を生むかをに知った。だから、わたしはめったなことで、暴力は振るわないし、子供を虐待するなんて想像も出来ない。

 わたしにも息子がいて、言うことをきかないときには叩いたことがある。それ以上のことは、とうてい、できないし、しなかった。やはり、人間が自然を失ったと言う事が、幼児虐待の大きな原因ではないか?動物が子を虐待するなんて、知らない。子も親に従順であるから叩く必要もない。人間界でも、昔は、知らない子供が悪さをしていると注意をし、社会が子供を育て見守っていた。そこに優しい共同体が成り立っていたが、現在は利便性・快適さに座を奪われて共同体の核が失われている。

 同時に、幼児虐待は時代の(深い傷)なのである。加害者がどんな傷をもっているか?加害者も被害者同様、癒し、救うべきではないか?刑務所はその方針を持つべき施設である。

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