ブログ - 201511のエントリ

曖昧さの力。

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日記
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nakamura 2015-11-27 7:23

 福岡教育大学の日本事情Bの科目に通い始めて、十回目ほどになる。このブログに書いているように良い刺激を受けてる半面、いろんなことが見えてくる。八十%ちかくを占めている留学生達の活気のなさ、元気のなさである。ほとんどが韓国、中国人たちであるが、彼らにとってここは異国に地なのである。日本語を憶え、日本人を理解するだけでも大変なことであろう。日本人は冷たい、と(考察用紙)に書いているという報告を二件ほど先生から公開された。なるほど、とわたしは思った。日本人学生その者でさえ元気がない、活気がない、曖昧なのである。時代のせいである。産まれてから冷暖房、水洗トイレで生きてきた者達に活気が出るはずはないし、小学校の教室に、冷暖房設備を入れろ、と要求する時代である。自己主張や正論、暴言を言ってはいけない国である。活気がないのは当然であり、自己主張の強い韓国、中国人たちから見れば、冷たい、と感じられるであろうし、国境問題、従軍慰安婦問題、南京虐殺など難しい問題が噴出した時代である。

 わたしは国内において(変わり者)で通る人間だから、外国人の立場に近い。留学生の心境はじゅうぶんにわかるが、日本人の曖昧さが逆に一神教をつくらず、自己主張をしないことが内乱を防ぎ、米国への軍事的依存が戦後、外国との戦争を防いでもいる、とも考える。そこを留学生や外国人に伝え、彼らに考えてもらいたい。

死ぬ力ー(楢山節考)

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日記
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nakamura 2015-11-19 11:41

 近頃、物忘れが増えてきた。昨日は公開講座を終えて帰ろうとしてして、女子留学生の手提げ袋に手を伸ばしてしまったり、シクラメンという花の名前が思い出せなかったして、なんだか認知症にすすむ気配を感じる。パソコンの機能にもあるように脳に削除システムが働き始めているのではないか?と考える。68年の人生を過ごしてあまりにも多くの経験・知識を蓄えたため、パンクする前に記憶容量を放出しはじめたのだろうが、80歳、90歳で元気バリバリの一般人、学者、スポーツ選手がいる。

 若い頃に読んだ、深沢七郎氏の小説(楢山節考)を思い出す。高度成長期のあの時代に、母親を息子が背負って山に捨てに行く物語、を書くなんて、作者はまさにレアである。高齢になった母親は歯が丈夫なことを恥じ、石臼に歯をぶつけて抜け落とそうとし、楢山参り(姥捨て山)に行くのを楽しみにしてるという、その書き出しにはわたしも言葉が出ない。息子は雪の降りそうな日に母親を背負って山に向かう。背中の母親は息子が帰り道を間違えないように目印を道に落としていく・・。息子は母親を山に置いて帰宅するのだが、わたしは死ぬことにも力が要るのだと考える。精神状態が異常になって自殺するのではなく、正常な状態で生存本能に逆行するわけだから、生きるのに等しい力が必要である。今のわたしには出来ない。

 野生動物の死体は不思議なことに見られない、とある男が言った。それは他の動物に食われるからだ、と私は考えたがそうではないみたいだ。山歩きや竹の子堀りなどでよく山に入るわたしは野生動物の骨さえ一度も見たことがない。彼らは誰にも決して見つからない所が、死に場所としてあるのであろうし本能的にそこに向かうにちがいない。(楢山節考)の姥捨て山みたいに

言霊と日本人の多宗教性。

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日記
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nakamura 2015-11-18 15:34

  今日は公開講座・日本事情B(福岡教育大学)に参加して、良い刺激を受けた。先生が先週の生徒たち(留学生が70%を占める)の議論の内容を公開し、その中に、日本人は多宗教なのか?ということが出ていたと話した。わたしは宗教に対しては哲学的な興味はあるが、信者でになったりなることはないだろう。一神教があるからその存在感を持つために、静電誘導の原理と同じで多神教やサタン(キリスト教)が対立物として出現したと考えた。

 グループに別れて、生徒たちの議論の時間になった。わたしは韓国人、中国人の二人の女子学生に次の質問をした。この教室に入る場合、日本人だと知らない生徒がいても頭を下げるがあなた達の国の場合はどうか??知ってる者がいれば声をかけるが頭は下げない、知ってる者が居なければ頭を下げることはない、と言う返事であった。

 それから、一人の日本人女子学生が次のように言い、わたしは日常的なことであったが、驚いて目からウロコが落ちた。?わたしは部活でバドミントンをやってるけど、体育館から出る時には誰がいなくて練習場に向かって頭を下げる。

 その心理は非常によく理解出来た。わたしが大学で空手をやっていた時、校舎屋上のコンクリート床であったが、そこでも出入りする時はそのようにした記憶があった。なるほど、日本人は日常生活の至る所に神の存在を知り、祭っているのである。井戸の柱、便所の柱、玄関の柱、庭の祠(ホコラ)にしめ縄をかけるし、十年前までは自家用車のボンネットにまでかけていた。相撲取りの化粧回しもしめ縄である。中国や韓国にはそんなことはないし、道祖神もないと言う。

 大樹をしめ縄で囲ったり、神社の狛犬にしめ縄を巻いたり、日本人はすべてに神の存在を知り、祭ることが伝統になっているのだ。言葉の中にまで神が宿っていると信じ、それが言霊信仰であり、多神教だと言われる理由である。日本文化の素晴らしさを知ったが、こんな機会がないとそれを発見することはなかったであろう。

嫌われる力。

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nakamura 2015-11-15 8:10

 ある友人にケイタイで電話を入れたが、出なかった。待っていたが、向こうからも掛けて来なかった。5年ほどの付き合いで彼が私を嫌った理由はわかったが、それを詫びて関係を戻す気持はない。

 嫌われる力、なんてタイトルをつける私はやはり変わり者だと多くの人は思うであろうが、それは自由である。自然界で動物、昆虫、植物には嫌われることで身を守っているものはたくさん居る。きれいな蝶が幼虫の頃には体中に棘を出し毒々しい姿で身を守っているし、植物でもバラは鋭い棘で身を守っている。マムシ草は茎をマムシの斑模様に似せて守っている。彼らは嫌われなければならないのだ。

 わたしは身を守るために嫌われるようにしたわけではないが、孤立無援の状況は身を守ることでもある。人に好感を持たれると、金を貸してくれ、借金や部屋の賃貸の保証人になってくれ、健康食品を買ってくれ、投票の依頼、女であれば男から体を狙われる、男であれば女から金を取られるなどなどさまざまな被害が出てくる。嫌われてもかまわないと言う姿勢になると、人も寄ってこず、人に好かれようと無理な態度をとる必要も無く、我が道、を歩くことが出来るのだ。

 組織で働いている人はそうはいかないこもいれないが、自分の心が徹底していて揺れなければそれでやっていけるものだし、逆にまわりの八方美人たちは尊敬さえするようになる。会社に対して本当のことを言ってくれて感謝してる、と言われたこともあった。ーあんたは皆から灰汁が強いち言われるやろう、と初老女から言われた。今の時代に産まれてくるべき人ではなかったとも管理職から言われた。少し気にかかったが無視した。

 仕事で不利益を受けたことはなく、逆に管理職からは怖がられ、機嫌をとられた。

言論の自由。

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nakamura 2015-11-11 18:17

 今日は福岡教育大学で日本事情Bの講義を受けた。女先生はマスコミはスポンサーが付いているから情報は100%は信じられないし、NHKは国寄りの報道しかしないから信じられないし、そうなるとネットしかないがここも錯綜してるから峻別するのが難しいと話し、生徒の中にNHKの関係者がいるかどうかは知らないと話した。わたしは彼女の話の内容にすべて同意していた。

 次に先週、提出したレポートの内容に移り、42件のうち27件が良かったが、ネットをコピーしたのや問題意識がはっきりしないのがあったと言った。レポートを書いて問題を提出することで議論が深まるので書くことに異議があると、言って良い話をしてくれた。

 講義が終ると、私は先生のそばに行って、わたしの書いたレポートー(公)について、の評価を訊ねた。評価?と訝しげな顔になったので、感想を聞きたいというと、まだ論文には・・、と言い、論文には至っていないのですか?と言葉を向けるとうつむいたまま、はっきり言わない。エッセイのレベルですか?と言うと、うなずくように黙っているので、失礼しました、と言って去った。

 おかしな雰囲気だったがわたしは気づいていた。レポートの中で、公務員は貴族階級に近く、責任のない者もいる、と言う言葉であった。国立福岡教育大学なので先生は国家公務員なのである。わたしはレポートを書きながらそのことを少し気にかけたが、無視した。

 私は6ヶ月9000円の講義料を払ってる自由な身分だから不利な取り扱いを受けることはないが、生徒や関係者の立場であればこうはいかないし、そんなことは書けないであろう。業界というのは簡単に踏み込んではいけない世界であり、誰でも業界の利権の中にいて生活しているのである。わたしも三年前まではNHKの委託集金人であったのだ。

延命治療

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nakamura 2015-11-11 6:01

  昨日のカラオケ教室でこんな世間話が出た。

 90歳の母親がガンにかかり、母親の娘は最後だと考えて、病院に延命治療の拒否を申請していた。母親が熱を出して苦しみ始めたが病院側はいっさい治療をしない、それは酷いと言うのだ。娘はゴム管で鼻から流動食を入れたり、点滴で栄養剤を入れたりする延命治療を拒否してるたのに風邪の治療を拒否したわけではない、と言うのであった。わたしはよく理解出来た。3年前の入院生活で寝たきりの患者が鼻からゴム管を入れられ、何度も外そうとしてボクサーのグロウブみたいのを両手にはめられた現場を見たからだ。

 末期患者の世界は時々、ニュースに出るが、すさまじい所である。排泄物を回りの者に塗りつけたり、暴言をはいたり、暴力を振るったり、介護士たちがいないと無法状態になる。ニュースは介護士たちを加害者として扱い、かれらの仕事の実態をあまり書かないし、普通の犯罪でも加害者の動機は伝えない。昔は寿命が短かったし、末期は自宅で迎えていた。座敷牢に入れられた場合もあったが家族が最後まで看取っていた。

 人ごとではない、私自身の未来でもあるのだ。

 安楽死制度を早くつくれ!と言いたい。死を引き受ける教育をしろ!と言いたい。

少数が多数を搾取する原理。

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日記
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nakamura 2015-11-10 20:15

 階級制度は少数派が頂点に立つピラミッド型になっていて、その逆の型は絶対にありえない。貧乏人の子だくさんと言われるように搾取される側は必ず余りが出来ようになっていて、搾取する側を絶滅させないように出来ている。

 食物連鎖の構造では食われる側はそれを前提にして出産数を多目にして、生命世界が壊れないようにしされている。封建時代(現代にも続いているが)において、農民が一番多くいて、武士、貴族、天皇の階級システムを護るようになっている。多数派が少数派を搾取する構造がもし出来たとすれば少数派はあっという間に食い尽くされシステム自体が崩壊してしまう。

 こんな物理的な推察をすると事態がすっきりした形になって理解出来るが、誰がこんな秩序をなしえたのであろうか?

ネットは水平社会をつくれるか?

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nakamura 2015-11-9 17:02

 ネットの進展は怖いくらいの早さである。わたしなど、(岡垣町 ・・・・)で検索すればすぐに出てくる。・・のHPにどんなメールを送ったとか住民投票議会で何を話したとか、頼みもしないのに公開されている。今年の反安保で若者たちがネットで仲間を作って団結したとか、中近東でアラブの春が訪れたとか、そんな事実からある大学教授はこれで日本にも変化の時代が来た、と話していたが、わたしは残念ながらそうは思えない。現在、とくに私の住む田舎町を例にとればわかるように噂話、蔭口はネットが出現する前から情報局であった。暇を持て余した主婦や男達が他人の悪口をいうことで自分が善人であるという錯覚に満足・快感を覚えていて、わたしが姥捨て山のカラオケ会から断りもせずに他のカラオケ会に移ったことなど、行動に移った二週間後にはすでに情報として流れていた。カラオケ会の女先生に惚れてストーカーをしてる、という有られもない話を広めている女の話が耳に入った。わたしは笑いながら、話を聞いていて、出所の当人に抗議をする気もない。聞いた者がそのデマを信じようがそれが広まろうが関心はない。

 多数派が石垣を作ったピラミッド社会では多数派が頂点を攻撃し、壊すことはありえない。頂点を攻撃するのは石垣から外れた異端者である。多数派は見て見ぬふりをするだけで主張はしないから、変化はもたらさない。蟻の巣の中で働かない蟻を排除すると、働いていた蟻の一部が働かなくなったように構造は変わらない。社会も変わらない。民主党が政権をとったがすぐに利権政党にとってかわられたのと同じである。

 ここで話は重力の法則に跳ぶことになる。重い物が下に集まる法則は山をつくり、左右対称系をつくり、数と重量をj減らした次の段が上層部を支え、それが次の段を支えていくのである。太鼓の時代から山やピラミッドは地震がおこってさえも崩れない。同様に社会の構造も壊れず、変わらない。封建時代、民主制時代と表示は変わっても同じなのである。食物連鎖の下層には弱小生物(これは一面的な考えで弱さは強さでもあるが)たちが上位を支え、それが連鎖しているのと同じである。

契約結婚。

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執筆 : 
nakamura 2015-11-7 9:52

 異性を超えた性同一障害者どうしの結婚が認められる時代になって、性に対する捉え方が変わってきている。この流れは一夫一婦制にも及ぶであろう。

 結婚して相性が合い、幸福なカップルが多い反面、悲惨な夫婦もいて、家庭内離婚も見られるようになった。知人の家など、妻は自室にこもって内側から鍵をかけ、出かける時には外鍵もかけ、食事も別々で、話すことも体を触れ合うこともなく、家の中で出会うとツマは自室に戻る、という。洗濯はツマが別々の洗濯機でやり、茶碗洗いはするという。ツマは共同生活をしているのだから権利があると言って、生活費は夫の通帳から勝手に落としてるという。

 結婚を終身を前提にしたからそんなケースが起こる。試用期間を半年にし、それからは3年契約にし、不満がなければ自動更新をしていく。妻が家事や育児をしておれば賃金として払い、ボーナスや退職金をつけてあげる、男が同様のことをしておれば妻がそれらを払う。離婚時にはどうするかなど、契約条項に盛り込んでおけば良い。

 

二項対立は静電誘導の法則から導かれる。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-11-1 11:23

 昨日は岡垣町町民文化祭に行き、舞台に上がって、(お岩木山)を歌った。本格的な舞台に上がるのは初めてだったので、事前にカラオケ・ボックスで練習したり、出場者達と雑談を交わしたりして、気持を落ち着けた。ステージに立つと、人から聞いたことがよみがえった。自分はスポット・ライトを浴びているのに目の前の観客席は真っ暗で人の顔も姿も見えない。違和感と不安が起こったが、マイクを握ると笑いを作り、頭を下げた。歌は歌えたが、歌いながら微妙な部分を調整するまで気が回らず、観客に気持その分、奪われていた。カラオケ教室の女先生の感想を聞いた。?落ち着いて良く歌えたが、やはり癖が出たね?という言葉にわたしは満足しながら、考えた。

 ー先生!癖(下からしゃくりあげるように歌い、ヤクザみたいに斜めに構える)は個性にもなりますよ。

 と、いつか言ってやろうと考えていたが、その場では出さなかった。森進一が若い頃、全身で歌い、体を揺すり続ける場合があったが、それも癖として治すべきなのだろうか?個性ではないか?と今度、聞いてみようと考えながら、何かに思いついた。癖と個性は対立しながら、平衡しており、その割合は静電誘導の+と?のようなものではないか?と。癖を個性ととらえるかどうかは多数派の判断しだいである。森進一の場合は名の通った歌手であるから、体を揺する動作も心が入っている個性とみなされるであろう。わたしの場合は悪い癖として捉えられるが、(良い)とそれに対立する(悪い、禁忌)とはどんな世界でも+、?がOになるように一定の割合で存在するのである。二項対立の概念が消えることはない。世界最高気温と最低気温、世界最高峰の高さと最深の海溝の深さ、山深ければ谷深し、太陽の強さと夜闇の暗さ、などあらゆる二項対立のレベルの実数はほぼ同じである。人間や社会の幸福度、不幸度の実数も同じはずである。戦争の被害度と加害度の度合いが同じであるように。

 

 

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